「甲州印伝」を現代に似合うスタイルにアップデートし続ける!『印傳屋 上原勇七』のHIDDEN STORY

今回は、山梨県に古くから伝わる工芸【甲州印伝】に注目。山梨県甲府市に本社がある株式会社『印傳屋 上原勇七』の専務取締役 上原伊三男さんにお話を伺いました。
商品としては、財布、名刺入れ、パスケースからバッグまで、日常の暮らしの中で使える商品を多数ラインナップしている『印傳屋 上原勇七』。まずは、甲州印伝の特徴と、『印傳屋 上原勇七』の始まりについて 教えていただきました。
「印伝と申しますのは、鹿革に漆を使った日本の伝統産業でございます。その中に甲州印伝という言い方があるんですけれども、これは国によって指定されている山梨県の印伝の産業を指すんですけども、その中に印傳屋という会社がありまして、この伝統の印伝を今継承しているということでございます。印傳屋の創業が1582年ということで、その当時は安土桃山時代、まさしく戦国時代だったんですね。で、初代の上原勇七というものが武田信玄公の家臣の1人で。その当時、鎧、兜などの武具を作る職人であったという風に言われておりまして、その方が印傳屋の創業ということで始めたという風に言われております。」
印傳屋の始まりは、なんと、戦国時代。戦国武将の武田信玄に仕えていたのが、今も会社の名前となっている 上原勇七なんですね。
そして、戦国時代には武具に〈鹿の革〉が使われていたというお話がありました。その理由はどんなことだったのでしょうか?また、〈鹿の革〉にはどんな特徴があるのでしょうか?
「なぜかと申しますと、鹿革というものは特徴といたしまして、すごく軽くて丈夫という特徴がございます。その点、武具は大変重いものでございますので出来る限り軽くすると同時に、できる限り強度を持たせるというようなことで、鹿革というものが重宝されたという風に言われております。あまり鹿革って皆さんにとって一般的ではないかもしれません。普通、牛革というものが一般的でございますけれどもね。でも、鹿革は本当にすごく柔らかくて軽い。で、1番人肌に近いと言われる革なんですね。ですから、この印伝のしなやかさ、軽さ、そしてその漆から発せられるこの光沢、こういった魅力っていうものをもっともっと多くの方に知っていただきたいなっていう風に思いますね。」
柔らかくて軽い。その特徴から、鹿革は《革のカシミア》なんて呼び方もされるようです。
その鹿革を使って作られる甲州印伝。
どんな技によって 生み出されるものなのでしょうか?
「まず鹿革に漆を置くという、これが1番の基本のメインの技法でございます。これは鹿革の上に型紙を置くんですね。これは伊勢型紙と申しまして、これも日本の伝統的な産業なんですけど、その伊勢型紙を置いて、その上から漆を刷り込むんですね。そうしますと、型紙の柄の部分から漆が下におりて、それが革の上に乗るというような、この技法は大変難しさがあります。その他に、これは代々伝わっているものなんですけども、わらの煙を使った〔ふすべ〕というものがございまして、煙で色をつけるというような技法もございます。」
伊勢型紙という、伝統の工芸を使って模様をつけていくということ。では、その模様には どんな種類があるのでしょうか?
「基本的には江戸時代に着物とかを中心に広まった江戸小紋という柄が日本の伝統の柄として多く残っております。で、その中でいくつかご披露いたしますけども、まず桜ですね。
その桜の散り際が美しいというようなことで、武士の精神的な象徴とされたんですね。
また、青海波と申しまして、青い海の波と書くんですけども、これは海の波が永遠に広がる模様から私たちが未来永劫続く幸せでありますようにというような願いが込められてございます。
また、例えばとんぼなんかは特に男性に人気なんですけども、常に前に進む攻撃的な昆虫であることから、鎧兜の一部に施されて戦に勝つというようなことからですね、今では商売に勝つなんていう風に言われております。
そんな風に、昔の柄の、伝統の柄、それぞれ思いがございまして、特に吉祥文様ということで皆様の幸せを願うと、そんな意味の柄がたくさんございます。」
日本の伝統的な柄から、西洋のデザイン、さらに近年では、キース・ヘリングの作品を元にしたシリーズなど、幅広いデザインで商品が作られています。そして、このキース・ヘリングとのコラボレーション、実は、コロナ禍をきっかけに生まれたそうです。
「ずっと弊社も長い歴史の中で、戦国時代から江戸、明治維新、そして終戦と激動の時代を乗り越えてきて、代々次の世代に引き継ぐ責任を果たしてきた、そんなその先祖たちの思いを考えた時になんとかしていかなければならないと思いまして。そんな中で生まれたのがキース・へリングとのコラボレーションだったんですね。キース・へリングは1980年代、アメリカはその当時まだ戦争とか経済不況とか薬物、エイズなどで本当に国民が疲弊していた時代だったんです。そんな時に、キース・ヘリングさんが、ニューヨークの地下の壁にチョークを使って絵を描いて。その絵を通して少しでもみんなに明るく、そういう気持ちになってもらいたいというような形で描いたということを聞いておりました。そんなキース・ヘリングさんの思いを受けてですね、私どもも何かコロナ禍で沈んだ世の中を少しでも明るくしたいという、そういったコンセプトでやってみようと思い立ちまして、これによってすごく多くの方から評価をいただいたということもございます。」

『印傳屋 上原勇七』の上原伊三男さんに最後に伺いました。今後のヴィジョン、ものづくりの未来、どんなことを思い描いていらっしゃるのでしょうか?
「日本には本当に素晴らしい工芸品がたくさんございます。しかしながら、その多くの工芸品が今衰退していったりとかですね、また後継者に悩んでいるという現状があると思います。私たちは、この伝統産業に携わるものとして、こういった産業を次の世代にいかに繋げていくかという大きな課題に直面していると思っております。私が思いますのは、ただ単にこの伝統を受け継いでいるだけでは、骨董品で終わってしまうと思います。伝統守りながらも、常に新しさ、新しい感性で、そういう視点がすごく大切なんじゃないのかなと思います。そういったメイドインジャパン、日本人のものづくりっていうのは大変世界でも卓越しているというものがありますし、この伝統技術をなんとか活かして、これから世界へ向けて発信してまいりたいな、なんていう風に思っております。」
その桜の散り際が美しいというようなことで、武士の精神的な象徴とされたんですね。
