DAIWA HOUSE Secret Notes

2018/12/06

音楽の母 ヘンデルの物語-4-

ドイツで生まれ育ったにも関わらず、イギリスに帰化。
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルではなく、
ジョージ・フレデリック・ハンデルとして生涯を終えたヘンデル。
彼はなぜ「イギリス人音楽家」という生き方を選んだのでしょうか?

司祭ザドク?戴冠式アンセム/フレデリカ・フォン・ステード

ドイツ、ハノーファーの選帝侯ゲオルグによって、
宮廷楽長のポストを得たヘンデル。
しかし、勝手にロンドンに行き、
帰国命令を無視してそのまま住み着いてしまいます。

ところが、2年後の1714年、イギリスのアン女王が急死。
親戚関係にあった選帝侯ゲオルグが、
なんと新しいイギリス国王ジョージ1世として
ロンドンにやってきたのです。

そこで、気まずい立場のヘンデルが、
国王のゴキゲンを取るために、
宴と舟遊びと音楽でもてなした、
と言われるのが「水上の音楽」のエピソード。

でも、現在では、全く違う説が有力になっています。
実は、ヘンデルをロンドンへ行かせたのは選帝侯ゲオルグ。
病弱な女王の状況次第では、
ロンドン行きとなる可能性の高いゲオルグが、
ヘンデルを先乗りさせ、イギリス王室の内側や、
貴族の実態を調べさせていたとも言われます。

ヘンデルは1927年にジョージ1世が亡くなった後も、
息子ジョージ2世の信頼を受け、
正式な王室礼拝堂付作曲家として、
名誉ある生涯を送りました。

送りした曲は、ウェストミンスター寺院で行われた、
ジョージ2世即位の戴冠式のために
ヘンデルが作曲したアンセム「司祭ザドク」。
重要な国家儀式に至るまで、
音楽に関してはすべて「よそ者」ヘンデルに任せた王室。

この時代、イギリスにはヘンデルを凌ぐ作曲家がいなかったのです。
ライバルの多いドイツにいるよりも、大切にされ、尊敬されること。
そして、優れた音楽家は少ないけど、
生活水準や文化度の高いこの国には、
ヨーロッパ中の音楽が入ってくること。
これが、ヘンデルがイギリスに帰化した本音でしょうね。

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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