2021年05月13日

【Podcasting 第734回】代島治彦さん

今回のポッドキャスティングは、
5月10日~13日放送分、
映画監督、代島治彦さんです。

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2021年05月13日

映画「きみが死んだあとで」に代島監督が込めた思いとは…?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

小黒「映画『きみが死んだあとで』を
拝見して思ったのが、インタビューを
受けている皆さん、読書家ですよね?
後ろに本がいっぱいあって…
だから、当時の思想っていうのは、
読書によって培われたんだな
と思いました。
で、今の若者たちはメディアが
違っていて今の彼らの思想を
形成する物っていうのが
一体何なのかという疑問も
持ちました。」


代島さん「若者たちの思想を
形成するものはわからないんですが、
彼らの感想で面白かったのが、
『今の時代は同調圧力が強くて、
萎縮して同調しない人間が生きづらい。
けれど、当時の社会にも同調圧力は
あったんじゃないか。
時代が変わってもあまり人間の
特質は変わっていないんじゃないか』
という受け取り方をしている
人もいました。」

小黒「『きみが死んだあとで』の
冒頭は、弁天橋で亡くなった
学生の遺影を学生服を着た
監督自身が掲げているじゃないですか。
あのシーンの意味を教えていただけますか?」

代島さん「特別意味はないんですが、
彼…山崎博昭は遺影の姿…
18歳のままです。
彼が今の時代に橋の上に出現したら
見る人はどんなイメージを持つのか
と思って、弁天橋の上で撮影を
してみました。ただ、僕が
拘ったのは、土砂降りの雨の日に
撮りたかったんです。そこは
僕の気持ちが入ってしまいましたけど。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… AS TEARS GO BY / ROLLING STONES

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2021年05月12日

広告代理店から映画監督へ。代島さんが監督になるまでのお話、伺います。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

ーー代島さんは早稲田大学
政経学部を卒業後、博報堂に勤務。
その当時は映画監督になろうと
思っていなかったそうです。

代島さん「僕らの世代はモラトリアム
世代と呼ばれていて、大学時代
執行猶予みたいに自堕落に
遊んで就職していくイメージ。
僕自身は、体育の授業を2単位
落として留年したんです。
ちょうど留年仲間に広告代理店を
受ける友人がいて、彼に願書を
取り寄せてもらい、彼は電通、
私は博報堂に受かりました。
ただ、どうも自分が何を
やりたいのかよくわからない
状態で就職したのもあって、
2年で博報堂をやめてしまい
ました。」

その後、代島さんは94年から
ポレポレ東中野を代表を
勤められました。
博報堂を辞めてからは、
多くの映画監督に近付いたり、
放送作家…雑誌やラジオ、
イベントなど様々な
活動をしていたといいます。
そんな代島さんに映画監督を
目指すには、何をしたらいいのか
お聞きしました。

代島「それは僕からは
なにも言えないですね。
というのも、ドキュメンタリーの
監督というのは大掛かりなスタッフ
編成で作ったりしないんです。
「きみが死んだあとで」も
カメラマンと2人で撮っていますし。
ただ、映画の学校で教えていたことも
あるんですが、映画監督というのは
学校に通って教えられてなるものでは
ないな、と思いますね。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… HONKY TONKN WOMEN / ROLLING STONES

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2021年05月11日

当時の若者たちにとって”青春と挫折”はセットだった。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した最新映画
きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
今夜もこの映画について伺っていきます。

小黒「この映画はどういう人に
見てもらいたかったんですか?」
代島さん「大きくは二つ。
一つは学生運動に実際に関わった
人たちや時代を共有した当事者世代。
一番見て欲しいのは、
今の若い人たちです。10代から20代、
全然違う世代がフィクションのように
感じて、実際にその時代があったことを
見て欲しい。」

小黒「今、若者たちは何らかの
動きをしようとしているんですかね?」
代島さん「日本の場合、
過激になっていった学生運動を
納めていく中で教育を含め、
若者たちをコントロールしていく
体制がプログラムされてしまった。
香港や今回のミャンマーもそうですが、
なかなか行動を起こしずらいんです。
ただ、この映画を見て、昔の日本の
学生はそれが可能だったというのを
知ってもらい、同時に愚かなことも
あったという事を知ってもらいたい。
その上で、自分たちがどう動けるのか
考えて欲しいと思います。
日本の今の若者たちは生きていくことへの
不安がとても大きいので、
道を外れたらダメなんじゃないかと
思っている。
日本はリーダーも現れなければ、
運動も構築できない。
今は、動きやすい気候変動みたいな
ソフトな問題で動き始めています。
あとは、昨年のBlack Lives Matterの
ような人権問題や、女性の人権問題。
そういう取り組みやすいところから
当事者が声をあげていくのが、
日本の場合は盛り上がっていくと
思いますし、この映画を見て、
それを実際にやって欲しい
というのを思っています。」

小黒「映画を見た実際の
若い人の反応はどうですか?」
代島さん「まるでフィクションだと言いますね。
宮崎駿の『コクリコ坂』みたいに学生が
盛り上がっていた時代があったことに
ただただ驚くといった感想です。
一つ面白い反応は、就職活動をしていた女性が、
『貴方にとっての一番大きな挫折体験を
教えてください』と言われた時、
自分は挫折した体験がないことに
気づいたと。
映画を見て、『学生運動の時代は
挫折と青春はセットだった、
挫折をするために青春をやっている
感じがあった』と……。
それに一番驚いて、自分も挫折を
するような青春の行為をしてみたく
なったと言っていた女性もいました。」

※代島監督が語った大学生との対談の
様子が下記のリンクからYoutubeでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=nwdXYcsfD5E

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲…THE ROLLING STONES / HEART OF STONE

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2021年05月10日

第一次羽田闘争でのある1人の青年の死、そしてそれを取り巻く人々を描いた最新作「きみが死んだあとで」とは?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した映画
「きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
http://www.eurospace.co.jp
この映画について伺いました。

小黒「すごいよね。3時間20分の
長編ドキュメンタリー作品。
時間に関してはどう思って
お作りになったんですか?」
代島さん「僕も映画の一番適度な
商品としての長さは
知っているんですけど
もうこれ以上切れない、
という感じでした。」
小黒「私もずっと見ちゃいましたね。
学生運動をやった人たちの
熱いドキュメンタリーとしても
見れますが、僕にとっては
1人の人間が人生の終盤に
向かって自分の青春の衝動で
動いた事をどうやって総括
しているのかを、それぞれ
違う思いで語ってくれるのが
面白かったですね。」
代島さん「ちょうどあの僕は1958年
生まれで、団塊世代よりも10歳下です。
逆に言えば、希望も絶望も全部
あの世代に見てきた世代なんです。
小黒さんのいうように、死ぬ前に
総括してくれよ!という思いで
作った部分もあります。」

代島さん「この映画は1967年の
10月8日、ベトナム反戦を唱えて
首相が南ベトナムに訪問するのを
阻止する闘争を羽田空港に通じる
橋の上でやったんです。
そこで、当時18歳の若者が
機動隊に頭を殴られて死んで
しまったと言われているんです。
そして、その若者の兄や友達、
先輩をインタビューで取材しました。
彼の死以降、それが号砲となる
様にその後の学生運動が
どんどん盛り上がっていきます。
ただ、東京大学の安田講堂の
決戦を境に雲行きが怪しく
なっていき、浅間山荘事件などへ
つながっていく…。
70年代に希望を持って始まった、
彼らの闘争が絶望の淵に立たされる
ようになっていくまでを、
1人の死者を中心に描いていく
ドキュメンタリーになっています。」

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲…THE ROLLING STONES / JUMPIN’ JACK FLASH

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2021年05月06日

【Podcasting 第733回】小堀夏佳さん

今回のポッドキャスティングは、
5月3日~6日放送分、
野菜バイヤー・愛の野菜伝道師、小堀夏佳さんです。

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2021年05月06日

「メイドイン東京」と「野菜伝道師」の活動について伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

働いている現場から社会貢献に気づかれた
小堀さん。メイドイン東京という
活動につながりました。

小堀さん「メイドイン東京というのは、
バイヤーとして全国に回っている
時に、地方の方が美味しい食材が
あって地方ばかり回っていました。
東京でものづくりをされている方々に、
オイシックスを離れてから出会うことが
結構ありました。
水天宮の昔ながらの佃煮屋さんや、
青戸でお米から作っている煎餅屋さん、
焙煎も自分でやっている東京麦茶
だったりと、そういう職人さんと
会った時に東京にも
すごいものづくりの方が
いっぱいいることに気づいたんです。
それで、東京の農家さんを回る
ようにしていたんです。
そうすると、江戸東京野菜とか
外来種に出会うことがありました。
農家さんに『あ、東京か』と
言われるのが恥ずかしくて、
自分が生まれた東京を
語れなかった。
東京にもこんな素晴らしいものが
あることを、食べ支えて伝えて、
子供たちにも気づいてもらいたい
ということで、東京の食材を
発信する活動をしています。」 

メイドイン東京のHPはこちらから

今夜の選曲… (YOU MAKE ME FEEL LIKE)A NATURAL WOMAN / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月05日

大企業から、ベンチャー企業への転身…

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーー小堀さんは中央大学経済学部を
卒業され、住友銀行へ入行されます。

小堀さん「住友銀行時代は、資産運用を
担当していて、外回りが主体でした。
当時もう、金融の預金は儲からないと
いう商品だということで、外貨預金や
投資信託を一般の人に販売し始めた
年に入りました。
資産運用を会社社長や経営者の方に
お話しするのが私の仕事でした。
ただ、私には全くあっていませんでした。
もともと、食べ物が好きだったので
食べ物の会社に入ろうとしていたら、
尽く落とされていたんです。
女性の総合職は1名、取るか
取らないかみたいなところだったので、
全て受けた会社は落とされていたところ、
ご縁で住友銀行の方々と10名くらい
会う機会があって、こういう人たちと
働きたいという思いを持ったんです。
その時は、したいことよりも、
この人たちと働きたいという方向に
変わって銀行に入りました。」

小黒「そういう人たちと働きたいと
思って 銀行員になったと思ったら
たった3年でオイシックスに
転職した理由は何だったんですか?」
小堀さん「外回りをしていた時に、
私は体育会系だったので、1日にローラーで
100件とかをやっていたんです。
あとは名刺に必ず一言書いて
ポスティングするというのを
やっていた時に、数字がものすごく
上がって成績は良かったんです。
ただ、回っていた時にお客様の声を
よく聞くんです。
その際にそれを本店へと返していくんですが
大企業って商品やサービスを替えるのが
簡単にできませんでした。
お客様の声を聞いたら、すぐに
商品やサービスを変えられること
がしたいと思った時に、大企業ではなく
ベンチャー企業だと思いました。
あと、もともと目指していた食への
興味がすごく湧いてきたので、
食のベンチャー企業を探したら
オイシックスしかなかったんです。」
小黒「君がいなかったら今の
オイシックスはなかったと思うよ?」
小堀さん「そんなことないですよ〜。
ただ、オイシックスが成功したのは、
経営者と産地の担当が別だったこと。
産地側から出てきた人って、産地よりに
なりやすい。利益を出していくのが、
それでは難しい。産地と経営が意見を
言い合って最終的な落とし所を
見つけていくのが成功した事例だと
思いますね」

今夜の選曲… I NEVER LOVED A MAN(THE WAY I LOVE YOU) / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月04日

野菜バイヤーとして野菜のヒットを生む、というお話伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーーオイシックスで野菜バイヤーとして
試行錯誤の日々を続けていた小堀さん。
ある日、自身が名前をつけた
”ピーチかぶ”という商品が大ヒットしました!

小堀さん「もともと、小玉スイカの
蔓を引っ張って止める誘引という
作業を教わりにいっていた畑で、
遠くの方に1列だけ兵隊のように
カブがポコポコって出ていたんです。
そのカブがあまりに可愛くて
スイカのことより
『あのカブって何ですか?』
って聞いたら、
『これは売れない黒いカブなんだよ』
と言われたんです。
その春のカブを畑で食べた瞬間に
桃みたいな食感だったんです。
柔らかくてすごくジューシーで
見た目もまん丸で桃くらいの大きさ。
これを”ピーチかぶ”って名前で
売り出したらいいんじゃないですか?と、
それで売り出したら大ヒットしたんです。」

小黒「そのピーチかぶは19年前の
話ということですが、その農家さんは
作り続けているんですか?」
小堀さん「他の農家さんでは
作れないというのがあり、
千葉県富里市の田中さんが
今でも作り続けています。
当時は全くの素人だったので、
市場のプロの方々の目利きとは、
全く違う価値判断だったと思います。」

今夜の選曲… CHAIN OF FOOLS / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月03日

銀行員からの転身、野菜バイヤーとなったお話についてたっぷりと伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーーまず、愛の野菜伝道師という肩書について伺いました。

小堀さん「20年前に畑を初めて回ったときに、
美味しい野菜には農家さんの愛があると思いまして、
野菜を売るというよりも農家さんたちの
思いや愛を野菜に乗せて伝えたいと思い、
会社にお願いして名刺につけさせていただきました。」
小黒「東京の人が農家の現場に行くと、
『お前たちに何がわかるんだ』って
言われませんでした?」
小堀さん「言われました!
当時は27歳だったので野菜のやの字も
知りませんでした。実際、知らないという
ことを恥をさらして農家さんに
話すと、可愛がってくださって
ひとつひとつお父さんのように
教えてくださいましたね。」
小黒「でも、東京で育って農業を
やっている人も身近にいなかったのに、
畑を回ってみてよく我慢できたね?」
小堀さん「実は私、野菜の部署に
任命されたときものすごく嫌だったんです。
前職は銀行だったし、ケーキとかを
開発するのは憧れだったのですが、
人がいなくて任命されました。
ただ、銀行時代の外回りが
すごくいい経験になりました。
当時、社長や経営者と話す機会が
あったので、同じ土俵に立つには
知識を入れなくてはいけなかった。
農家の方も、物づくりの職人さんという
意識はあったので、農家さんの読んでいる
現代農業という雑誌や、農業新聞を
読んで勉強しながら畑に行っていました。
仕事で回ったのは全国の畑でしたが、
当初は会社のパソコンで調べていたり
して外には出ていませんでした。
初めてキュウリがサンプルで
送られてきた時、キュウリは
味がしないと思っていたんですが、
そのキュウリは味がしたんです!
この味のする理由はなんだろうと、
いう想いに駆られて初めて畑を
見に行ったのが福島だったんです。」

今夜の選曲… I LOVE YOU / ARETHA FRANKLIN

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