1月17日。1995年の「阪神淡路大震災」の発生から、きょうで25年が経ちました。

当時もJ-WAVEで朝の生放送をお届けしていたジョン・カビラ、現地と電話をつないで、状況をお伝えしました。もう25年ですか...。それ後も、日本ではさまざまな災害が発生してきました。災害時、自宅が被災したり、ライフラインがストップして日常生活を送れない場合、近所の避難所に身を寄せることになりますが、多くの方が集まる中、救援物資の不足やプライバシー、衛生面の不安など、避難所の環境向上が課題となっています。

さて、諸外国では災害時の避難所はどんな環境なのでしょうか?また、その対応はどうなっているのでしょう?アメリカとイタリアに電話をつなぎ、お話を伺います。

●アメリカ、カリフォルニアの大西良子さん

JK:大西さん、カリフォルニアは山火事、地震など災害が多い地域です。避難しなくてはならないほどの災害時についてお聞きしたいのですが、避難生活はどのようなものなのでしょう?

A アメリカでは、カリフォルニアの山火事や地震をはじめ、フロリダの洪水、ハリケーンやトルネードなどの自然災害が起こります。対応はどうするかというと、まず、あまり政府に頼らず、自分の身を守る、というところから始まります。実際、危機的な状況が起きた時には政府の対応は時間がかかることを皆知っている、とでも言いましょうか。災害時に備え3日分の食料や水、電池などを確保しておく、そして停電になった時のためにジェネレーター(発電機)を買う、などが当たり前です。ですからハリケーンが多い地域では「天気予報」はじめ、情報をキャッチすることから始まります。ライブの雨雲レーダーの画像が映っている宅急便のオフィスを見かけたこともあります。また洪水が起こりやすい地域では家を買うときに「洪水保険」を買うのが条件だったりします。

JK:大西さんご自身も自然災害を体験なさったのですか?

A 私が体験したハリケーンは2017年の、ハービー、マリアとイルマです。フロリダにいた時でした。カテゴリー5といわれる最強で、3つの被害総額が3000億ドル近くとも言われています。そこは2005年のハリケーンカトリーナの被害地ニューオリンズから車で2時間ほどのところで、大雨と暴風に見舞われ、海抜の低いところでは洪水。また木がたくさん生えている地域でしたので、木が倒れて道が通れなくなり、電線が突風で切れて停電になりました。アパートの屋根が吹き飛び、ガラス窓が割れるほど。ハリケーンがこちらに来ることが確定すると大学はもちろんのこと、小学校や中学校、高校も全て休校となり、ハリケーンが直撃しなくても、3日間くらいは社会機能が麻痺してしまいます。休校指令が出る時にはまだ曇り空だったりするのですが、スーパーに行くと、水や食べ物が売り切れてしまっていて、「やっぱり本当に来るんだ」と焦ったこともあります。ボーディングと言って、窓が割れないよう外から板を打ち付ける作業もしました。こうした「嵐の前の静けさ」の時間を利用して、危険地域から親戚が避難してきたこともあります。避難所も地域に7箇所、公民館や学校の体育館などが開放されました。レッドクロスなどからボランティアが来て避難民のために必要な食べ物を配ったりします。できれば自宅でハリケーンをやり過ごすのがベストで、避難所に行く決断をするのはかなりのことです。危険地域の人は家がなくなった場合に備えて、寝具はもちろんのこと、まるで引越しのように家財道具を持って避難所に行きます。まさにキャンプ状態です。避難所にはトイレはありますが、シャワーやお風呂はありません。広さに余裕があれば折りたたみ式の椅子に座ることもあります。食べ物は最初のうちは、やはりパンや水程度、少し時間が経つと、スープやスパゲティーなど缶詰を調理したものが出ますが、「避難する時は自分の食料を持っていくこと」とブログなどで体験者がアドバイスしています。また当然、家財道具の盗難も多く、自分のものを盗まれないように見張ることが大事、また子供が避難所で行方不明になったり、喧嘩があったりといろいろ大変なようです。フロリダでは、避難所に避難せず、老人ホームにいた入居者のうち8人が冷房の切れた猛暑の施設内で亡くなったというのもニュースになりました。フロリダの夏の暑さと湿気は日本を上回り、どの家も家の隣に冷蔵庫のように大きな室外機があって、これで家中を冷蔵庫状態にしないと、人間が住めない気候です。そうした暑い時期にくるハリケーンでは、自分の命を取るか、避難所を取るかという選択も、早いうちにしなくてはいけません。これも政府に頼らない、自分で決めなくてはいけないことですね。

●イタリア ローマ 村本幸枝さん

JK:イタリアも火山の噴火など自然災害が多い気がします。

A 古くはポンペイのヴェスビオス火山の噴火。

JK:それほど昔、人々はどのようにして避難したのですか? 近年も多くの災害に見舞われています。

A イタリアはユーラシアプレートとアフリカプレートの境界部分で断層が多いことからヨーロッパでは地震が多い国となっています。

●2016/08/24 イタリア中部ラクイラ地震 (犠牲者309人)

●2016/08/24 イタリア中部地震 (犠牲者298人)

いずれも未明に起きたため、多くの人が建物の下敷きになりました。ご存知の通り、イタリアの特に旧市街地の建造物は石造りで何百年も前に建てられたものが多いので地震には非常に弱いのです。

イタリア市民保護局という国家機関が中心となって被災地での救助動、被災者の保護、避難所 (仮説テント、コンテナー、公共の建物など) への誘導が行われますが、プライバシーがなく、シャワーやトイレ、食堂が共同の生活が長く続くことで自身のアイデンティティを失ったり、世の中から見捨てられたような喪失感を覚える人が増え、被災者の精神的な負担はかなり大きいようです。

2016年に襲ったイタリア中部地震から3年経過した現在も50,000人ほどの避難者がおり、38,000人が国から補助金を受けながら仮住まい(ホテルやB&B、仮設住宅)での生活を余儀なくされています。

JK: 5万人ですか...。

A 仮説住宅を供給したものの、電気やガスがうまく機能しない、未だに1/3にあたる量の瓦礫が被災地に残っているなど、イタリア政府の対応の鈍さが問題となっています。