今回は、『カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』という本を書かれた、古舘佑太郎さんに注目します。

アジアの国々を61日間かけて、バックパッカーとして旅をされた古舘佑太郎さんのHidden Story。
THE 2というバンドで音楽活動をされていた古舘佑太郎さん。10代の頃からThe SALOVERSのボーカルとしてバンド活動をスタートし、19歳でメジャーデビュー。その後ソロも経て、10年以上ミュージシャンとして活動を続けてこられました。旅に出るきっかけは、バンド THE 2の解散でした。
「ずっと音楽・バンドをやってきて。その過程で、ある種、迷子みたいな状態になってたので。THE 2というバンドは、サカナクションの山口一郎さんプロデュースだったので、お世話になってたプロデューサーの一郎さんに2024年2月22日の前ぐらいですね、解散することを伝えに行ったと。で、一郎さんにバンを解散することになりました。すいません"っていうことを言ったところ、ひとこと目に"カトマンズに行け"っていう風に、ほんとにひとこと目に言われて。最初は何が何だかわからないというか、何を言っているんだろうっていう状態だったんですけど、一郎さんの中では色んな思いがあって、それを僕にある種命令してくれて。でも、最初はなんとかして行かない作戦を練ってましたね。ずっとどうやったら一郎さんのその"行け"に行かないで済むかっていう戦略を立ててたんですけど、一郎さんの話を聞いていくうちに、なんか自分の心の中で少しずつ聞く耳を持つようになりました。あと1番大きかったのは、僕がもうバンドを解散するっていうことで、ある種自分の気持ち的にもスケジュール的にも、もう何も空っぽ状態だったんですよ。だからほんと大げさじゃないですけど、ぶっちゃけ捨て身というか、守るものもない。だからもう開き直ちゃえっていうところはあったと思いますね。それで僕は、もう本当に旅に興味がない男で。潔癖症のせっかちの神経質な、枕の形が違うだけで寝れないようなタイプだったんですけど。行きたくなかったんですけど、ある種、強制的に、その一郎さんの一声で。」
バンドを解散して、1週間と少し。2024年3月1日、古舘さんはタイのバンコクへ降り立ちました。
そう、ネパールのカトマンズにいきなり行くのではなく、タイから旅が始まるのですが、これも山口一郎さんからのアドバイスだったようで。
タイ、共同宿の靴
「もうせっかくならカトマンズ以外もお前回って色んなとこ見てこいよみたいなことは言われてたの覚えていて。で、僕もカトマンズにすぐ着いちゃって、カトマンズでじっとしてるっていうのも自分の性格にも合わないだろうなと思ったんで。
あと、最初はインドからカトマンズに入ったりした方がいいのかなと。直行便がなかったんで。でも、いろんな人に聞くと"インドは初っ端行くとハードルが高すぎる"って言われて。じゃあ、タイから東南アジアをめぐって少しずつレベルを上げてった方がいいみたいな、旅の先輩から聞いたりして。でも、具体的にルートは決めてなかったですね。もうタイからちょっとずつ回ってこうぐらいの。」
タイのバンコクに入った古舘さん。バンコクに足を踏み入れて、最初に思ったのはどんなことだったのでしょうか?
「もうほんと1つしかなくて。帰りたい、とにかく帰りたいしかなくて。ただ厄介だったのが、タイに着いてすぐ、若干過呼吸気味になったりして、体調がめちゃくちゃ悪かったんですよ。もう自信もなかったし、すごい不安だったりして。その僕がその旅をするってこと、本当は誰にも言わないつもりだったんですけど、一郎さんが全部それをSNSとかでばらしてしまったのもあって、もう色んな人たちが応援してくれるようになっちゃったんすよ。
応援はありがたいんですけど、応援されるイコール帰れないんですよね。っていうのも相まって、自分の気持ちはもう帰りたいの5文字しかないのに。それ以外の感情がないのに、帰れないっていう5文字もあったんですよ。体調的にも飛行機乗れる状態じゃなかったし、こんなんで数日で帰ったら応援してくれてるみんなとか仲間のミュージシャンたちとか友達とかから、もうとんでもない馬鹿にされるだろうなっていう。だからその真逆の状態、帰りたい気持ちと帰れないっていう状態の板挟みで、もうきつかったですね。」
帰りたい、でも、帰れない。本のタイトルにあるように、激闘の日々が始まりました。結局、タイからさまざまな国を経由して陸路でネパールを目指すことにした古舘さん。特に壮絶な出来事が日記に記されているのは、ベトナムからラオスへの越境バス。バックパッカーには[死の陸路]とも呼ばれているルートなんだそうです。
ラオスの寝台バス
「統一鉄道っていうベトナム全土を縦断するような形の古い列車に乗って、一番南部ホーチミンから途中途中降りながら上を目指して、1週間ぐらいかけてハノイまで着いたんですけど。ハノイに着いた後、次が横の国がラオスだったんで、じゃあラオスに行こうかと思っていろいろ調べたら、ハノイからラオスのビエンチャンっていう首都までバスが出てると。よし、じゃあこれに乗って行こうと思っていたら、それがもう軽はずみで、やってしまたことを後悔するぐらい辛くて。まず、だから合計30時間ぐらいかかったんですね、バスで。さらに、ぼく本当にアンラッキーな旅人で、みんなバスの中って3列2段ベッドが並んでて、みんな狭いですよ。狭いけど一人ベッドみたいな。リクライニング倒した新幹線ぐらいのサイズのものが並んで、みんなそこに通されてるんですけど、僕の指定席だけがなぜか1番後ろのトイレの真横で、そこだけ3人ベッドだったんですよ。最初は、これこのまま3人ベッド、一人で一人占めできんのかなと思ってたら、やっぱ出発直前でどんどんとこうオーストラリア人の男の子とポーランド人のおじさんが乗ってきて。ベッドに男3人、川の字ぎゅうぎゅうで寝たところでバスが出発するという。そっから27時間ですね。
オーストラリア人の男性とポーランド人の男性とぎゅうぎゅう。その状態で27時間。その27時間、どんな感じだったんでしょうか?
「もうその二人が僕に寄りかかるように寝てくるので、押しつぶされそうになりながら、でも横向いたらトイレで臭いしとか。そんな状態でずーっと乗りながら。で、朝4時、5時ぐらいかな?なんか山の奥で降ろされて、そこが国境だったんですけど。雨の中、泥だらけになりながら3時間ぐらいたらい回しにされ。国境の審査官って怖いんですよね、それに怒られながら、ずっと雨の中濡れながら、なんとかまたラオス側の方でバスに乗せてもらって。そっからまたずっと揺られて、途中なんか誰かがトイレでタバコ吸っちゃってボヤ騒ぎになったりとか、もういろんなことがありながらボロボロの状態でラオスに着きましたね。」
3月1日、タイから始まった旅は、カンボジア、ベトナム、ラオス、中国、バングラデシュを経て、いよいよ、ネパールへ。3月30日、古舘佑太郎さんはカトマンズに入りました。
カトマンズに到着
「本当に降り立った瞬間からなんかすごい達成感に溢れたの覚えていて、もう自分でもびっくりするぐらい。俺1人で来れたんだ、みたいな。
もちろんきっかけは一郎さんだったりとかバンド解散っていうことだったから、別に自分で決断したことでもなかったし、どちらかというとネガティブなきっかけが多くて始めた旅で。なのになんかやっぱり現地着いてからは本当に現地の人だったりとか、そこで出会った旅人にも助けてもらったこともたくさんあったけど、全てそこから自分で選んで毎日を生きてたので、その先にこうやって目指してた場所に来たっていうのが、もうなんか自分の中ですごい達成感があって。すごく気持ち悪い発言になっちゃうかもしれないですけど、僕はそれまでの人生すごく自己肯定感が低かったんですけど、自分のこと胸張れることが一個もなかったんですけど、なんか初めてカトマンズの景色見たときに、そこにいる自分のことがめっちゃ好きになれたんですよね。」
『カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』
古舘 佑太郎
幻冬舎
*今日ご紹介した、ベトナム~ラオスの越境バスのエピソードも凄かったですが、本には、激闘のエピソードが満載です。幻冬舎から出版されています、『カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』ぜひご覧ください。
そして!!古舘さんの旅、実は、カトマンズがゴールではなかったんです。今日ご紹介したエピソードの後、インドへと旅は続きます。来週は、このインドの旅のこと、そして、旅を終えて、古舘さんはどんなことを感じたのか??この辺りのお話をご紹介したいと思います。