DAIWA HOUSE Secret Notes

2018/05/07

エリック・サティ 奇人変人伝説-1-

今週は、BGMさりげなく聴こえてくる
エリック・サティの音楽を、彼のエピソードと共に、お届けしていきます。

奇人・変人には事欠かない古今の音楽家たちの中にあっても、
圧倒的な変わり者として、
誰もがみとめているのが、エリック・サティ。
「大げさなロマン派の音楽」とか「形式が優先される古典派の音楽」
などを嫌った彼が理想としたのは、
伝統的な和声や調性を無視したシンプルな小品でした。

サティの変人伝説は、数えきれないほどありますが、今お届けしている
おなじみの名曲「ジムノペディ第1番」にも、
変人エピソードが残されています。
この曲を含む「3つのジムノペディ」は、
1888年、サティがまだパリ音楽院に在学中の22歳の時の作品です。

で、そのエピソードですが、サティはこの頃、
出入りしていたカフェ「黒猫」のピアニストとして雇われました。
このお店はアーティストたちのたまり場。
しかし、アクの強い人たちの中にあっても、
サティの変人ぶりは、ひと際目立っていました。

まだ作曲家としての実績もないのに大口をたたき、
自作の「ジムノペディ」について、周囲の人に熱く語っていたそうです。
ところが、実際に決めていたのはタイトルだけ。
「そんなにいい曲なら、ここで聴かせてくれよ」 
「いや、まだできてないのだけどね」
そんなところでしょうか。
からかいも込めて、
サティは周りの人たちから「ジムノペディスト」と呼ばれていました

でも、結果的に「ジムノペディ」は、後世に残る名曲として完成。
この頃知り合って、仲良しになる4歳上のドビュッシーは、
この1番と3番を気に入り
オーケストラにアレンジしました。

ドビュッシーが他人の作品を編曲したのは、後にも先にもこれだけ。
感謝したサティに対して、ドビュッシーもさすがクセモノ。
こう言い放ちました。
「まあ、それほど評判になるような曲だとは思わなかったけどね」。

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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