今回は、長崎県島原市で絶品のごま油を手がける『本多木蝋工業所』のHidden Story。

今回は、東京で営業や企画を担当されている本多正孟 さんにお話を伺いました。まずは、『本多木蝋工業所』とはどんな工業所なのか?その歴史を教えていただきました。
「本多木蝋工業所なんですけども、長崎県の島原市というところにありまして。昭和5年、1930年に創業しました。今は3代目ということで、私の父にあたるものが継いでいるような形になります。この本多木蝋の木蝋という言葉、なかなか聞きなれないんですけども、はぜの木というウルシ科の植物が島原地方に結構多く自生していまして、これを油として圧搾する、絞ると木蝋が取れます。
これが和ろうそくの蝋の原料ですとか、お相撲さんの付けるびんつけ油(鬢付け油)の原料などに使われています。また、化粧品などにも実は使われていたりする素材になります。
本多木蝋工業所では、はぜの木から木蝋を製造する事業というのを主として展開しています。これがもう100年近くにもなってきている状況なんですけども、こちらが今、年々ですね生産量自体はかなり減ってきていまして。国内でももう3事業者しか、しぼられてる事業者さんがほぼいないという状況です。
で、その中でも私たちの場合、化学薬品を使わない製法というのを使っていて。これはうちだけとなっていまして、これをどれだけ守っていけるかっていうのは、いま私たちが取り組まないといけないことかなと考えています。」
木蝋づくり、国内に残るのは 3事業者だけ。しかも、『本多木蝋工業所』は化学薬品を使わない製法でやってらっしゃる!
では、その木蝋の製法...。
はぜの木の実を絞ると 油がとれて、それが固まると木蝋になるということですが、その過程を詳しく解説いただきました。
「はぜの木は西日本に多く自生をしていまして、秋の時期になると葉っぱが赤く紅葉する植物で、木の実がブドウなんかが想像しやすいですかね、ブドウのような形でなっていまして。それを結構高い位置に登って、いわゆるちぎり子さんと我々は呼んでるんですけど、そういった方々が木の実を落とします。
それを今度は木と枝を選別して、ローラーでまず擦り潰します。そして、これを一旦蒸します。その蒸すことで油を抽出しやすくした状態で、私たちは昭和初期の機械【玉締め式圧搾機】という機械を使わせていただいてるんですけども、本当にただ押すだけで油を抽出します。なので、化学薬品を使わないので抽出効率は悪いんですけども、その分かなり上質な油が取れるような工程で製造しています。」
玉締め式圧搾機。まさに大きな金属の球で、上からギューっと押してしぼる機械。1937年に製造された機械だそうで、つまり、90年近く稼働中!
そして、ごま油も製造している『本多木蝋工業所』。ごま油を製造することになったのは、どんな理由からだったのでしょうか?
「木蝋を絞るというのがメインだったんですけども、この木蝋を絞るのは季節的なものがありまして。先ほどお話した はぜの木が赤くなってきた頃に、実が乾燥した時が1番の収穫時期になります。これを収穫して、冬・春という風に絞るんですけども、やっぱり秋の時期って結構空いてしまうというのがありました。で、この木蝋を絞るという、蒸して圧搾する製法。これは普通の植物油・菜種油やごま油なんかも同様でして、この中で ごま油や菜種油を、私たちの方でも木蝋と並行して作るというのを創業初期から実施していました。」
菜種油やごま油など植物から油を作る方法と木蝋のための油をしぼる方法が同じなんですね。そんな経緯もあって製造を続けてきた植物の油ですが、現在は、近隣の事業者の協力のもと作っているそうです。
「歴史が長い中で、この玉締め式圧搾機が結構老朽化してきていて、もうその機械自体を製造している事業者さんもなかなか減ってきている状況です。
うちの中でも4台ぐらい確保してるんですけど、やっぱり動かせるのがどんどん少なくなってきた状況で。
その中で、私たちの方だと、どうしても木蝋の事業者さんが全国的に少ないので、やっぱり絞るところに注力したいということで、徐々にごま油や菜種油などは外の方にご協力お願いしながら。
ごま油や菜種油に関してもなんですけど、ほんと無添加のもので私たちが作っていたので、もうその品質だけは担保しつつ地元近隣の事業者さんとご相談して、こういった製法で作ってほしいということでお話ししています。特に味ですね。やっぱり濃厚な風味っていうものですとか、特にごまなんかはその辺りの風味の強さはご評判も多くいただいているんですけど、このあたりはもう昔から変わらずご提供できるように商品としてはご用意をしている状況です。」
機械自体を製造する事業者が減っていて、いま確保している貴重な玉締め式圧搾機は、木蝋づくりに集中的に使わなければならないということですね。

そして、その木蝋づくり。創業以来、長く和ろうそくを作る職人さんに木蝋を販売するということを主体とされていましたが、現在は、自社でも和ろうそくを製造・販売されています。
「ろうそくを作るようになったというのは実はかなり後発なんです。
なぜそういった和ろうそくを作ることを後々始めたかというと、木蝋というのは なかなかやっぱり私も友達に聞かれても説明が難しいというのがあって。これを地域の人ですとか全国に発信するにはどうすればいいかということを考えた時に、やっぱりこの木蝋をどうやって作っているかを見て知ってほしい。かつ、やっぱり出来上がりのものがひとつほしいということで。木蝋から和ろうそくを作る、それを見学してもらって、さらに例えば和ろうそく、絵付けする体験までしていただくと広まっていくんじゃないかと考えて、後々から和ろうそくも作るようになりました。色んな観光で来ていただいた方に実際絵付けを体験していただく、和ろうそくってこういったものだ、さらに言えば木蝋ってこういったものだっていうのを知ってもらえるようなサービス展開ができるようになってきました。長崎県島原市という、ちょっと遠方にあるんですけども、観光で来ていただいた方が島原城なり雲仙の温泉に行ったついでなり、ちょっと見ていただければということで、体験工程という事業を展開するようになったというところがあります。」
『本多木蝋工業所』の本多正孟さんに最後に伺いました。今後のヴィジョンを教えてください。
「今、両親、そして僕もちょっと手伝いに入って家業として行っていて。どうやってご飯食べていくのかという話もそもそもあるんですが、やっぱり何をやらないといけないかっていうと、本多木蝋工業所という名前に関するとやっぱり木蝋をどう守っていくか、というのがメインになっています。
ただ、そもそも木蝋自体の需要が今なかなか減っている状況があります。でも海外の事業者さんと話すと、やっぱり似たようなものがあって、インドネシアでは油絵のベースに使ってたりですとか、木蝋がどういったところで使えるかっていうところをまだまだ調査していく段階かなと思います。その中で、やっぱり絵付け体験ですとか、こちらも皆さんに幅広く知っていただけるように宣伝を広めていくところ、やっぱり木蝋がメインになるんですけど、それを支える周辺事業というところで植物油なり観光なりというところは継続して強めていきたいなと考えています。間もなく事業者としては100年経つことになりますので、この事業をどこまで守れるかというところは私たちが、私自体ももういい年になってきたんですけど、次に向けて守っていかないといけないことだなと考えています。」


