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漫画家・久保ミツロウに突然かかってきた運命の電話

漫画家・久保ミツロウに突然かかってきた運命の電話

J-WAVE平日夜の番組「School TV DREAM TRAIN」(ナビゲーター:秀島史香)。今週は漫画家の久保ミツロウさんが登場。4月18日(月)のオンエアでは、漫画家になったきっかけについてお話をうかがいました。

漫画家といえば、今やCOOL JAPANの担い手でもあり、一攫千金の夢もある人気職業。ドラマ化、映画化もされた「モテキ」をはじめ、多くの作品でおなじみの久保ミツロウさんはどんな子ども時代だったのでしょう。
 
「小学校に入る前から絵を描いていた記憶もありますし、絵を描くことによってチヤホヤされてきた感じですね。小学1年の頃には『クラスで一番、久保さんが絵うまいよね』って言われていました。他の人からも『絵を描いて』って頼まれていて、絵が描けることでバカにされることは一度もありませんでした」

そんな久保さん。ある日、漫画を描くための道具と出合うことになります。
 
「おじいちゃんが亡くなったときに、書類を書くためのインク壷とつけペンを見つけたんです。『これは漫画が描けるペンと一緒だ』と思ってガリガリ描いたり、お年玉も画材を買うことに費やしたりして、中学生のころにはペン入れしていました。すでにストーリー漫画も描いていたので、自分は漫画を描く仕事をするんだろうなと無意識に思っていました」
 
漫画家を志望していたとはいえ、クラスのみんなから「そのまま漫画家になると思われるのもしゃくだから」という理由で、小学校の卒業文集には「公務員になる」と書いたそうです。

「漫画家になるには、投稿した漫画が何かの賞を受賞して、漫画家になる道が開けるっていうのが一番メジャーなのですけど、私は中途半端に描いていただけだったんです。それで高校3年生のときに一気に作品を描いて投稿して応募しました。これは良い賞がとれて何十万も賞金がもらえると思っていたのですが、受賞したのは2万円くらいの期待賞で…あれ? まだダメなのかな? と」

そこでパッタリと手が止まったまま高校を卒業してしまった久保さんは「絵は描けるけど、田舎にいたら漫画家になるのはまだ遠いな」と思いつつ、ファミレスでバイトをする日々だったそうです。

「高校を卒業して3カ月くらい経ったころに、電話がかかってきたんです。男性の漫画家さんで、私はその先生の連載を読んでいたので、あの漫画家さんがなぜウチに電話をと思ったら、自分が原作を書くから、漫画を描いてくれる人を探していると。投稿作品をいろいろと見た中から、私の絵がうまいと思ってくれたそうで、電話をかけてきたとのことだった。しかも、200万円を出すから東京へ来ないかと。読んでいた漫画家さんだけど、本人と会ってみて、ダメだったらすぐに帰ってくればいいかと思ったんです。それから1カ月くらいで上京しました。高校を卒業した年の夏のことでした」

地元でアルバイトをしながら「このままではいけない」と悶々を過ごす日々を送っていた最中、突然の電話が。この続きは4月19日(火)放送の「School TV DREAM TRAIN」
に続きます。

【関連サイト】
「School TV DREAM TRAIN」
https://www.j-wave.co.jp/original/dreamtrain/
 

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