今回は、岡山県玉野市で【完全受注漁】というスタイルで漁業をおこなう、富永邦彦さんと、富永美保さんにお話を伺いました。

お二人のお名前、邦彦さんと美保さんの頭文字から名付けられた会社、『邦美丸』のHidden Story。

【完全受注漁】のお話の前に、まずは、大阪ご出身の富永邦彦さんが漁師になろうと思ったきっかけを教えていただきました。

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邦彦:そもそも僕は大阪に住んでいて、漁師とは何の縁もないところに住んでいたんです。の奥さんと出会って当時付き合ってたんですけど、その時にちょっと結婚の話が出てきて、親に結婚の挨拶をしようというタイミングで、「そういや、お父さんたちって何の仕事してるの」って聞いた時に、〔漁師〕という職業を聞いて、「漁師って何そ」っていう。

大阪にいて漁師という職業を耳にしたことがなかったので、「何、その面白そうな仕事は」ということで、お父さんに挨拶しに行くときに、「結婚させてください」というのと、「漁師をさせてください」という2つの話をしに行きましたね。漁師という仕事が本当にかっこよさそう、海の男ってかっこよさそう、と思ったので、もう当時はノリと勢いで漁師をお願いしたって感じです。」

当時、邦彦さん、19歳。漁師になりたい、という邦彦さんのことを美保さんはどう見ていたのでしょう?

「美保:お父さんとお母さんの仕事も手伝ってましたし、よく近くで見てたので、やっぱり大変というのがあったので、ちょっと無理じゃないんかなっていうのと。あと、邦彦くんは魚が触れないし、魚食べられない人だったんですよ。当時、魚が触れないし食べられない人だったので、"タコとかおるよ?うねうねしとるよ?"とか、なんかそういう感じで言ってた記憶はありますね。いや、ちょっと無理じゃろうなって。でも私、3姉妹で育ったので、お父さん的にはすごく喜ぶだろうなっていう、その2つの思いがあって。"それこそノリと勢いで、お父さんの反応を見ようみたいなところはありましたかね。」

結果、お父さんは「結婚はわかった。漁師は、まず一年やってみてからだ」ということでお試し期間を設け、邦彦さんの漁師としての暮らしが始まりました。

一年は無事に漁師の仕事をまっとうした邦彦さん。しかし、操業時間が非常に長いこと、さらに、休みも不定期なことなど仕事の辛さを痛感。邦彦さんは、一旦、漁師の仕事を離れることになりました。

邦彦:そこから岡山で就職して2年ぐらい会社員してる時に、なぜ自分は岡山で会社員をしてるんだろうと、ふと自分を見つめ直すことがあって。その時に、やっぱり自分が岡山に来たのは漁師するために来たんだよなと思って、漁師に復帰することにしましたね。でも、ただ同じようにしていったら多分また辞めるだろうなと思ったので、前回なぜ自分がどういうとこが嫌だったのかな、ということを今後改善していこうという前提で、復帰すると決意しましたね。」

では、以前 漁師をしていた時と、どこを変えればいいのか?邦彦さんはこう考えます。《売上を高くすることができれば、それによって、操業時間を短くできる》。出荷する市場を変えるなど試行錯誤を経て、ニュースで[直販をしている漁師さん]がいることを知り、直接お客さんに販売する、[直販]という仕組みをとることにします。

邦彦:いざ、そこから販売になってくるんですけど、そもそも僕たち営業っていうことをしたことがなかったので、最初はタウンページとかを開いて、産地直送という居酒屋さんとかに直接電話したりとか。自分たちが実際に食べに行って、そこでお刺身が出てたら、そこで直接"僕たち漁師してるんですけど、魚買ってくれませんか"というような営業からスタートしました。実際、そこまですぐに販路とかは全然できなかったんですよね。じゃあどうやって告知していこうかと考えた時に、当時facebookができて、facebookでも発信するようになったんですよ。その時にfacebookを見てくれた、ECサイトを立ち上げる社長さんが僕たちの投稿を見てくれて、"自分のECサイトに魚を卸してみないか"という話をいただいて。そこで、そのECサイトに登録するようになりましたね。」

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さあ、そこから、完全受注漁へ。販売スタイルはどのように変わっていったのでしょうか?

邦彦:完全受注漁っていうのは、お客さんから注文があってから漁に出るというスタイルで、お客さんから必要とされた分だけの魚をとる仕組みです。なぜそういう風になったのかというと、自分たちの販売もやりながら、なおかつ市場出荷という、当時は二刀流で魚を販売していたんですけど、だんだんお客さんの注文の量も増えてきて、市場出荷の量も減ってきて、まあまあそんな感じで売り上げもあって軌道にのってきたなという時にコロナになってしまって。コロナになった時に、一気にお客さんからの注文がピタって減ってしまったんですよね。当時コロナまでは魚を直接販売しているとはいえ、主に販売してたところが飲食店さんばっかりだったんですけど、コロナをきっかけに一般家庭さんからの注文が増えて。

美保:コロナ前までは1ヶ月に23件ぐらいだったのが、コロナになってからは本当に飲食店さんの注文が逆に0になって、一般家庭さんの注文が月に200件とか、そのぐらいにはマックスでなってたと思います。

邦彦:そこから注文の量が増えてきて、市場に出荷することがなくなってきて。じゃあここまでこうなるんだったら、注文を受けてから漁に行くというシステムでいいじゃん、という風になって、完全受注漁になってきました。」

2022年からスタートした、完全受注漁。基本的には、〈漁師のおまかせボックス〉という形での販売で、季節によっては一部、魚種を指定しての販売も行われています。

現在は、『株式会社 邦美丸』として法人化。新たな社員も迎えて、完全受注漁が続けられています。最後に伺いました。この漁のスタイルにして、どんな変化がありましたか?

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邦彦:まず1つ言えることは、以前、僕が嫌だった働く時間が長かったことですね。操業時間が長かったことは、本当にだいぶ短縮されました。操業時間に関してはもう半分まで下がりました。あと、その操業時間が半分に減ったことによって、燃料とかの使用コストもすごく減って。燃料は30パーセント減を達成できました。また、漁具・漁網も今まで1年に1回ほどの頻度で変えていたんですけど、やっぱり操業時間が減ったことによって、漁具・漁網も23年は使えるようになったっていう。その辺のコスト面もかからなくなってきたなっていうのは感じています。売り上げも昔と比べて2倍まで上がりましたね。あと、今まで「漁師したい」というような問い合わせも全然なかったんですけど、メールで「漁師したいんですけど」とか、もういろんなところから、「自分がやりたかった漁師とはこういう働き方だ」とか、色んなところから問い合わせをいただくようになりましたね。

美保:そうですね、私は働く時間が短くなって、夫の体が健康にも繋がるかなっていうところと。あとは子育ての面で言うと、やっぱり働く時間が長くなってくると、子供と遊ぶ時間だったりとかがなかなか取れなかったのが、受注漁を始めて1番下の3番目の子が生まれて、その子は保育園のお迎えとかも行ってくれるようになって。なので、すごく家族の中の関係性が良くなったなっていうのが1番嬉しいところですね。」

邦美丸

Instagram

●お魚の注文は、まずは、「邦美丸」のインスタグラムやウェブサイトをチェックして、お問い合わせください。

一番小さい箱で、送料は別で、3800円ほどからで、お魚が1.5キロ程度=グリルに入るくらいの魚が3種類か4種類、入ってくるそうです。