2018年01月29日

マラソン、高橋尚子と小出監督の壮絶な練習の裏にあったエピソードとは?

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えしています。

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最近、黒井さんはスポーツの中でも指導者に
興味を持たれているそうで、「新潮45」では、
“「人を育てる」流儀”という連載も行なっています。
黒井さん「結局選手が栄光を掴むというのは、
彼らのパフォーマンスだけではなく、
“指導力”無くしては語れないということなんですね。
この選手の陰に、この監督の指導アリ!というのが
確実にありますね。2人3脚です。」

ここでは、小黒と知り合うきっかけになった、
高橋尚子(Qちゃん)と小出監督のお話を聞かせて頂けますか?
黒井さん「ひとことで言うと”信頼”ですね。
Qちゃんがなんで金メダルを取られたかというと、
世界1の練習、考えられない練習を熟していたからなんです。
それがなぜできたかというと監督に対する”信頼”が
あったというのが1番なんですね。
この関係には当時、誰も入り込めない感じでした。」

黒井さん「あそこ(Qちゃんが練習していたボルダー)は
アスリートの聖地と言われているんですね。
マイルシティで高地トレーニングに良いということで、
要するに心肺機能を鍛えるマラソンランナーがいっぱいいました。
ただQちゃんはそこでもやって、さらにそこから
2000m上がって、3500mでトレーニングしたんです。
そこでは誰もトレーニングしてないんですね。
ここが小出と高橋の凄さなんです。
どういうトレーニングだったかというと、
22、23km永遠登りっぱなし、下は砂利道でって
ところを3500mでやるんですよ。これは
男子の選手でもすぐに逃げ出したくなるメニューなんです。
監督言ってましたけど、鼻水流しながらやって
親、兄弟には見せられてない顔だって言っていました。
それぐらいの凄さ。今まで言われていたスポーツ科学とは
言えないような精神論的な部分もあったと思います。」

今夜の選曲:WHY DO FOOLS FALL IN LOVE / BOYZ Ⅱ MEN FEAT.JIMMY MERCHANT

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2018年01月25日

1月29日から2月1日は

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えします。

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1958年北海道旭川市生まれ。
早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て、
ノンフィクション作家として独立され、
人物ドキュメントやスポーツ全般に
わたって執筆活動をされています。
主な著書に『高橋尚子夢はきっとかなう』、『テンカウント
『工藤公康プロフェッショナルの矜持』などがあります。

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2018年01月25日

小黒一三との再開は、たまたま乗ったタクシーの中 !?  美術作家”若林雅人”が運転手をしていた理由とは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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近年の音楽活動の方は如何でしょう?
若林さん「フラメンコギターをずっとやってきましたけど、
それをちょっと今は置いて、ハウスミュージックを
やっています。それでそのハウスミュージックの中に
ギターを取り入れた音楽を”岡田さん”という
男性と一緒に作っているんです。ハウスミュージックに
すごい詳しい方で、彼がコンピューターの方をやって、
僕が生ギターを弾いています。それをミクスチャーして
新しいものを作れないかなということを今は作っています。」

小黒一三と久々に再開したのが、
若林さんが運転するタクシーの中だったそうですが、
その時のことについて詳しく教えてください。
若林さん「突然、小黒さんが現れてパッと手を
挙げられたのでもうこれは逃げられないなと…(笑)
でもその時、小黒さん優しかったですよね。
小黒さんは最初気づかなくて、ちょっと走り出してから
私が「小黒さんですよね?」って声かけたら、
小黒さんは「あんた誰?」って聞かれたので、
車止めて「小黒さん、若林ですよ」って言ったら、小黒さんに
「バカやろー!」って言われて1万置かれましたよね(笑)」

小黒「僕が心配したのは体だよね。いい歳になって
タクシー運転手もやって大変なんじゃないかって…
でも、タクシードライバーって楽しいでしょ?」

若林さん「最初は大変だったんでした。
1日に30組〜40組ぐらい乗せるんですけど、
そうすると1人ずつ乗せても30、40人の人には
会えて、それが月で500人ぐらいの人とお会いできるんですね。
中には、知り合いも乗ってきたりするのですが、
1番困っちゃうのは、フラメンコのファンの人が
乗ってきちゃうこともあるんですよね。そうすると
小黒さんと同じリアクションで「なんで〜?」っていう
リアクションなんです。(笑)
この仕事を始めたきっかけっていうのが、
どうやったら東京に慣れるだろうかっていうのが
目的だったんですね。例えばこのJ-waveの
スタジオから東京の夜を見たときに、
すごい光の海が待っているでしょ?
そういう風な作品を作るにはどうしたらいいのだろうって
いう時のリサーチとしてこの仕事は最高だったんですね。」

今夜の選曲:SUNSHINE RAIN SPECIAL EDIT1 / 若林 雅人

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2018年01月24日

滞在先のロンドン・チェルシーアートカレッジで 起こった珍エピソードとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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ロサンゼルスで美術、マドリッドで古典絵画、
ロンドンで彫刻と様々なことを学ばれていますが、
率直にいかがでしたか? 日本との違いなどは?
若林さん「ロサンゼルスは、コマ単位で、
デッサンをやったぐらいで、あとは独学でした。
マドリッドで1番ビックリしたのは、
今あるかわかりませんが、裸のデッサンです。
日本でやったら、1時間1000円とかで
やったりするんですけど、マドリッドだと
年間1000円ぐらいで、1日8時間、
好きな時間に勝手に入って裸体デッサンをできるですね。
男の人もいれば、お婆ちゃんも若いモデルさんもいて、
みんなスッポンポンで立っているわけです。
それをみんな普通に書いて、自分の好きなデッサンを
書いたら帰るってことをしているんですね。
なんでこんなに自由なことができるんだ?って思いました。」

「それからロンドン。ロンドンは教育に関して素晴らしくて、
例えば、私は“チェルシーアートカレッジ”って
ところにいたんですが、そこは元々、
レンガでできた工場だったんですね。
そこを中で仕切って、1人ずつスタジオがあるって感じなんです。
その時に、私はギター好きだったのでスタジオの中で
ギターを弾いて作品を作るってことをしていたんですね。
でも天井が筒抜けだから、音が抜けちゃって迷惑だったんです。
そうしたらある時、「ちょっとうるさいんだ」と言われました。
それで、シーラって言う学部長に
私から「なんとかできないか?」とお願いしたんです。
そうしたらテクニシャンの音楽専用教室が空いたから
使っていいよと言われて、そこを使ったんですね。
ひとつ面白かったことがあって、大学に入って
最初に作った作品がレンガの塀に穴を開けて
自分専用の出入り口を作ろうと思ったんですね。
なんでかっていうとロンドンって壁がレンガで
できるものが多くてすごい重たくて閉じ込められている
印象だったんです。ヤダな… と思って自分だけが
出入りができるようなドアを作ろうと思って、
入学してしばらくしてから、ブロックを壊しはじめたんです。
そうしたらしばらくして、セキュリティの人が来て…
「君はやっているんだ!?」と言うんですね。
私は「違うんだ、これはアート作品なんだ」
「自分専用の出入り口にしたいんだ」って言ったら
「ふざけるな!」と言われました…(笑) それでまた、
シーラになんとかならないかと相談をしたんですが、
「レギュレーションでできないんだ…」と言われたんです。
まぁそこまでは普通だとは思うんですが、
1ヶ月ぐらいしたら、シーラが「ちょっと見せたいものがある」
と言って車に乗せられたんです。ホワイトチャペルの空き地の
方まで連れて行かれたんですが、そしたらシーラが
「あそこに大きなレンガの壁があるでしょ?」って言ってきたんです(笑)
好きなだけいけということで…(笑)  でも優しいですよね、
ここなら文句言われないよって言われて笑っちゃいました(笑)…」

今夜の選曲:BOYS KEEP SWINGING / DAVID BOWIE

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2018年01月23日

四谷で開催中の展覧会「Obsession Conception Possession」、その見どころとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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若林さんが参加されている展覧会
Obsession Conception Possession」が、
四谷ひろば CCAAアートプラザ ランプ坂ギャラリーで
現在開催されています。
これはどんな展覧会となっているのでしょう?
若林さん「これは代々木上原のギャラリーで、
“20202”というギャラリーがあるのですが、
サウンドアートなどで、マニアの人たちが注目している
ギャラリーです。そこの”藤本ゆかりさん”って方が企画された
展覧会なんですけど、(テーマが)”Obsession Conception Possession”
アート作品っていうのは、思いやこだわりがあって
いろいろ試行錯誤される。それがコンセプトになって、
最終的に第3者、もしくは美術館などに所有されるという
アートを巡る物語をテーマにした、3人のアーティストの展覧会です。」

若林さんの作品「光の行方」
これについて教えてください。
若林さん「これは、2001年から撮影を始めて、
ずっと発表することなく撮り続けてきた写真の作品
なんですけど、小さな懐中電灯をひたすら
くるくると回すんですね。回数にすると2000回ぐらい。
1時間に1枚ぐらいしか取れないので、
一晩で2枚から3枚ぐらいしか取れないんです。
それを東京都内の演奏会場だったりとか、
公園とか。あとは地方行ったりとか、
山奥行ったりとかして撮った写真の作品なんですね。
16年ぐらい撮り続けて1000枚ぐらい撮ったんですけど、
そのうち発表できるのは限られていて、
20〜30枚ぐらいの発表になると思います。」

会期中、1月28日(日) には若林さんによる、
トーク&ギター演奏のイベントも予定しています。

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展覧会「Obsession Conception Possession
会期:2018年1月21日(日)~2月6日(火)10:00~18:00
休み:木曜日
会場:四谷ひろば CCAAアートプラザ ランプ坂ギャラリー
入場料:500円

[会期中イベント]
1月28日(日) 18:00-19:30 若林 雅人 トーク&ギターソロ 1,000円
2月4日(日) 16:00-19:00 古屋 俊彦 トーク ゲスト:佐藤 実 1,000円
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今夜の選曲:SOUND AND VISION / DAVID BOWIE

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2018年01月22日

世界各国で学んだ美術作家の多彩な才能のとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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ロサンゼルスで美術、マドリッドで古典絵画、
ロンドンで彫刻と様々なことを学ばれていますが、
日本で学ばれようと思ったきっかけは?
若林さん「芸大を受験をする前に、大学の先生たちって
どういうことを教えているのかってことを
浪人生する前に調べたんです。すると私の
やりたいことって当時大学では教えていなかったんです。
で、最初アメリカに行ってコンセプチュアルアートを学んだんです。
(コンセプチュアル・アーティストの)河原温氏がもともと好きで…。
で次に原点に戻って古典絵画の
勉強しにマドリッドに行ったんです。
古典絵画っていうのは宗教画で板絵に膠(にかわ)を塗って
その上にさらに、布を貼って白い油絵の具なんかで
書いていったりするんです。絵の具の使い方、油絵の具が
基本でしたけど、プラド美術館で3年ほど学びました。」

「ロンドンに行ったきっかけは、マドリッドに
行った時にどうしても現代美術への関心が忘れられなくて…
その時に北九州の赤松に”CCA Kitakyushu”っていう
日本で唯一の現代美術の研究所があるんですが、
それを立ち上げた”中村 信夫さん”が北九州で
1週間セミナーをやっていたんですね。
それに参加したくて、マドリッドから日本に一回帰ったんです。
その時にセミナーで一緒に教えていた先生で、
”ナイジェルノロフ”さんというパフォーマンスの方が
いらっしゃって、ナイジェルさんから「これから
君は日本でどうするつもりだ?」ってことを聞かれた時に、
私は「ちょっと困っちゃっているんですよね」って答えたんです。
そしたら、「ロンドンの大学院に入れるからおいでよ」って
言って頂いたんですね。でも私はそもそも高校出た後、
大学も行かずにふらふらしていたもんですから、
大学院に入れる資格はないんですよね。そしたらナイジェルさんが
「そんな関係ない、僕が入れるから心配するな!」と言うんです。
で、一回ロンドンに遊びに行ってみたんですね。その中で
“チェルシーアートカレッジ”っていうのがあって、
そこに入りたいって言ったら、面接とA4の紙とちょっと書いたら
特待生で合格しちゃったんですね。」

今夜の選曲:お富さん / 歌:堀越千秋 ギター:逢阪剛

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2018年01月18日

1月22日から1月25日は

美術作家の若林雅人さんをお迎えします。

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1965年東京生まれ、
ロサンゼルスのサンタモニカ・カレッジで
美術を学んだ後、スペイン、マドリッドで、
古典絵画技法の研究をされます。
そして、ロンドンのチェルシーアートカレッジ大学院彫刻科で
マスターを取得。美術作家として作品を発表される一方で、
フラメンコギタリストとしても活動をされていらっしゃいます。

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2018年01月18日

浅草の中にある”ペリカン”を大事にするその理由とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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今回、ドキュメンタリー映画の製作、
二見書房から出版された『パンのペリカンのはなし』の
広報活動の方も担当されているということですが、
この映画、本で何を1番伝えたかったのでしょう?
渡辺さん「パンの美味しさというよりかは、
“ペリカン”っていう店の成り立ちだとか、物語とか…
あとは、浅草という街の話を取ることができればなと
思いました。うちは、”ペリカン”としてのお店ではなく、
浅草の中にある”ペリカン”として成立している部分が
たくさんあるので、浅草という土地にはすごい助けられているんです。
そういうのを見てわかればなと思っていたので、
町内会とか映してくれていてすごい嬉しかったです。」

浅草って言えば「三社祭」、
近年では「サンバカーニバル」なども始まりましたが、
渡辺さんの思う浅草の魅力ってなんでしょう?
渡辺さん「浅草の好きなところ…
こう言うと浅草の人怒るかもしれないですけど、
いい意味で適当なところが好きなんですよね。
歴史のある街ってイメージですけど、
結構新しいもの好きですし、お神輿とかも…
最近ちょっと勉強したんですけど、
結構みんな適当に担ぐ時の服装も変わっているみたいで
そういうところがいいなって思います。
緩いんですよね、面白ければいいってところがあるので。
あと僕が聞いているので、面白かったのが、
(かつて)徳川幕府から、浅草の三社祭は”祭り”として
認められていないということを聞きたんです。
理由は、神田で有名なお祭りが徳川にとっての
お祭りだったらしいんですが、浅草って商人の街なので
それなりに当時も盛えていんたんですね。
で、調子に乗って徳川幕府よりもでかい山車を作ったら
怒られて神輿になったっていう話で…
あ〜当時からこういう感じだったんだなって思いました 笑」

今夜の選曲:HENRY THE GREAT / JACIKE MITTOO

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2018年01月17日

お店を継ぐきっかけになった出来事とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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2代目店主が以前ソトコトに語ったのが、
後継者の育成が大きな課題だということ。
陸さんが4代目になろうと決めたのはいつ頃だったのでしょう?
渡辺さん「高校生の時に、パン屋になる
ならないの話はふわっとは聞いていたんですが、
おじいちゃん(2代目)からは、「お前が4代目継ぐんだよ」と
はっきりと言われたことがなくて、継いでも継がなくても
どちらでもいいって感じだったので、どっちにも振れるように
(大学は)経済ぐらいにしておこうって思って大学入ったんです。
それで、大学を卒業する前に、おじいちゃん(2代目)が
亡くなってしまったんですね。で、3代目は私の父親ではなくて
母の兄あたる叔父がやっていたんですが、その叔父から、
「おじいちゃん亡くなってお店も大変なんだが、お前が
良ければ継がないか?」と話を頂いて、そこで初めて
「やらせて頂きます」とお返事して入ったって感じですね。」

パン職人として1人前になるにはどれくらいかかるのでしょう?
渡辺さん「少なくとも5年ぐらいはやらないとダメかなと
思います。どんな食べ物もそうだとは思うんですが、
冬の配合と夏の配合は違いますし、配合以外にも
製法とかで多少変化をつけないとダメですし…
やり方自体は正直1週間ぐらいで覚えられると思うのですが、
調整の仕方を覚えるのに1年ぐらいはかかりますし、
調整の仕方が身に付いたからってプロ名乗れるのかって
言ったらダメだよねってなると思います。
私の個人的な話になるんですけど、少しはできるかなって
思ったのが5年ぐらいだったので、それぐらいはかかりますね。」

今夜の選曲:HOT TAMALE / JACKIE MITTOO

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2018年01月16日

コンセプトは、”ごはんのように毎日食べられるパン!” 老舗のパン屋の「味へのこだわり」とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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二見書房から出版された『パンのペリカンのはなし』にも
綴られていましたが、2週類のパンしか売らないという
こだわりを教えてください。
渡辺さん「(お客さんから)1番言われるのは、
モチモチとしていて美味しいということですね。
それとこれは初代からのコンセプトなんですが、
”ごはんのように毎日食べられるパン”を目指したい
というところから始まっています。初代の時代は、
パンって晴れの日に食べるものというか、あまり常食
するものではなかったんです。でも初代は結構新しいもの好きで、
先見性のある人だったので、毎日食べられるものを
作るっていうのをずっとコンセプトにしてやっていましたね。
実際、私自身も毎日食べられるなと思いますし、
食べて頂いている常連さんもたくさんいらっしゃいますので、
それだけは自信持って誇れることだと思います。」

“ペリカン”という名前になったきっかけを教えてください。
渡辺さん「ペリカンはですね、初代からではなくて
2代目からなんです。初代の時代はお惣菜パンとか
菓子パンとかもやっていたんですけど、2代目で業態を
ガラッと変えて2種類しか作らないということにしたんですね。
その時に、名前とロゴも変えたんです。
“ペリカン”という名前の由来はおじいちゃん(2代目)の
学生の頃のあだ名だったんです。
結構、下顎がしっかりしていた人だったらしく…(笑)
手前味噌ではありますのが、ロゴだったりとか店名は好きなので、
すごい良いもの作ってくれたなと思っています。」

今夜の選曲:KILLER DILLER / JACKIE MITTOO

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