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中田英寿の旅 茨城 漆

にほんのほんもの=にほんものの声を聴く。
中田英寿さんの旅の模様をお送りするこの番組。

今週は伺ったのは、久慈郡大子町です。
栃木県と福島県に隣接する大子は
町の中心に一級河川の久慈川が流れ、
男体山を始めとする山々に囲まれています。

日本三名瀑の一つに名を連ねる袋田の滝や
奥久慈温泉は観光名所として長く親しまれてきました。

そんな大子町で訪ねたのは漆かき職人の飛田祐造さんと
お弟子さんの益子玉江さんです。

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漆と言えば、お箸やお椀など、
毎日の食事に欠かせないものですよね。

その歴史は古く、昔から塗料として重宝されており、
奈良時代から国が保護をして育ててきたという歴史があります。

そもそも漆とは木の樹液。
木の表面にナイフのような道具を使って傷を付け、
そこから流れ出た液を採っていきます。

漆かき職人の飛田祐造さんは、1936年生まれの84歳。
大子町の山奥の人里離れたところで育ち、
中学を卒業して農業や林業の職についたあと、
17歳の時に漆かき職人の道に進みました。

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飛田さん、益子さんに地域の歴史のお話を伺うと、
元々、若干ながら自生した木もあったものの、
お嫁に来た頃は一面が蒟蒻畑だったのだとか。
畑を捨てて勤めに出た時期には荒れたところから
土地を整え、漆畑になりました。

この地域では、職人さんそれぞれが自分の畑をもっていて
漆の木を植林しながら作業されています。
飛田さんは今も現役で、最盛期の夏には朝の4時頃から畑に出て
暗くなるまで作業されているということです。

お弟子さん、益子さんの漆かき歴は10年。
お茶を学ぶうちに自分で漆を塗った器でおもてなしできれば
最高に楽しいと思い、趣味で始めたのがきっかけだったとか。
今では“塗る”よりも“掻く”ほうが本職になっています。

実は漆の生産量が全国2位という茨城。
最盛期の昭和35年頃は茨城が生産量1位で、
大子町だけでも漆を掻く人が1万人近くいたと言われています。

今で大子町の漆掻き職人は飛田さんをはじめとする10人。
飛田さんが会長を務める、大子漆保存会では
メンバーが植林活動をして、
漆の木の保護と、漆かきの伝承を行っています。

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大子の漆は誰もが欲しがる優秀な樹液と言われるほど上質。
一時は価格が安い事から98パーセントが中国産だったそうです。
日光東照宮の修復の際、外国産は5年で剥がれてしまったけど、
国産は30年経っても剥がれ落ちない、という差もある事から、
文化庁は2015年、国宝や重要文化財を国の補助事業で行う場合、
国産の漆を使うように通達を出したとか。

昨年焼き落ちてしまった沖縄の首里城や京都の金閣寺など、
誰もが知る文化財の修復にも、国産の漆が欠かせないものになっています。

自然災害による被害で
毎年新しい修復作業があるので
漆の需要は減らないだろう、という事でした。

漆かき職人の仕事は、その土地に適した品種の中から
育ちのいい個体の根を選んで、畑に植える作業から始まります。

漆を掻けるように木が成長するには10年の歳月がかかりますが、
1本の木で採れる量は牛乳瓶1本程。
時間をかけて育てた木も、一度掻いたら漆が取れなくなるため
伐採することから職人一人あたりで、
常に3,000本から4,000本の木を植林し続けることが必要になります。

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職人さんによって 品質にも大きな違いがあり、
飛田さんが掻いた漆は、きれいな山吹色になることから
「リッチゴールド」とも言われています。

漆の職人さん、そして原料になる木も減り続けていますが、
日本で漆掻きの道具を作っているのは
青森県で鍛冶屋を営む中畑さんという方だけなのだとか。

大子町の漆かき職人の第一人者である飛田さんは、
上質な大子漆を絶やさぬよう、植林活動を行い
後進を育成しながら、84歳となった今も現役で活動されています。

その長年にわたる功績により、黄綬褒章を受賞されました。

継続して一筋にやってきたのが一番の誇りであり、
自然に体を慣らせてきたので、今も健康そのもの。という飛田さん。

普段何気なく使っている漆器、そして旅先で目にする文化財。
その姿形を守る漆にはこんなストーリーがありました。