今回は、2024年度中に閉店することが発表された、池袋にある宮城県のアンテナショップ『宮城ふるさとプラザ』。店長の大蔵 国孝さんにお話をうかがいました。『宮城ふるさとプラザ』が池袋にオープンしたのは、2005年。当初は、仙台駅にある「おみやげのコーナー」のような、代表的なものを集めた品揃えだったそうです。

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「例えば笹かまぼこだったり牛タンだったり、あと萩の月だったりということで箱入りになっていて1000円とか1500円とかっていうような形の商品が多いんですけれども、まずはそういったものを中心にスタートしたという形になります。それで、仙台のお土産品売り場みたいなイメージでやってきたんですけれども、お客様の皆様が買いに来られるものが、実はお土産品じゃなくて自分用の商品が多かったんですね。ですので、例えば笹かまぼこでも、箱入りの笹かまぼこではなくてバラ売りの笹かまぼこ。色々と多くの種類を取り扱いまして、バラで買ってもらったりという形になったり。あとは、宮城の場合は三陸の海であったり大地も有名なんですけども、山海の幸がすごい有名な美味しいところですので、そういったところの食材でですね、比較的お土産物というよりは日常の食として今晩の食卓に上がるような商品を数多く取り揃えて、比較的やはり地元の方などを中心にリピーターとしてご来店いただくような機会が多かったかなという風に思っていました。」

池袋駅からすぐの場所で多くの人から愛されてきた『宮城ふるさとプラザ』。2011311日。地震発生時は もちろん営業中でした。

「その当日ですね、3月11日。金曜日だったんですけれども、その日私はたまたまシフトの関係でお休みをいただいておったんですけれど、都内の自宅で揺れがあってすぐにお店の方に飛んできてという形で。それで、お店自体はやはり皆さん電車も止まったりとかっていうことで、スタッフを含めてやはり帰れない、あとは宮城の方からイベント販売の形でPRに来ていた事業者さんたちももちろん帰れなくなり。帰宅ができないっていうスタッフ・お客様も多かったので、その日は夜中ずっと開けてという形でした。」

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震災が発生した後、時間が経過するにつれ、お店のほうは どのような状況になっていったのでしょうか?

「当時、やはり東京の方でも もちろん原発の問題等があったりとかっていうところで計画停電が行われておりまして。店の場所については停電をするようなことはなかったですけれども、なかなかすぐには復興支援とか、宮城・東北の復興を応援しようみたいなところのムードにはならなかったんですけれども。ちょうど3月の23日頃ですかね、月末に近い時期、東京でいうともう桜が咲く時期で、ちょうど花見のシーズンになってきたんですけれども。その頃に花見まで自粛をしてふさぎ込むのかと言ったらちょっとおかしいかもしれないですけれども、そういった形での議論がちょっと起こったことがきっかけで、じゃあ花見は東北の酒と食でやることで経済を回していこうムードも起こってきまして。それ以降はどんどん多くのお客様が復興支援ということで商品をお求めにきてくださったり、あとは募金をお届けにということだけででも当店の方に多くの方に足を運んでいただいておりました。」

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一方、ふるさとプラザと取り引きのあった宮城県の事業者、特に沿岸部のみなさんについては被害が大きく、以前と同じように出荷できるようになるまで半年から1年ほど時間がかかったところ。また、事業をやめざるをえなかった方も いらっしゃいました。

もちろん大手の大きい会社組織としてっていうところもあるんですけれども、どちらかというと ご家族とか個人でやられてるような事業者さんも数多くありましたので、そういったところは、正直もう、ご主人が亡くなられたりという理由で事業自体をおやめになるとかところもございました。あとは、この番組にもご紹介を以前させていただいた山元町の海苔屋さんの息子さんとかは実家が海苔のお店だったんですけれども、震災が起きて、その方は東京におられたんですけれども、自分が何かしらそこに手伝っていかないと家業として行ってきたお店がもうなくなってしまうというところで。何か自分の立場でもやらないと、ということで家の仕事を手伝うようになり、やがて自分でまた同じような事業を起こすような形になり、今継いでおられたりとかっていうところもあったりします。」

2018年に、カビラが『宮城ふるさとプラザ』にうかがったときにお会いした岩佐真吾さん。仙台の方言で「ごちそうさま」という意味の「gozzo」という<海苔のブランド>を立ち上げられたというお話伺いました。そんな出会いも生まれるアンテナショップ。宮城県が今の物件の賃貸契約を更新しないということで、2024年度中に閉館となる見込みです。

20240315h02.jpg2018年当時の写真

「今だとアンテナショップっていうリアルのお店っていうのは、正直やはり無駄も多い事業だと思うんですね。ですので、今の世の中のコストパフォーマンスだったりタイムパフォーマンスだったりっていうところのニーズとはちょっと逆行する部分はあるのかもしれないんですけれども、私、個人的には...やはり無駄というのかな、その余白の部分があるからこそ色々発見があったり生まれたりする部分があるのかなと思っておりますので。そういったお店に初めて足を運んでみることで見つけられるっていうものも出てくると思いますし。あとは、たまたま出店されてた地元から来た生産者の方とお話をして試食をしてみて、こんなに美味しいものがあるんだというところで、その生産者の顔を見て商品を手に取ってもらったりとかということは、やはりこういった常設のリアルの店舗じゃないとできないことになるのかなと思います。」

そして、『宮城ふるさとプラザ』は復興支援の場として、象徴的な存在でもありました。取材の最後に、大蔵さんは こんなことを話してくれました。

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「沿岸部の被害があった事業者さんが、やっぱり回復してくるのが半年後・1年後ぐらいが普通だったっていう話があったんですけれども、1年経つ頃には少しそういう復興支援というムードも正直少し落ち着いてきてというところではあったんですね。なので、今回お正月に能登半島の地震があって、皆様に多くの支援をいただいたりというところはあるとは思うんですけれども、やはり今支援が行き届く部分と、1年後とかにまた支援をしていただくことで行き届くところっていうのは すごく変わる部分に届くものだとは思いますので。もちろん東北のこともそうなんですけれども、そういった能登の地震、あと熊本などもいろいろ大雨とか地震とか災害が多いですけれども、引き続き長い目で記憶に残して、ご支援の気持ちを持っていただけるといいのかなというふうには思います。」

宮城ふるさとプラザ