今週は、奄美大島の東に浮かぶ、鹿児島県の喜界島で製造されているコーラシロップ。TOBA TOBA COLA』のクラフトコーラシロップに注目します。

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TOBA TOBA COLA』を手掛けるのは、喜界島ご出身の甲原真子さんと、甲原和憲さんさんのご夫婦です。コーラのお話の前に、おふたりの出会いについて教えていただきました。2012年、真子さんが働いていたシンガポールの旅行会社に和憲さんがやってきた時のこと...

「真子さん:旅行会社で私はデザイナーをしていたんですけれども、そこに《キース》がぽこっと入ってきて、キースの方がデザインを最後にチェックするマネージャーみたいな仕事をしていて。それで、仕事が結構忙しい会社だったので残業も非常にあって大変だったんですけれども、キースと一緒になんか悩みを相談するうちに...はい。それで、シンガポールは結構スパイスの料理も多いので、キースと一緒にスパイス料理とか、ハーバルシロップっていうシロップもあるんですけど、それを飲んだりとか、同僚のシンガポール人にスパイスの話聞いたりなんかしつつ過ごしてました。」

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真子さんは、和憲さんのことを《キース》と呼ばれていましたが、これはシンガポールの方にとって〈Kazunoriが発音しづらかったそう。イングリッシュネームとして、現地で和憲さんの顔を見て、 [なんとなくキースっぽいんじゃない?]ということで付けられた名前なんだとか。おふたりはシンガポールでご結婚。その後、キースさんの地元である福岡へ戻ってきます。コーラシロップを作ることになるきっかけは、真子さんの故郷、喜界島を訪ねた時の出来事でした。

「真子:キースの両親と一緒に島へ結婚報告に帰った時、キースのお父さんにすごく驚かれたんですね。島ミカンがボトボトって民家のところに落ちて腐っていて、もうみんな食べてない状態が多かったので、それを見てキースのお父さんが"もったいない。なんでこれをみんな使わないんだろう。"っていう話を私にしてくれて。私はそれを聞いて、ずっと島に住んでたけども、それがもう普通の光景になってしまった。これフードロスになってるの気づかなかったなって、すごくびっくりというか。 それでその言葉がずっと引っかかっていたので、その島ミカンとスパイスで何か作れないかっていうのを考え始めた、という感じです。

和憲:コーラシロップみたいなものがあるという存在自体は知っていたので、シンガポールの時のスパイスの知識だったり漢方ドリンクなどは馴染みのあるものだったので、じゃあそのみかん・柑橘とスパイスでクラフトコーラを作ってみようっていうのがきっかけでした。」

和憲さんは、1年ほどかけてクラフトコーラシロップのレシピを作ります。その結果できたのは島みかんの果汁に、喜界島のざらめ、加えてスパイスやハーブを14種類。これを煮詰めたコーラシロップでした。そして、このコーラシロップを量産するために活用したのは喜界島にある施設でした。

「和憲:喜界町には農産物加工センターというものがあって、喜界町の町民であればお金を払えば借りられるという施設で。これはすごく立派な施設なんですけども、私たちが行った当時は多く使われていたわけではなくて。 それで、あまり使用されてなく少しもったいない状況もあったので、まずそういう施設があったからこそ始められたというのはあります。」

ちなみに、原料として使用している島みかんは喜界島のもの。島ではそれぞれの民家に みかんの木があり、その一軒一軒をまわって 不要なみかんを集めているそうです。

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真子:集落を回って了解をいただいて、買い取りをしながら収穫を行っています。 なので、その集落のおじいちゃん、おばあちゃんたちと喋る機会も結構いただいていて。ミカンの収穫は冬なんですけれども、年明けの寒い時期にハシゴをみんなで持っていって、軽トラックで行って、"ここのみかん買い取らせてもらえませんか"って話しながら、"えー、何に使うの?""あ、コーラ作ってるんですよ""えーっ?"ていう話もしながら収穫して。それで収穫する時に、その島ミカンの木のエピソードを聞かせてもらうのがとても面白くて。"これは戦時中に半分焼け落ちたけど、その横からなんかまたミカンが生えてきて、今では大きくなってさらに大きい木になってるんだよ"っていう話をされたりですとか、"おじいちゃんが昔植えてて、もう亡くなっちゃったけれども、おじいちゃんが大切に孫のために大切に育ててたみかんだから、いま孫もちょっと酸っぱいからって言って食べてくれないけれど、そのミカンの木は今でも大切にしてるんだよ"という話を聞いたりとかするので、感慨深いなと思いながら"いつもありがとうございます、また来年も大切に育ててくださいね"という話をしつつ、収穫に回ってます。」

TOBA TOBA COLA』と名付けたのは、どんな理由からなのでしょうか?

「和憲:トバトバの意味は、トゥバトゥバっていう喜界島の方言があって。それが、ウキウキするとかいう意味があるので。

真子:そのトバトバっていう言葉も今ではもう消滅危機言語に指定されちゃって。なので、トゥバトゥバっていう意味もみんなあんまり使ってないんですけれども、何か継承するような形でやっていけたらいいねっていうことでこの名前になりました。」

TOBA TOBA COLA』は、島の中で余ってしまったみかんを使っていますが、その製造過程で出たものが、さらなる循環を生んでいるそうです。

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真子:私たちは島みかんを本当に大量に仕込むんですけれども、その時に果汁は私たちがもらって、皮の方は私たちの先輩がやっているソンターガーデンっていうところのアロマオイルになります。

和憲:ソンターガーデンさんは牛もやってて、しぼりカスは牛がすごい大好きらしくて、しぼりカスは全部その牛が食べてます。

真子:それで、牛のふんとかは、みかんとか色んな果物の肥料にもなるので、本当に循環だなと思ってやってます。 」

最後に伺いました。TOBA TOBA COLA』、今後のヴィジョンとは?

「和憲:最近は音楽フェスみたいなもののスポンサーを少しやらせてもらったりとかしてるんですけど。今後は、真子の方が絵本を描くっていうようなプロジェクトも今進んでいるんですけど、文化とうまく繋げながら、ずっと続くものにしていきたいなっていうふうに考えています。

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真子:今後は、さらに海を飛び越えて、海外に向けても発信をしていきたいと思ってます。やはり喜界島は文化的に見ても動植物的にだったり、色んな分野から見ても、とても変わった島なので。喜ぶ世界の島と書いて【喜界島】という島からコーラを作って、それで発信していくってことに非常に重きを置いているので、これからもみんながウキウキしてくれるような...こっちもウキウキするし、受け取った人もウキウキしてもらえるっていうような活動を、コーラを拠点にすごく幅広い分野でやっていきたいなと思ってます。 」

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TOBA TOBA COLA