DAIWA HOUSE Secret Notes

2018/05/09

エリック・サティ 奇人変人物語 -3-

アンビエント・ミュージックの元祖といわれるサティ。
彼の面白いところは、作り出す音楽と、
性格や行動との落差でしょうね。

毒舌の上に、周囲との協調性がないため、
トラブルの絶えない日常だったサティ。
意外にも、人生の中で裁判沙汰になったのはたった1回だけでした。

サティが手掛けた、生涯最大の話題作と言えば、
バレエ「パラード」でしょう。
1917年5月18日、パリで大ブレイク中だった、
ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の公演で初演されました。

台本を手掛けたのは、劇作家のジャン・コクトー。
衣装と舞台装置がパブロ・ピカソ。
そして音楽がエリック・サティ作曲という豪華版。

サーカス一座による道化師たちの楽しいショーのチケットを買わず、
客寄せとして入り口で見せている芸だけで、
満足してしまうお客さんを皮肉った内容です。

観客が期待したような、優雅なバレエとは程遠い前衛芸術に、
怒号飛び交い、非難する人たちと支持派が入り乱れて、
大混乱になってしまいました。

失望したサティでしたが、彼が何よりも腹を立てたのは、
会場にいたジャン・パウェイという評論家の態度。
その時は褒めたのに、
後からこきおろす記事を新聞に掲載したパウェイに対し、
何度もきたない言葉を使って、侮辱する手紙を出し続けました。

パウェイは名誉棄損として裁判所に訴え、裁判になります。
結果はサティの負け。
判決は「禁固1週間、100フランの罰金、
そしてパウェイに賠償金1000フラン」。

サティは控訴したものの、二審でも判決は同じでした。
でも、半年後、内務大臣による特別審議で、
「以後5年間にわたって行いが正しければ」という条件付きで、
刑はなぜか免除されたのです。

これが、サティの人生ただ一度の、裁判沙汰の顛末。
さて、本当に彼は、以後5年間、大人しかったのでしょうか?

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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