今回は、能登半島地震、そして9月の豪雨で大きな被害を受けた石川県珠洲市の塩づくりについてお送りします。伝統の【揚げ浜式】という製塩方法を、次の世代へ繋いでいく活動を続ける中巳出理さんのHidden Story。

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中巳出理さんは、石川県加賀市のご出身。現代彫刻の作家として海外でも活動されました。その後、インターネットでのビジネスを展開。そして、2009年には、石川の特産物や技を活かした商品を開発・販売する会社Anteを創業されました。

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2009年に初めて能登に入って、能登には揚げ浜式製塩法という能登半島で500年続く伝統的な塩作り、2008年に国の重要無形民俗文化財に指定された塩作りがあるということで能登に向かいました。能登はとにかく里山里海・日本の原風景が残っていることに、とっても魅せられたことがまず1つ。そして、能登の揚げ浜式製塩法という500年、連綿と受け継がれてきた塩づくり。この塩づくりというのは自然と対峙する非常に過酷な塩づくりですけども、その塩づくりに感動して。そしてその塩を使った商品を開発したいと思って。」

能登で500年続く 揚げ浜式製塩法。どんな方法かというと、海から汲み揚げた海水を砂浜の塩田にまき、砂に塩を付着させます。その砂に、さらに海水を注いで塩分濃度の高い水を作ります。それを、釜で炊いて水分を蒸発させ、塩ができる、というもの。中巳出さんは、この方法でできた塩を使い、[塩サイダー]をはじめとする商品開発を始めました。

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「ただ、非常に過酷な、自然と対峙してやるお仕事、塩づくりなので、とても過酷で、その塩づくりをする人がいなくなる。そして高齢化しています。それで、とにかく若い人たちに次世代に引き継いでいきたいということで、私どもは2016年に塩田を復活させて。そして若い社員を1年間修行にやって、その昔ながらの製法である塩田、能登半島に受け継がれた製塩事業に2016年に着手して、2017年から塩をつくっております。」

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【中巳出さんの会社のスタッフの方が、1年間、修行した】というお話がありました。この時、そのスタッフの方に伝統の塩づくりの方法を教えたのは、中前賢一さん、という方でした。

「中前さんというのは、とっても味がいい・品質のいいお塩を作る塩屋さんだったんですよね。能登半島というのは非常に閉鎖的で、外部の人にそういうことを教えるのはご法度だったんですが、私、加賀の人間なので、もちろん塩サイダーを作って貢献はしてきたんですが。というのは、塩サイダーの売り上げをずっと珠洲市の方に売り上げを寄付して、里山里海応援基金という基金まで作ってくださったんですが、なかなかその技法を私たちに伝えるってことはしにくかったんですよね。それもわかるので。ただ、その時に中前さんは私たちを引き受けてくれて、うちの社員の修行を引き受けてくれたんですよね。そして、中前さんは自分の理想の塩田を作ろうということで、私どもの塩田を全部設計してくださったんですね。自らが機械に乗ったりして、設計・施工してくださったんですよ。」

中前賢一さんが教えてくれた塩づくり。中前さんが作ってくれた塩田。しかし、中前さんは、今年元日の能登半島地震でお亡くなりになりました。

中前賢一さんは私どもの親であり、そして兄貴みたいなものだったので、親を亡くしたような気持ちでしたよね。育ての親が亡くなったような気持ちでしたよね。だから、ある意味では、だからこそどんなことあっても立ち直らなきゃいけないと。彼が残してくれた彼の夢であって、彼の思いなので、なんとしても守りたいと。」

能登半島地震からの復興の兆しが見えた頃、集中豪雨が能登を襲います。この取材をさせていただいた12月上旬の段階では、塩田のある地域は、こんな状況にありました。

1番の問題は、私どもの長橋というところは水道すら来てないんですよ、今。そうすると、人がどんどん離れていきますよね。もうしばらく辛抱してても、もう12月に入って11ヶ月、丸11ヶ月経ってもまだそんな状況なので、皆さん心が折れてどんどん離れていきます。能登を捨てるというか、そして、どんどん、どんどん人に忘れられていく。能登が風化されてしまう。これだけは絶対避けなければ、死しても頑張りたいと思って、今全力を上げて人も入れたいと思ってるし。入れたいって言っても、住んでる人も全部出ていくわけじゃないですか。だって、生活できない。初めの1ヶ月2ヶ月辛抱しても、12ヶ月経って11ヶ月経って、まだ水道も来ない状況ですよ。」

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困難な状況の中、それでも中巳出さんは塩田の復活へ前を向き、活動を続けています。

「失ったものもたくさんありますよ。失ったものもたくさんありますけども、本当に人の温かさ、優しさ、思いやり、これほどありがたいと感じたことはなかったんですよね。塩田も、土砂ですからね。石と土ですから。それに埋まっても、全部で80人ぐらいのボランティアが来て力仕事やってくださって、今4分の3は除去できたんですよ、おかげさまで。ただ、まだまだ大変なので、いま冬至になって日照時間も短くなって、能登というのは大変季節風も吹いて、能登は大体冬は冬眠する半島なんですね。だから、少し春に明るくなって暖かくなって日が長くなった3月頃からまたボランティアの方と一緒に始めて、塩田が始まるのは大体5月ぐらいからなので、その2ヶ月間でなんとか元に戻したいという風に思っております。そういう風にして皆さんね、そういう温かい思いに応えたいという風に。それ絶対無駄にしちゃいけないと思ってるので、なんとしても復活させたいと思ってます。その思いを決して無駄にしないでおこうと。それは、無駄にしないことは、私たち復活する、復興することしかないので。」

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●3月に予定されている塩田のボランティアについて詳細は、Anteのウェブサイトをご覧ください。

株式会社Ante

●塩サイダー、塩チョコなどのオンライン販売はDENENのウェブサイトで。

DENEN

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