
斬新な音楽に加え、
華やかな女性遍歴でも多くの伝説を残したドビュッシー。
関わった女性はたくさんいますが、
必ずしも恋愛関係ばかりではありませんでした。
彼にピアニストへの道を開いたモーテ夫人、
そして、貧しい学生だった彼を
プライベートなピアニストとして雇ったメック夫人など、
恩人たちも忘れてはいけません。
今日ご紹介するのは、このメック夫人とのエピソード。
ナジェージダ・フォン・メック。通称メック夫人。
音楽史ではチャイコフスキーのパトロンとして知られている人です。
鉄道王の未亡人として、莫大な財産を相続。
音楽が大好きで、将来性を期待した、若手作曲家チャイコフスキーに、
10数年に渡って、多額の年金を贈り続け、独り立ちを助けました。
そのメック夫人。有り余るお金と暇をこんな風に使っていました。
毎年、子供達やたくさんの使用人を従え、
ヨーロッパ各地を巡る、大名旅行。
そこには趣味の音楽を楽しむために雇った、
何人かのミュージシャンもいました。
その一人として同行したのがドビュッシー。
貧しい彼にはいいアルバイトだろうと、
音楽院の教授が世話をしてくれたのです。
18歳から3年間、毎年夏の3か月ほど、
メック夫人の旅のお供をしたドビュッシー。
知らない世界の音楽に触れることもでき、
たくさん曲が生まれたと回想しています。
現在残っているドビュッシーの、
最初のピアノ曲「ボヘミア風舞曲」も、
1880年に旅先のフィレンツェで書かれました。
ドビュッシーに対しては、作曲よりも
ピアニストとしての実力を買っていたメック夫人でしたが、
この曲は、とても気に入り、チャイコフスキーのもとに送られました。
チャイコフスキーから高い評価は貰えませんでしたが、
これについては、基本的に二人の音楽性が違っていたので、
仕方ないでしょうね。
ちなみに、惚れっぽいドビュッシー。
この旅行の間はどうだったかといいますと、
メック夫人のお嬢さんの一人に恋していたとか...
幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。