今回は、梅の産地である和歌山県みなべ町の会社『うめひかり』の代表で、若き梅農家のグループ【梅ボーイズ】のリーダー、山本将志郎さんのHidden Story。

山本さんは、明治時代から続く梅農家の生まれ。しかし、大学は薬学部に進学し、北海道で癌の新薬の研究に取り組んでいました。そんな山本さんが梅の会社を立ち上げたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

「先に実家の農園を継いだのが僕の兄だったんですけど、それまでは実家の農園では梅農家の仕事だけをやってたんです。梅農家の仕事っていうのは梅を栽培するとこまでが仕事で、そこから先の梅干しを商品にするところっていうのは、もう梅干し屋さんなんですよ。
地域でいろんな梅干し屋さんがあって、栽培してもどの梅干し屋さんに行ってるかさえも今は分からない状況やし、世の中に出回ってる梅干しって甘い梅干しがほとんどで。兄自身が育ててるけど、どこに行ってるか分からんし、自分が食べない甘い梅干しにばっかりなってるっていうことでやりがいを感じにくいっていうことを言っていて。
それだったら、僕が梅農家である兄が食べるすっぱい梅干しを僕自身の手で作ろうかなと思ったのが創業のきっかけです。 」
昔ながらのすっぱい梅干しをつくりたい。大学院に在学中、こうした想いを持った山本さん。まずは、どんな行動に出たのでしょうか?
「まずは兄の育てた梅ですっぱい梅干しをつけようということで、色々試行錯誤して梅干しを最初につけ始めました。僕自身つけ方も全然知らなかったんで、地元の梅干しを昔からつけてる方とかからアドバイスもらって。それで少量ずつ実験をしていったんですけど結構薬学でやってたことと似ていて、ほんとにちょっと微妙に量を変えたらどんな味になるんやろうみたいな。実験を何十通りとかやった中で美味しい梅干しができたんで、これで行こうという風に決めました。」
できあがった梅干しを札幌のホテルの中で開催されていた小さなマルシェで販売。売れたのは、1日に10個ほど。この結果をうけて、山本さんは、日本一周の旅に出ることを決意します。

「1日10個しか売れなかったらやっぱり商売には全然ならないんで、どうしようかなっていうのを考えた時に軽トラックに梅干しを乗せて全国に販売しに行こうって思いついて。それで、もう本当に2ヶ月ぐらいで準備して軽トラックで旅に出ました。和歌山でたくさんの梅干しを軽トラックの荷台に乗せて、四国の香川県から販売したのが最初です。そもそも販売もそうなんですけど、クラウドファンディングを最初にして。それで支援していただいた方に梅干しを1パックずつ届けに行くっていうプロジェクトもやってたんですよ。あとは、温泉施設だったりとかスーパーだったりに電話をかけて、ちょっと軒先で販売させてもらえないですかねっていうのをお願いして、大丈夫ってなったら自分たちで机を持って行って。その上に梅干し並べて販売してました。」
この旅で山本さんは、すっぱい梅干しを求めている人はたくさんいる、と確信。和歌山に戻ってすぐ、『うめひかり』という会社を立ち上げました。
地道な営業活動やYouTubeでの動画をきっかけに業績もアップ。梅干しの販売が軌道にのった『うめひかり』。若き梅農家をたばね、【梅ボーイズ】という活動もおこなっています。
「梅ボーイズとしては、すっぱい梅干しを残すっていうことが1つと、あとは梅農家の職業を魅力的にして次世代に繋いでいくっていうことを1つミッションとして掲げています。自分たちで新たな畑、耕作放棄された畑なんですけど担い手がどんどんいなくなって耕されなくなった梅畑がこの地域で本当に増えてるんですよ。それをまた開墾して、梅栽培できそうなところは開墾して、そこで次世代の若者を農園長にするプロジェクトをやってます。」
実は、これまでにすでに7人が和歌山に移住してきて新たに農家として活動をされているそうです。素晴らしい成果だと思うんですが、山本さんは「課題はさらに大きい」と語ります。

「耕作放棄地ってほんとに多くて、この地域だけで350ヘクタール、それって350万平米なんですけど。本当にとんでもない量が、どんどん倍倍ぐらいで増えちゃってるんで7人来たぐらいではどうにもならなくて。でも梅の需要が昔と比べては下がってきてるので、耕作をし続けるっていうのはやっぱ難しいと思うんですね。そういった難しい急斜面のところとかは、最近は山に返す活動をやってます。地域で広葉樹の木があって、それで紀州備長炭の生産地なんですけど、みなべ町はその紀州備長炭の原木であるウバメガシっていうカシの木を植えることで、ちゃんと綺麗な山ができて。そこから綺麗な水が生まれて、梅もずっと育てていけるよっていう周りの環境作りを行ってます。 」
株式会社『うめひかり』の代表、山本将志郎さんに最後に伺いました。今後のヴィジョン、どんなことを思い描いているのでしょうか?

「和歌山でどんどんと若者が農業しているっていう状況を知ってもらえて、全国の梅産地からもお声がかかるようになりまして。その結果、北海道の三笠というところで梅の農園を管理することになりました。北海道ならではなんですけど、ありえないぐらいの広さで和歌山だと絶対ありえない広さなんですよ。もう10万平米ありまして、それをちょっとどうにかしようということで、今1年間耕作されてなかった畑なんですけど、それをちょっと繋いでいけたらなということで北海道で農園長を募っています。なので、和歌山だけじゃなくて全国で梅農家の継承活動っていうのをここから広げていこうと思います。 」
