きょう ピックアップするのは、パトリック・エムボマ!
Jリーグがいよいよあす開幕!ということで今週は、Jリーグを盛り上げてくれた名選手!エムボマをピックアップ!
覚えてます?ガンバ大阪での活躍が思い出深いです。「浪速の黒ヒョウ」とも呼ばれていました。、1970年11月生まれ。45歳。日本に来るまで、どんな道のりだったのか? エムボマさん、カメルーンで生まれて、2歳でフランスに渡ります。 なので、フランス代表の資格もあったようなんですが、結局、エムボマは 母国カメルーンの代表を選びました。
クラブは、パリ・サンジェルマンに所属。ただ、出場機会に恵まれずに、ローンに出されます。簡単にいうと、他のクラブに貸し出されたわけですね。そこで、結構な活躍をするんです。しかし、パリ・サンジェルマンに戻ってきたら、ポジションがない。エムボマは悩んでいました。そんなとき、帰宅すると、奥さんがこう言いました。
「あなたに電話があったわ。ちょっと遠い国だけど、今より給料はいいし、行く気はないか」って。
エムボマは、「日本だ」と直感しました。友達は止めたそうです。「キャリアの大事な時期に、日本になんか行ってどうするんだ?」でも、奥さんの理解もあって、決断します。「日本へ行こう」。
1997年、Jリーグのガンバ大阪に移籍。ものすごい身体能力で、対戦相手を圧倒。28試合で25ゴールをあげる大活躍で、Jリーグ得点王!!中田英寿さんは、「あんなやつがサッカーやってるなんて反則だ」なんてコメントも残していますが、そのくらいのすごさだったんです。
エムボマは 日本への移籍をこう振り返ります。「日本に行って、運が向いてきた。失っていた自信も 取り戻すことができた」カメルーン代表にも招集され、98年のワールドカップ フランス大会に出場。さらに、イタリア、セリエAから声がかかります。エムボマは、カリアリというチームに移籍を果たしました。
2000年には、シドニーオリンピックにオーバーエイジ枠で出場。カメルーンを金メダルに導きました!そして、2002年、日韓共催のワールドカップ。カメルーンは、大分県の中津江村(なかつえむら)でキャンプをしました。エムボマは、「うどんがない」と発言して、村が大急ぎで うどんを用意した、なんてエピソードが残っています。ガンバ大阪でプレーしていたときにうどん好きになったらしいです。ちなみに、中津江村には、ワールドカップから10周年の年に、エムボマうどん なんてメニューも登場したそうです。
キャリアの終盤は、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸とふたたび日本でブレーしたエムボマ。引退の際には、こんなコメントをしました。
「日本には、本当にたくさんの思い出がある。それをバッグに詰めて帰りたい。そしてまた日本に戻ってきたい」。