運転の楽しさやドライブのコツを伝授!オススメドライブスポットもご案内します

BMW Tokyo DRIVING DAYS

BMW Tokyo

Aug. 10 2018

馬場康夫さん PART2

クルマ、ドライブにまつわるライフスタイルを提案していくコーナー『BMW Tokyo DRIVING DAYS』
毎回、クルマ、ドライブのエキスパートが登場して、その楽しさを伝えてくれます。

今週も『私をスキーに連れてって』や『波の数だけ抱きしめて』などの映画を制作し、数々の若者文化を生み出してきた『ホイチョイ・プロダクションズ』の代表取締役社長・馬場康夫さんが登場。今回はバブル期のお話について伺いました。

◆車は「女の子を喜ばせるツール」
バブル期に大きな影響を与えたのが、1983年の東京ディズニーランドの開園です。それまで家族がよく行く場所だった遊園地にカップルが多く行くようになり、企業が若者をターゲットにしていきました。ゴルフ場、テニスコート、スキー場やヨットハーバーにお金がかけられ、カップルでないと楽しめないような施設が次々と誕生していきました。しかも当時は漫画界がラブコメ全盛期。テレビ局も恋愛ドラマを多く放送し、人々が「カップルじゃないと人生楽しくない!」と思うようになっていたそうです。
車は「女の子を喜ばせるツール」として使われ、横浜ベイブリッジやレインボーブリッジ、幕張にららぽーとスキードームSSAWSができると、多くの人が車で駆けつけました。
馬場さんがある日地下鉄に乗ると、一つの車両にルイヴィトンのバッグをもった人が20人以上いたこともあるそう。「誰もが、価値をあまりわからずに高価なものを持っていた時代。外車に乗っている人も多かったんです」と教えてくれました。

◆バブル期の「女の子にモテるノウハウ」とは?
新しいデートスポットができると、若者がこぞって駆けつける時代。その場所のまわりの夜景が綺麗な場所や、海辺などの情報にも詳しくなっていったのだそうです。
馬場さんも、晴海埠頭から東京方面を見たり、「レインボーブリッジが一番綺麗に見える場所」といった情報をメモしていたのだそう。当時は便利な道や橋ができておらず、台場にあるウィンドサーフィンの基地に行くのも一苦労。今ではレインボーブリッジを渡ってすぐに行けますが、当時は遠回りをする必要があったので、そのノウハウを持っていることが重要だったそうです。大井埠頭の先に羽田空港が見えるスポットがあり、そこで女の子と飛行機を見ながら、「いつかヨーロッパでも行こうか…」という話をしていたという馬場さん。「言ってて、バカだね!」と当時を懐かしく振り返っていました。
「当時は景気が良いとは思っていなかったけど、 遊びにお金を使っていなかった若者が、お金を使うようになっていた時代ですね」と教えてくれました。

バックナンバーはこちらから