今日はフランチェスコ・トッティをピックアップ!
元イタリア代表、ローマに所属するフォワード、ミッドフィールダー、フランチェスコ・トッティ!あさって27日がバースデイ!39歳になります。現役です!日本のサッカーファンにとっては、中田英寿さんがローマに所属していたときのイメージが強いかと思います。
当時、ローマの絶対的なエースだったトッティ。そこにポジションがかぶるヒデが移籍、、、 どうなるんだ??レギュラーとれるのか??やきもきしましたねー。ローマの顔、なんですよ。トッティ。だって、ユース時代からず~~っとローマです。ローマ生まれ、ローマ育ち。ACミランのユースから誘いがありましたが母親が拒否!
「あなたはローマっ子でしょ!ローマに入りなさい!」(←イメージです)
13歳でローマの下部組織に入ったトッティは、すぐに噂になります。ローマのユースにすごいヤツがいる。16歳でトップチーム入り。大事に育てられます。街ではアイドル扱い。しかし、トッティが20歳のときに監督としてやってきたアルゼンチン人のカルロス・ビアンチはそれが気に入りませんでした。ビアンチは、トッティを「甘えた赤ん坊」と決めつけ厳しく当たりました。トッティもさすがにこのときは移籍を考えたらしいです。
でも、このビアンチ監督は成績不振で解任。ここからトッティの快進撃が始まります。97-98、98-99、この2シーズン、ゴールを量産。そして、このあと、ファビオ・カペッロ監督がやってきます。カペッロ監督のローマにはすごい選手が集まりました。トッティのほか、バティストゥータ、モンテッラ、カフー、サムエル、中田英寿!!!
2000-2001シーズン、ローマはセリエA優勝!!念願のスクデッドを獲得するのです!!トッティの話からは少しはずれますが中田英寿、すごかったです。リーグ終盤戦で首位ローマと2位ユヴェントスの直接対決。ユヴェントス2点リードの状況でサブのヒデが呼ばれます。なんとトッティと交代で中田英寿がピッチに。覚えてます?強烈なミドルシュートでヒデがゴール!1点差。さらに、ヒデのミドルシュートからモンテッラが決めて同点!2−2の引き分けに持ち込み、これがローマ優勝に大きく影響しました。
トッティはこう振り返ります。
「俺と交代して、あのプレー。本当にすごかった。彼のゴールがあったから、優勝できたんだ。ナカータはいい選手だった」
でも、当時は かなりバチバチやっていたようで、中田英寿さんはスカイスポーツのインタビューで こう語っています。
「僕らはライバルだったから、仲良くやっていくのは難しかった。だけど、ふたりとも間違いなくプロフェッショナルだ。ピッチにはそういう気持ちは持ち込まなかった」
そんなトッティなんですが、、、代表では、2000年のユーロ以外はいまひとつ輝きをはなてませんでした。2002年、日韓共催のワールドカップでは、ベスト16の韓国戦で退場。 チームも1-2で敗れました。ユーロ2004は、グループステージ敗退。2006年のワールドカップ ドイツ大会は、直前に骨折。本番には間に合いましたが、目立った活躍はできませんでした。
まあ、でも、素晴らしいサッカー人生でしょう!ローマに愛され、ローマで輝き続ける フランチェスコ・トッティ。人呼んで、ローマの王子。街のヒーローは、きょうもゴールを狙います。