DAIWA HOUSE Secret Notes

2018/03/26

ドビュッシーと女たち-1-

昨日3月25日に
没後100年を迎えたフランスの作曲家、クロード・ドビュッシー。
新しい音階や和声を使い、時代を切り開こうとした彼と、
その人生に関わった女性たちに注目します。

常に女性スキャンダルに付きまとわれていたドビュッシー。
もちろん、恋愛以外でも、彼に大きな影響を与えた女性もいました。
その一人、ドビュッシーの才能を見つけたモーテ夫人。

ビュッシーは1862年、
パリ近郊の町サン=ジェルマン・アン・レイで生れました。
陶器を扱うお店を開いていた両親は、音楽とは縁のない家系。
最初にドビュッシーの才能に気付いたのは、伯母のクレマンティーヌでした。

1871年のパリ・コミューンで、愛国心の強い父親は、
国民軍の兵士として、政府軍と戦い、捕らえられ、監獄に入れられます。
そこで、出会ったのがシャルル・ド・シブリーというシャンソン作曲家。
父が息子ドビュッシーの音楽教育について、シブリーに相談したところ、
彼はショパンの弟子だったという、自分の母モーテ夫人を紹介します。
早速、モンマルトルにあるモーテ夫人の家に通い始めた、
9歳のドビュッシー。

彼女はショパンの練習システムを駆使して、彼を熱心に指導。
わずか1年で、5倍の競争率だった名門パリ音楽院のピアノ科に、
合格させてしまったのでした。
それまで、大人になったら船乗りになると言っていたドビュッシーの夢は、
音楽家へと、大転換を遂げたのです。

モーテ夫人は小柄でポッチャリとしてて、包容力のある優しい人。
彼女の家には、自分の娘夫婦が居候していました。
その娘の夫が、後に有名になる詩人ポール・ヴェルレーヌ。
ドビュッシーがこの詩人に影響を受けたことは、言わずもがな。
ヴェルレーヌの「月の光」をもとに、
ドビュッシーは歌曲とピアノ曲を残しています。

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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