DAIWA HOUSE Secret Notes

2017/06/19

フェリックス・メンデルスゾーンの物語-1-

今週お送りするのは、ドイツ・ロマン派の
作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンの物語。
結婚行進曲を作曲した、あのメンデルスゾーンです。

本名は、
ヤーコブ・ルートヴィヒ・フェリークス・メンデルスゾーン・バルトルディ。
天才の誉れ高く、家は大富豪と、人一倍境遇が恵まれていた彼にとっても、
どうにもならない問題がありました。
その答えの一つが「バルトルディ」。
彼の生きた時代、そして死後にわたって、彼は長く不当に扱われていたのです。

父は銀行家として一代で成功した大富豪。
そして長男として生まれたフェリックスは音楽の神童。
これだけカンペキなら、まさに「バラ色の人生」を歩めるはず。
しかし、彼は「ユダヤ人」という、ただ一つの拭い去れない理由によって、
生きている間だけでなく、死後100年にわたって、
いわれなき差別を受けてきたのでした。

ユダヤ人を嫌うドイツ社会の中で、苦労を重ねてのし上がった父親が、
ドイツ社会に溶け込むためにしたことは、ユダヤ教からキリスト教への改宗。
そして苗字をメンデルスゾーンから「バルトルディ」に変えたことでした。
父親は息子にもメンデルスゾーンの名を捨てさせようとしますが、
彼はこれを拒否。
「芸術の世界は、人種で差別するような世界ではない」
という信念と誇りを貫きます。

そんなフェリックスが最も愛したのはドイツの町、ライプツィヒでした。
彼が敬愛し、復興させた
ヨハン・セバスティアン・バッハが暮らした街。
差別もほとんどない街でした。
彼は26歳で当地のゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に招かれ、
短期間で一流楽団に育てる一方、
34歳の時には音楽院を開校し、院長に就任。
彼を慕って、世界中から生徒もやってきました。
1847年、この地で亡くなった彼を讃え、
1892年にはゲヴァントハウスの前に、
記念碑が建ちます。第2次大戦中はナチスによって撤去されましたが、、
1892年、メンデルスゾーンの生誕200年を記念して、再建されました。

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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