2010年03月31日

MERRY PROJECT、21世紀は笑顔の時代

独立して、原点から始めることを決意したアートディレクター水谷孝次さん
商業デザインではなく、社会デザインに情熱を持ちはじめたきっかけは、阪神淡路大震災だったそう。ポスターを作って支援、いろいろな場所に貼らせてもらって、お金を集めて神戸に届けたんだとか。
そして、「21世紀、笑顔は世界共通のコミュニケーションの時代だ!」と思い、1999年には「MERRY PROJECT」を設立。笑顔で何かしたいなと思い、撮影しためてきた子供たちの笑顔の写真で写真集を作ったんだそう。笑顔の撮影は、いまも続行中。これまでに、世界26カ国、3万人以上を撮影してきたんですって。

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今夜の選曲: I WANT YOU / BOB DYLAN

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2010年03月30日

バブルを経験して分かった、本当にやりたい仕事

現在、アートディレクターとして活躍される水谷孝次さん

大学卒業後、日本デザインセンターに入り、水谷さんが最初に認められて手応えがあった仕事は、ワコールのカレンダーとポスター。女性が下着の広告を見ても、知性と品格や爽やかさがあってイイと思われる作品に仕上がったのだとか。 mizutani_thu.JPG

その後、数多くの広告デザインを手掛けた水谷さん。広告の世界を辞めたいと思ったキッカケは…バブルの頃、毎日のように海外に行っていた時期。LAでフランク・シナトラの広告撮影がありました。45分間に数億円かけた撮影。シナトラが写っていればいいような広告の撮影に対し「男の仕事として、いかがなものか?」と思ったんだそう。これをキッカケに、辞めて独立。さっぱりとしたイイ風が吹いていて、また原点から始められました。お金じゃなくて小さなことから心を込めてやろうと思い、それがあれば、もうあとは何もいらないと思ったんですって。

今夜の選曲: PLEDGING MY TIME / BOB DYLAN

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2010年03月29日

3歳で決意!?アートの世界に入るまで

アートディレクター水谷孝次さんは3歳のときに、世の中を良くしようと決意!フォークソングが大好きだった大学時代に「心を入れて何かを作ると、人を動かしたり感動したりすばらしい!」と思いコンサートのポスターのデザインなどを手掛け、自分はこういう仕事がしたいと思ったんですって。
そして大学卒業後、田中一光さんのデザイン事務所に入られました。

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今夜の選曲: BLOWIN' IN THE WIND / BOB DYLAN

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2010年03月26日

3月29日から4月2日までのゲストは

アートディレクター水谷孝次さんです。 

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■■水谷孝次さん■■
1951年名古屋市生まれ。中部大学工学部卒後、日本デザインセンター経て、83年に水谷事務所を設立。東京ADC賞を皮きりに、JAGDA新人賞、ニューヨーク.ADC国際展・金賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展金賞など、国内外のグラフィックデザイン界で、数々の賞を受賞されていらっしゃいます。

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2010年03月26日

なぜ山に登るのか?

登山家の小西浩文さん。やはりお伺いしたいのは…なぜ、山に登るのか。

『一番、自分がドキドキワクワクするのが、8000メートル峰無酸素登頂。極限の状況、困難で危険きわまりないからこそ、挑戦したくなるんです。成功したときに得るものは、達成感はもちろん、それまでの道のりの中で得る気づき、すべてを含んでいます。』

8000メートル峰の無酸素登頂7座目への挑戦計画を立てていらっしゃる、小西さん。成功をお祈りしています。

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今夜の選曲: ALL ALONG THE WATCHETOWER / BOB DYLAN

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2010年03月25日

生きている地球、地球環境の変化

世界中の山を登っている、登山家の小西浩文さん。世界の異常気象は実感していて、氷河が後退しているのは確かなんですって。でも、地球の2億年以上の歴史を考えると、ひとくちに異常気象と言うのはどうか、とおっしゃっています。大昔はヒマラヤだって海の底。本来、生き物として動いている地球の在り方を、わずかな人間の歴史から判断するのはどうか…とのこと。

毎日、心と体のトレーニングは欠かさない小西さん。1日1食(夕食)だけで、水分は8〜9リットルもとるのだそう。そして一番鍛えているのは「丹田(たんでん)」、おへその下あたりです。意思力、精神力、度胸の源。実際には、自分のマンション(5階)を30キロの荷物を担いで1時間の上り下り。さすがに不思議な光景ですが、近隣の人はみなさん、小西さんのお仕事をご存知なんですって! konishi_thu.JPG


今夜の選曲: DIGNITY(PIANO DEMO,OH MERCY) / BOB DYLAN

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2010年03月24日

極限状態の中で大事なこと

登山家の小西浩文さんは本も出されています。最新刊は「生き残る技術 ―無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意―」。ここには山でへたる人とかは、顔つきで分かると書いてあります。5000メートルの山に200人くらいと登ったころ(ヒマラヤに行きだして12〜13年目頃から)、この人は問題を起こさないかどうか、登れるかどうか、声や顔つき、その人が持つエネルギーで分かるようになってきたそうです。

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俳優の大沢たかおさんや玉木宏さんが出演した映画「ミッドナイトイーグル」で山岳指導もされている小西さん。山の極限状態で一番大事なこと…「人間として強い人は、悪い状況のときに相手のことを思いやれるかどうか。自分は、そうありたい。」と。

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今夜の選曲: SENOR(TALES OF YANKEE POWER) / BOB DYLAN

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2010年03月23日

無酸素登頂へのこだわり

8000メートル峰無酸素登頂に最初にチャレンジしたのは20歳のときという、登山家の小西浩文さん。きっかけは、ラインホルト・メスナー。小西さんが16歳のときにメスナーが8000メートル峰無酸素登頂に成功、メスナーが出来るなら自分も出来るのではないか、と最初から無酸素にこだわったんだそうです。高校時代は山岳部。大学に入ったものの、登山家として生きていきたいと3ヶ月で退学。バイトでお金を貯めながらトレーニングで鍛える毎日。そして20歳の時に、初チャレンジとなったわけです。

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今夜の選曲: WE BETTER TALK THIS OVER / BOB DYLAN

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2010年03月22日

8000メートルの過酷な世界とは?

日本人最多となる8000メートル峰6座無酸素登頂を成功させていている、登山家の小西浩文さん。目指すは、全14峰無酸素登頂!(世界は8000メートル峰は14座しかなく、すべてがヒマラヤ…ネパール、チベット、インド、パキスタンにあります)。
最も困難で過酷と言われていて、これまでに達成している登山家は世界で9人。中でもイタリアの登山家:ラインホルト・メスナーは、1970年のナンガ・パルバット登頂を皮切りに17年の歳月をかけて1986年には人類史上初となる8000メートル峰全14座完全登頂という登山史における大金字塔を打ち立てた人物です。

私たちには想像のつかない、8000メートルの世界。空気も気圧も3/1。気温はマイナス25度から45度で、10メートルから40メートルの風が止むことは無いそう。例えるなら、飛行機が安定飛行に入る地点が8000メートルくらいなんですって! konishi_mod.JPG


今夜の選曲: SHAKE SHAKE MAMA / BOB DYLAN

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2010年03月19日

3月22日から26日のゲストは

登山家 小西浩文さんです。 
8000メートル峰酸素登頂、そして人間の強さなど、たっぷりとお伺いします。

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■■小西浩文さん■■
1962年生まれ、石川県出身。15歳で登山を始め、20歳で中国の8000メートル峰・シシャパンマに無酸素登頂。1997年には、日本人最多となる8000メートル峰 6座無酸素登頂を記録。現在、世界8000メートル峰 全14座無酸素登頂を目指して活動していらっしゃいます。

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