「江戸時代、火消しやとび職人がタトゥー(刺青)をしていたわけ」 (お話:WEBサイト『タトゥーフレンドリー』運営 川崎美穂さん)
そもそも絵を身体の装飾として作っているのは江戸の後期位
に発展したんですね。その頃っていうのは江戸時代の浮世絵
文化と同時に発展してて丁度栄えた庶民の娯楽というか庶民
芸術の中には歌舞伎や文楽とか講談であったり同じ頃栄えた
庶民文化の一つに彫り物があって、それは江戸時代の街に
暮らしていた鳶職の仕事をしていた人達は、鳶職をしながら
火消しになって、その人たちに彫り物があり、江戸の街では
ヒーローだったんですよ。浮世絵を見ると江戸のヒーローとして
歌舞伎役者さん達と一緒に火消しの人たちの浮世絵が残ってる
のが証拠なんですが、同じ街の中で発展したものなんです。
江戸末期は日本が変革期を迎える頃で全て明治に変わる時に
今までの古い習慣は捨てましょうと、髪の毛切りましょう、
洋服着ましょう、靴履きましょうとか生活のスタイルを西洋
化する事が国の課題にあって、彫り物とかも他の国から来た
人に見られて野蛮だと思われたら困るからという事でゆるやかな
僅少をされるんですよね。そこから僅少されるということは
アウトローですよね、法の外のものとして扱われる事になるん
ですが、やはり今だに鳶職の伝統のおたくの方には代々彫り物
してる人もいますし、火消し活動するなら彫り物が無いと映え
ないなという人たちもキチンと残っているんですよ。当時、
質素倹約というもの、豪華なものを身に着けてはいけないとか、
そういったものを幕府から言われてたんですね。それを逆手に
取るような形っていうのがまず1つあって、着物の表は地味だけど
裏がすごい派手とか、見えないところにおしゃれするとかっていう
おしゃれって部分もあるんですが、命をかけて火に飛び込む、
自分の体を使うってことで自分の身分の証明にもなりますし、
例えば火消しの人たちが緩やかな身分制度があったので武士に
なったりはしないじゃないですか。だから自分の所属している
環境に誇りを持つ事を大事にしていて、勢いとか男らしさとか
そういったものの象徴として火の中に飛び込んでいって目立つとか、
というので、彫り物というのは無ければならないもの:鳶になるには
必ず入れなければならないもの、火消しになるなら無かったら
おかしいよねというのが常識だったんですよ。
選んでください。