今回は、画家・現代アーティスト 井田幸昌さんのHidden Story。井田さんは、1990年 鳥取県生まれ。彫刻家の父親の影響で、子どもの頃からアートに触れる機会は多かったそうです。そんな井田さんが 絵に取り組むことになったのは、10代の半ばでした。

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「思春期に、ちょっとメンタルというか精神的に色々難しい時期がありまして。それでその時に、父親がアメリカに行ってたんですけど、帰ってきた父親が、息子が大変なことになっとるぞという感じで画材のセットを買ってきて「画塾に行け」と送り出されたんですよ。それが1番最初のきっかけというか。ただ、今みたいに画家になろうとかそういうわけでもなく、勉強のためにとか、少し精神を整えるために絵を描き始めたみたいな意味合いが当時は強かったですけど。その延長線上で今でも絵を描いてるようなところはありますね。」

その後、井田さんは、東京藝術大学を目指して東京へ向かいました。ですが、、

「東京藝大を目指して絵の勉強をしてたんですけど、3回かな?受験に落ちまして。それで1回絵の道をドロップアウトしちゃったんですよ。才能ないなと思ったというか、もうやめてしまおうかっていう風に思ってしまいました。ある種の挫折をして、実家に戻って、その時に石屋さん・お墓を作る職人さん。お墓だけじゃないんですけど、主にお墓を作る職人さんのもとに弟子入りみたいな形で勉強に行きました。」

絵から離れ、主にお墓を作る職人さんに弟子入り。お墓の仕事をする中、限りある命について想いを馳せ、井田さんは ある行動に出ます。

「画材とかも全部捨てちゃってたんですけど、ある休日に画材を買いに画材屋さんに行きました。給料も安かったんで全然お金なかったんですけど、買えるだけ画材をなんとなく買って家に帰ってちょっとだけ絵を描いてみたんですけど、そしたら涙がポロポロ出てきちゃったんですね。それで、多分僕は絵が描きたいんだなとその時に思いまして。周りにも相談できなかったんですけど、ある日、親方に相談をさせていただいたところ、『夢が諦められないなら、頑張ってきなさい』という風なお言葉をいただきまして。それでまた東京に出てきて受験して、結果として、その年たまたま藝大に入れたので、そこから本格的に絵の道に入ったというか。」

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井田さんは、東京藝術大学 在学中に作家活動をスタート。お父様の友人で彫刻家のロバート・シンドルフさん、井田さんが18歳のときに亡くなられたそうですが、メンターと慕っていたシンドルフさんに良い報告をすることも井田さんの1つの目標だったそうです。作家として徐々に活動の場を広げていった井田幸昌さん。彼の名前が世界に知られるきっかけは、なんとレオナルド・ディカプリオ。

「デカプリオさんがチャリティーオークションを開催されてまして、ある日インスタから『出してくれないか』と直接連絡をいただきまして。裏垢かな?そのようなアカウントから送られてきたんですけど、最初、詐欺かなと思って無視したんですけど、翌日その財団を仕切ってらっしゃるある女性から連絡が来て、『連絡行ったと思うんですけど、あれは本当だから出してください』みたいなことで。あれ、本当だったの?みたいな話になって出品するに至ったんですけど。2メーター50センチくらいのデカプリオさんのでっかい肖像画を出しましたね。本当に、世界中の超一流アーティストばかりが招聘されてたんですよ。それで、そこに20何歳のガキんちょが急に混ざってたんで、俺が入っていいのかなみたい感じで参加したんですけど。」

チャリティーオークションには、マドンナやトビー・マグアイアなどショービズ界の大物、さらにアートシーンの関係者もたくさんいらっしゃったそうで、そこで一気に世界に井田さんが知られることになりました。そして、井田さんの最近のトピックとしては、以前から交流があったONE OK ROCKのドームツアーの衣装デザインを担当されました。

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「最初にTakaさんから『今回のテーマは赤だ』ってそれだけ伝えられましてですね。僕の作品に赤って結構多い色なんですよ、『僕の色ですね』とか喋ってたんですけど。赤と、Takaさんってタトゥーがすごい入っていらっしゃるじゃないですか。それで、Takaさんにフィットするのなんだろうなと思ったけど、タトゥーのこととかTakaさん体のことを考えまして、それに合うようなデザインをしたいなって思いながら作った感じですかね。ライブの映像だったり写真だったりを見てて、白地だったり、結構シンプルな印象が多いなっていうことを思ったんですよ。 どっちかというと僕は極彩色な絵が多いので、せっかく僕が担当するんだったら僕の色を全面に出そうかなと思ったので、強烈な色彩と言いますか強い色彩を宿したいなと思いながら制作はしましたね。」

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ドームをさっそうと駆け抜けるTakaさんがまとっていたのは、井田さんが『強い色彩を宿したい』と思って作った衣装でした。海外での活動が多い、という井田幸昌さん。今後の目標を教えていただきました。

「究極的な目標は奈良の大仏とよく言ってるんですけど、2000年経ってもその場にあってみんなが見てくれるようなものが作れたらいいなと思ってます。目標というか、日々緊張感を持って制作にのぞんでいく。それで今まで自分ができなかったようなこととか、もっと良い作品を、ってことですけど、そういう日々を送っていけたらいいかなとは思ってますね。大きなこと言うのは簡単なんですけど、大きなとこに行くためにはやっぱりそういう小さいことがとっても大事になったりするので。日々の積み重ねというか、1歩1歩大事にしながら進んでいけたらいいかなと思ってます。」

IDA STUDIO

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井田幸昌展「Panta Rhei | パンタ・レイ − 世界が存在する限り」

鳥取県 米子市美術館: 2023.7/22(土)~8/27(日)

京都府 京都市京セラ美術館: 2023.9/30(土)~12/3(日)

https://ida-2023.jp