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当番組のPodcastは・・・
毎週日曜日の午後8時に最新版を
アップしています。
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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--- 最初は、ずっこけました ---
テーマは「ダラス」
初めて訪れたのは、1990年
35年を経て思い返す留学先の「ダラス」
KAWASAKIのバイク、Levi’s 501XXとWrangler
エルムストリート、サザンホスピタリティ
州都はオースチン
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや
思い出の“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
そして、旅の話だけでなく、仕事、進路、
人間関係から恋愛、夫婦・親子関係まで
全ジャンル、全テーマにご対応!
曲のリクエスト、選曲オーダーにもお応えします。
番組サイトの「MESSAGE TO STUDIO」から
“お便り”を送信してください。
MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Tomorrow Wendy / Concrete Blonde
Show Me / Joey Bada$$
Standing Outside A Broken Phone Booth With Money In My Hand / Primitive Radio Gods
Gone Baby, Don't Be Long / Erykah Badu
疲れない人 / フィッシュマンズ
She Just Likes To Fight / Four Tet
The Truth Is / Σtella
Extended Souvenir / Orchestral Manoueuvres In The Dark
Lovers' Carvings / Bibio
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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「ダラス」というとテキサス州の大きな街です。皆さん結構、「ダラス」だと思ってる人が多いみたいなんですがテキサス州の州都は「オースティン」で、ダラスはなんですかね、経済とか商売がメインで、日本で言ったら大阪みたいな感じなんでしょうか。1つの日本を州だとすると、僕が交換留学生として最初にダラスに行ったのが1990年のことですから、もう35年も経ってしまったのかということに衝撃を受けてしまいました。自分がダラスに行った時、知っていることと言えば「ケネディ大統領暗殺事件」ぐらいで、それが起きたのが1963年ですから、当時、そのダラスに着いた時にケネディ暗殺事件ってもう27年前のことか、とんでもない昔だなと感じたわけですが、その27年よりはるかに長い時間が自分が行った時から経ってしまった・・・それに気づいただけで、自分がいかにじじいになってしまったのかという事実に震える思いがします。ダラスの国際空港というのは隣町のフォートバースにあります。なので、行こうとすると「ダラス/フォートワース」という表記を見かけることになると思います。「なんだこれ?」って思う人も多いと思いますけど、僕はフォートバース空港に着いて荷物を受け取り、一人向かった出口に口ゲを生やしたおじさんと連れのおばさん、そして背の高い真っ白な10代の男の子が立っていたのを今でもよく覚えています。あれが俺のホストファミリーのお父さんとお母さんか。連れはずいぶんと似てないけど息子さんかな?連れ子?と思いながらはい、「Mam and Dad」と言ったら「違う」と言われて、ずっこけたこともよく覚えています。ホストファミリーがなかなか決まらないので、とりあえず迎えに来たその団体の役員と、その家にいたフィンランド人の交換留学生だったのです。日本からアメリカに向かう総勢500人もの留学生は全員、日本を立つ前からホストファミリーが決まり、手紙をやり取りしているのに決まっていないのは自分だけ。あまりの自分の不人気ぶりに、さすがに悲しい気持ちにもなりましたが、それが僕の最初のダラス経験でした。結局、その人たちが連れて行ってくれた一週間だけ僕を預かってくれるという家族が僕を一年間、家に住まわせてくれたのですけども、その家はダラスから車で小一時間ほどの所にありました。小一時間と言ってもほぼフラットな土地に車線の多いハイウェイを百何十キロでぶっ飛ばしてですから距離としては結構あったと思います。僕が住んでいた街は人口1700人の小さな街で、ちゃんとしたスーパーすら無く、買い物は走って2、30分の隣町に行っていました。テキサスにはそうした小さな街が無数にあって、皆、近場の大きな街に買い物に行くのが普通だったんです。
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テキサスには色んな工場があって、僕のホストファミリーのお父さんは「TI」という半導体とか計算機で有名な会社の工場で働いていました。朝、KAWASAKIのバイクにまたがり、お昼に食べるサンドウィッチひと切れと1日かけて飲む薄いコーヒーを入れた、ぼこぼこになった大きな水筒だけを持って、朝出勤して、夕方、同じ時間に帰って来て、お祈りをして、夕飯を皆で食べる。遊びに行くことはなく、趣味はたまの釣りだけ。無口でしたが、とても暖かい人でした。僕の街にはそんな人たちが多かった気がします。テキサスというと共和党寄りの特に白人が多くて、通称「レッドネック」なんて呼ばれたりしますが、そういう感じが一般的なテキサスのイメージだったと思います。カウボーイだらけなんじゃないのとか。まぁ僕がいた時は多かったですけどね。学校行くと半分はウェスタンブーツを履いて、ラングラーのジーンズを履いて、ハットを被っている。リーバイスじゃないんですよ、テキサスは。ラングラーです。リーバイスは本当の労働着で、おしゃれと言いますか、教会に行ったり、結婚式、お葬式、そんな時はみなラングラー。それもアイロンでプレスかけて、センターを出して履くみたいな履き方です。前もこの番組で言った事がありますが、僕はテキサスに行く時に一番舐められない、自分が最も気に入っているオシャレな服で行こうと思って、リーバイスの501、それもXXという今はブームになって100万とか200万になっちゃってるデニムですけども、それを着て学校に行ったんですよ。「おまえの実家はすごい貧乏なのか?」とか「ブルーカラーのジャパニーズが来た」って言われて履くに履けなくなりましたけどね。ダラスに遊びに行くようになったのは向こうに行って2、3ヶ月経ってからのことだった気がします。生活に慣れて、友達ができて、同じ音楽が好きだったりなんだったりでつるむようになってからです。とにかく、何か大きなバンドがライブをテキサスでするっていうとダラスまでドライブして見に行きました。本当にその時は嬉しくって、「都会に行くぞー!」っていう感じで。特によく行ったのが映画とは関係ないですが「エルムストリート」という道があって、そこによく行きましたね。「ディープ・エルム」なんて言って奥の方がそう呼ばれていましたけど。ライブハウスがあったり、古着屋やレコード屋があったり。渋谷で毎日うろうろしていたような生活から突然、人が道を歩いていないような小さな村のような所に住み出したので、ダラスに行くという日の前の晩から気分はウキウキしていたものでした。特に古着屋。1軒だけ、まるで日本の古着屋のようにリーバイスの古いものとかワークウェアを売っている店があって、行ったら「お前、やたら詳しいな」となって、仲良くなったり。だから断言します。ダラスは良い街。テキサスの人たち、「テキサン」と言いますけども良い人が多いです。最初は確かにとっつきにくいっていうか、「ザ・アメリカン」って言うか、なまりも強いですし話が合わなそうだなって思う人が多いかもしれませんが、知り合うと本当に優しいんですよ。日本より大きな面積を持つテキサス、「サザン・ホスピタリティ」って言いますけども、ハートもとっても大きな人が多いと思います。なので、すごくオススメですが、この番組を聴くリスナーさんは音楽好きが多いと思うので、州都である「オースティン」にもぜひ行機会があれば行ってみてください。音楽だらけの街で、今、若い人もすごく増えてますし絶対に楽しめるはずです。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。


