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Let's travel! Grab your music.
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『TRAVELLING WITHOUT MOVING』・・・
「動かない旅」をキーワードに旅の話と、
旅の記憶からあふれだす音楽をお届けします。
ナヴィゲーターは世界約50ヶ国を旅した野村訓市。
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#540 --- 久々に、帰りたい! ---
訓市が高校時代の1年間を過ごした
「テキサス」について語る。
高校の時、最初に仲良くなった友達と
過ごした楽しかった日々・・・
その思い出あれこれ
SNSで繋がった彼が来日!
数十年ぶりに東京で会って思い出話に花が満開!
「お前はテキサスの男」と言われた所以とは?
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引き続き、毎週1名の方には、
「500回オンエア記念Tシャツ」をプレゼント中!
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当番組のPodcastは・・・
毎週日曜日の20時に最新版をアップします。
こちらも聴いてください〜
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「旅」と「音楽」に関するエピソードや思い出の
“お便り”をお待ちしています。
「旅先で聴きたい曲」のリクエストも大歓迎!
手紙、ハガキ、メールで番組宛てにお願いします。
番組サイトの「Message」から送信してください。
訓市がセレクトした“お便り”の中から
毎週1通を厳選して、
「番組オリジナルTシャツ」をプレゼント!
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宛先は・・・
〒106-6188
株式会社 J-WAVE
TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING 宛
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MUSIC STREAM
動かなくても旅はできる。
ミュージック・ストリームに
身をゆだねてください。
Bell Bottom Blues / Derek & The Dominos
Moon Song / Phoebe Bridgers
Phantom Limb / The Shins
Strangers In The Night / Frank Sinatra
つぎの夜へ (12" Extended Remix) / ゆらゆら帝国
Don't Worry Baby / Big Star
Everybody's Talkin' / Harry Dean Stanton
She's Leaving The Bank / Ry Cooder
Sandusky / Uncle Tupelo
ON AIR NOTES
どんな会話を交わしたのか。
何を見たのか、何を聞いたのか。
その音の向こうに何があったのか。
KUNICHI was talking
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テキサスという言葉を最近ニュースで聞くことが増えてきました。そんな気がします。皆さんのテキサスのイメージってどんなものでしょうか。多分あまり皆さん知らなくて、「カウボーイがいそう」とか「みんなハットとか被ってそう」とか、もう少し行くと「白人の保守派が多いんじゃないか」とか、そんな感じじゃないでしょうか。ところが、最近はまるで変わってきているそうです。税金面を優遇したりしてテスラや名だたるIT企業がこぞってカリフォルニアから引っ越してきていて、今は人手も多いらしく景気が良いというか、ものすごく盛り上がってる州の1つらしいんです。もともと石油も採れますし、アメリカではアラスカに次ぐ大きな州です。僕が高校の頃、1年間の交換留学へ行った時っていうのが1990年なんですが、まさにカウボーイとか白人ばかりで、皆が日曜日に教会に行く「バイブルベルト」と呼ばれる宗教心にあふれた地帯の中心地でした。何で急にテキサスの話をするかというと高校の時に最初に友達になってくれた人が東京に来て、31年ぶりに会ったからです。僕は留学先にテキサスを選んだ訳じゃありませんでした。むしろ、カリフォルニアとかニューヨークなどの都会に行ってスケボーしたり、かわいいお姉ちゃんを見たりというアメリカンライフを満喫したいと勝手に夢見ていました。そして、絶対に行けると信じていました。けれども、自分の受けた留学団体というのは半分公的で費用がものすごく安いもの。ボランティアで子供を無償で1年間預かるホストファミリーが日本から送られてきた履歴書を見て、この子を引き受けると決まった瞬間に行き先が決まるので、場所をこちらが選べないものだったのです。当時の素行不良の学生は親が金を積んで、とりあえず対面を繕うためにどこかの私立に留学させるというのが定番だったのですが、素行不良の学生が交換留学制度で海外に行くというのは僕の前まで無かったらしいんですね。けれど、これ以上親にはお金を頼めない。でもアメリカには行きたいという僕にとって、これしか行く手立てがなかったんです。そして、出発前に自分ではかわいい写真と思って送ったプロフィールの写真がですね、どうも全くウケずにどのホストファミリーも選んでくれず、成田を出発してサンフランシスコ、デンバー、ダラスと乗り継いで、最終的に「君のホストファミリーをテキサスで探すから、見つかるまでボランティアの家に泊まれ」ということで、白人しかほぼいない街にたどり着いたのです。その家族がとても良い人で、「団体から聞いたほど君は悪い子に見えない。1年ここに住む?」と言われて、窓も無い物置部屋のような部屋で1年を過ごすことになりました。渋谷あたりを毎晩うろついていたのが、突然、虫の鳴き声しか聞こえず、静かすぎて寝られなかった最初の1週間。小さなガソリンスタンドと食堂以外何も無い目抜き通り。1日2回だけ通る貨物列車。ものすごく大きな空と、うねりながら平坦に続く乾いた土地。学校が始まる前に始まったアメフトの練習で僕はテキサスがどんなところかを理解しました。カウボーイのような格好が多く、本当にカントリーを聴く人が多いんだということを。
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そんな環境で学校が始まり最初に仲良くなったのが、その先日、31年ぶりに会ったデイブでした。僕が行く1年前によその街から引っ越してきた、ちょっと変わった奴でした。馴染んでいないのか、周りとは違う音楽を聴いていました。ニューウェーブやらインディロックにパンク。音楽の話をしているうちに仲良くなって、やがて車好きの義理のお父さんが作った55年製のシボレーで僕を迎えに来てくれたり、色々と連れて行ってくれるようになりました。隣町のモールにあった映画館でもぎりのバイトをしていたデイブは、よくそこに連れて行ってくれました。マネージャーをしていたドムという年上の男はとても良い人で、「お前、デイブがバイトしてる間にタダで映画を観ていいぜ」と入れてくれるようになって、僕はデイブがバイト中、タダで貰ったポップコーンとソーダを抱えて映画を2本立て続けに見て一緒に帰る、なんていうことをよくしました。僕は渋谷の小さなバーで彼と待ち合わせをしたんですが、気付くとドアが開き、髪の薄くなった大男が立っていて、一瞬誰だか分かりませんでしたけど、昔と変わらない目を見て「ああ、デイブだ」となり、2人無言でハグをしたあとに長い話が始まりました。自分は忘れていたんですけども、僕が教えて必ず読めと言ったジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード〜路上』を読んで、高校卒業した後はアメリカを放浪したというデイブ。やがてアラスカに腰を据えて、家で奥さんと映画を見ようと『ロスト・イン・トランスレーション』を見た時に、僕の低い笑い声に気付いて目を凝らしてみると、次のシーンで顔が見えて、やっぱりクンだとなったと。それでFacebookで連絡してきてくれて、別れて以来初めてメールをやり取りしたのがもうずいぶん前のことになります。アメリカ大陸を出たことがない彼が人生初めての長距離フライトに乗って日本に来てくれたのは「クンに会うためが大きな理由だったよ」と言われて、僕はとても胸が熱くなってしまいました。僕はウイスキー、彼は初めての日本酒を飲みながら色んな話をしました。昔のクラスメイトのことや長距離ドライブで何を聴いていたかとか、一緒に見に行ったバンドの話やテキサスの家族のこと。ほんとに小さなバーだったんですけど、僕の頭の中にはもう当時のテキサスの光景しか浮かびませんでした。白人だらけで人種差別やジェンダーに対して、今と比べると無頓着と言えるような時代に1年過ごしたテキサス。まあそんな人もいましたけど、長く過ごすと実はアツい人が多くて、なんだかんだ懐に入るととても優しい人が多かったことを思い出します。デイブもその1人でしたけど…。僕が日本に帰る時、校長がこれを持って行けとくれたのがコンフェデレーションフラッグだったことを思い出しました。それは南北戦争の時の南軍の旗で、今では人種差別の象徴として掲げたら大問題かもしれませんし、あんまり見せられないものになってしまいましたが、それをくれたのは「お前はもうテキサスの男で、一生ここにいたことを忘れるな。お前は日本人で、俺たちの街唯一のアジア人だが、これからはテキサス人であることを忘れるな」という意味でしたし、実際にそう言われました。今の基準に合わないプレゼントかもしれませんけど、その心意気は決して差別じゃない。そんなことを思い出してるうちに、「テキサスに今年こそは帰りたいな」と、そう思った夜でした。
野村訓市
1973年東京生まれ。幼稚園から高校まで学習院、大学は慶応大学総合政策学部進学。
世界のフェスティバルを追ってのアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。世界86人の生き方をたったひとりで取材した「sputnik:whole life catalogue 」は伝説のインタビュー集となっている。
同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在は「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、ブルータス等の雑誌などで執筆業も行う。


