おはようございます!GAKU-MCです。Words From The Field、、、きょうは、2020年東京オリンピック開幕までちょうど あと5年!ということでオリンピックにちなんでお届けします。
プロ選手が出場するようになった1984年ロサンゼルス・オリンピックで活躍した選手から、この方をピックアップ!
元イタリア代表、ACミランのディフェンダーとして活躍したフランコ・バレージ!
カズさんがセリエAのジェノアというチームに移籍して大注目だった開幕戦。ACミランとの対戦だったんですがそのときカズさんとバレージが競り合って、カズさんは鼻の骨を折る、という、、、あのときはつらかったです、、、
84年のロサンゼルス・オリンピックではイタリア代表として出場。4位という結果でした。ちなみに、ロサンゼルス・オリンピックのサッカーはプロもオッケーだったんですが、ただし、ワールドカップに出場したことのない選手、、、という制限があったそうです。
ワールドカップこそが、最高の大会である、というFIFAが「オリンピックは 制限をつけてほしい」と要求して こうなったようで、、、だから、この流れで、今も男子のオリンピックは、23歳以下、なんですね。
さあ、バレージさんのサッカー人生、、、ふりかえりますと、所属クラブは、、、、ACミラン、以上。ミランひとすじ!
74年、ミランの下部組織に入団。
78年、トップチームデビュー。そして次のシーズンからはレギュラー。
その後、引退まで ず~~~っとミランです。
このコーナーでいろんな選手を紹介してきましたが移籍してない選手は初めてじゃないですか?
もちろん、さまざまな試練もありました。まず、ACミランの下部組織に入ったころ。まだ、バレージは10代前半だったんですが、、、 父親を交通事故で亡くします。幼い頃に母親も亡くしていたバレージは両親を亡くしてしまったんです。 そんな中、サッカーに打ち込み、認められていったんです。
さらに、ミランでレギュラーになってすぐの80年には不法とばくスキャンダルで、ミランが2部に降格。このころ、バレージ自身もウイルス性の疾患で長期離脱。いいリズムが戻ってくるのは、80年代後半です。ミランの監督にサッキさんが就任。
サッキ監督が提唱したゾーンプレスが、バレージのプレーにぴったりハマりました。そして、ミランには、フリット、ファンバステン、ライカールト、というオランダトリオが やってきて、バレージが統率したディフェンスとともに、黄金時代を築きました。
イタリア代表では、
90年、自国開催となったワールドカップで、3位。
94年、ワールドカップ アメリカ大会は準優勝。
このアメリカ大会で、バレージはひざを負傷していったん離脱。緊急手術。このワールドカップでは、もう出場はないと思われていたんですが、なんと、決勝のブラジル戦、スタメンに、、、フランコ・バレージの名前があるじゃないですか!キャプテンが帰ってきたんです!!しかも、ブラジルの攻撃を0点におさえます。ロマーリオ、ベベットの強力2トップを 完全に封じたんです。
ただ、試合は、PK戦でやぶれ、準優勝。
おしい!最後、バッジオが外したあのPK戦、、、バレージはイタリアの最初のキッカーとして登場、はずしちゃいました。ケガあけの選手を、トップのキッカーって、普通はしないと思うんですがバレージは、それだけ信頼されていた選手だったんですね。
97年に現役を引退。バロンドールを獲得することはありませんでしたが、、、その功績をたたえ、ミランでは、彼の背番号「6」は、永久欠番となりました。
Words From The Field、今朝は、元イタリア代表、ACミランのディフェンダーとして活躍したフランコ・バレージをピックアップしました。
後輩にあたる本田選手について、バレージはこんなことを語っています。
「私が強調したいのは、本田がプロの鏡だ、ということだ。いつも全力。そういう選手こそが この世界では違いを見せてくれる」
ということで、今朝は、ミスターACミラン!フランコ・バレージをご紹介しました。