DAIWA HOUSE Secret Notes

2017/01/25

没後10年 愛された名テノール ルチアーノ・パヴァロッティ-1-

今日は、彼を語る上で忘れてはいけない、「3大テノール」のエピソード。

1980年頃には、世界中でスーパースターの座に就いていたパヴァロッティでしたが、
なぜか、日本ではそれほど騒がれませんでした。
ガラリと変わったのは「3大テノール」の企画が大当たりした90年代に入ってから。
ちょっとユーモラスな彼の風貌と、想像を超えた声と歌いっぷりが、
私たちの心を捕えたのです。

三大テノールのライヴ。
メンバーはパヴァロッティと2人のスペイン人歌手、
プラシド・ドミンゴとホセ・カレーラス。
クラシックの大掛かりな企画として、これほど大成功したものは珍しいでしょうね。

きっかけはチャリティー。1990年のことでした。
白血病を克服したホセ・カレーラスが、感謝を込めて、
白血病患者支援財団への基金を目的としたコンサートを提唱。
これにパヴァロッティとドミンゴが協力を申し出たことで、実現にこぎつけます。

ちょうどイタリアでのワールドカップ・サッカーの開催直前だったことから、
前夜祭イベントとなり、会場に使われたローマのカラカラ浴場は、熱狂の渦!
以後「3大テノール」は、ワールドカップのたびに開催され、
2002年の日韓共催の時まで続きました。
もちろん、ワールドカップ以外でも世界各地で「3大テノール」は行われ、
公演回数は30回以上を数えました。

「高音と美声」のパヴァロッティ。
「表現力と演技力」のドミンゴ。
そして「気品漂う」カレーラス。
個性がうまく絡み合っていた上に、いずれもバリバリのトップ・テノール。
この3人を同時に楽しめるゴージャス感。
そして、オペラだけでなく、ポップスや民謡なども聴ける。
「3大テノール」の成功のヒミツは、この辺りにあったのではないでしょうか。

西村由紀江 (ピアニスト/作曲家)

幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジ ア諸国への演奏旅行に参加し、絶賛を博す。
桐朋学園大学ピアノ科に入学と同時にデビュー。
年間60本を超えるコンサートで、全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」も行っている。

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