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今週ピックアップするのは12月23日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国の映画館にて公開する『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY

天性の歌声を持つが故に『THE VOICE』と称されるシンガー、ホイットニー・ヒューストン。

2012年に星になってしまった彼女は、今なお世界中の人に愛され、影響を与え続けています。ホイットニー・ヒューストンはいかにしてTHE VOICEと言われるまでになったのか。

『音楽に人種も国境もない。歌いたい歌を、私らしく歌う。』

独自の路線を進み続けたがゆえに、ブラックミュージックとも認められなかったホイットニー。それでも自分を信じて、自分の歌を歌い続けました。ホイットニーを演じたのはナオミ・アッキー。そして、ホイットニーの半生を描き出したのはクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーに焦点を当てた伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家、アンソニー・マクカーテン。監督は映画『ハリエット』を手がけた、ケイシー・レモンズ。そして、プロデューサーに名を連ねるのは、ホイットニーのプロデューサーでもあったクライヴ・デイヴィスです。

ホイットニー・ヒューストン、どんな人物だったのか、少しおさらいしてみましょう。

1963年、歌手のシシー・ヒューストンの娘として生まれ、ホイットニーの名前はアレサ・フランクリンが付けました。幼い頃から聖歌隊で歌い、チャカ・カーンのバックボーカルを務めるなど、その歌声の力を開花させ、ジャニス・ジョップリンやサンタナ、ブルース・スプリングティーンらを世に送り出した超大物プロデューサーのクライヴ・デイヴィスに見出されて1983年にデビュー。

以降、飛ぶ鳥落とす勢いでヒットソングを立て続けにリリースし、7曲連続で全米シングルチャートNo.1!!!これはビートルズが持っていた6曲連続を超える快挙でした。

そして、1991年にはスーパーボウルの試合前に国家を斉唱。翌年にはケビン・コスナーとの映画『ボディ・ガード』も公開。

ドリー・パートンの楽曲をホイットニーがカバーした『I Will Always Love You』は14週連続No.1となり、世代を超え、国境も超え、誰もが知る楽曲となりました。

そんな輝かしい功績を残しているホイットニー・ヒューストン。

彼女はいかにしてスーパースター、ホイットニー・ヒューストンになったのか。ホイットニーが伝えたかったことは、どんなことなのか。その歌声に込めた、想いとは。

そんな映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

一生涯、自分が心を込めて歌える歌しか歌わないと心に誓った不世出の歌姫、ホイットニー。愛を求め、愛を守り続ける心の叫びを唯一無二の声The Voiceとテクニックで歌い切ったホイットニー。

しかし、幼少期のトラウマ(これはぜひ映画本編でご覧いただきたいのですが)のせいなのか、自分の本性と向き合いながらも、自分に素直に生きることがこんなにも難しいことなのか?悩めるホイットニー。

しかし、ファンとメディアは、プリンセスの様に振る舞うことを求めます。しかし、実際の自分は何なの??その問いに苛まれるホイットニーが頼ることになる禁断の手段とは?栄光と挫折、そして人生の幕引き。心締め付けられつつもその歌声に震えるほどの感動が!心してホイットニーに聞き入り、感じてください。

『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は、今日から公開です。(お出かけの際は、感染防止対策、お願いします。)そして、そのムビチケを2組4名さまにプレゼント!