今週は、兵庫小野市で【シーラカンス食堂】というデザイン事務所。さらに、島根県大田市で【里山インストール】という会社を展開する、クリエイティブ・ディレクター、デザイナー、小林新也さんのHidden Story。

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小林新也さんは、兵庫県小野市のご出身です。ふすまや障子をつくる『表具店』に生まれ育った小林さん。 デザインの力に興味を持ち、大阪芸術大学 デザイン学科に進学しました。

「大阪芸術大学のデザイン学科時代にすごく仲良くなった先輩が島根県の出身で、島根に遊びに行ったんです。めちゃくちゃ過疎地域なんですけど、たまたまその人のお姉さんが古民家を買い取って、ここをこれから面白い街にしていきたい!みたいな方で。めっちゃ面白いやん!と思って、その先輩と2人でその古民家のリノベーションのデザインをしました。デザインの力で地場産業とかそういうものの一助になれたらなって思ってたんですけど、それだけじゃなくて、全部に共通してるその地域の文化とかその暮らしまで全てに共通してるものなんだなっていうことに、その時に実体験として気づけたというのが大きいきっかけです。」

さらに、小林さんは 大学在学中の2010年、瀬戸内国際芸術祭に参加。そこでこんな出来事がありました。

「瀬戸内海に浮かぶ豊島という島でやったんですけど、そのときにコンセプトデザインを考えていくにあたって、漁師さんたちとすごく仲良くなって。その漁師さんの世界も地場産業とか農業とかと同じように後継者問題がすごく深刻で、ある意味これから訪れる日本の未来を見てるような気がしたんです。そういうのが重なって、島根で見た過疎地域の現実と、地場産業の現実と、豊島の漁師さんと農家さんとかの現実を見て、初めて地元を客観視できるようになったというか。そういえば、地元のそろばんとかどうなんかな?地元のそろばん屋さんは今、どうしてんのかな?とか急に気になりだして。」

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小林さんには地元、兵庫県小野市で会いたい人がいました。

「そろばんのおっちゃん、と呼んでるんですけど、友達のお父さんなんです。しかも昔、少年野球してたときにコーチやってた人ですごい人情味のある方で、今もめちゃくちゃお付き合いあるんですけど、そのおっちゃんに会いに行きたいなと思って。そろばんの状況どうなん?みたいな感じから入って、いや実は僕、大学時代にこんなことをやってきて、っていうのを話してたら、2日後ぐらいに、デザインの仕事をくれるっていう。プロダクトデザインの仕事をくれて、会社っぽいスタートはその辺から切ったって感じです。」

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いよいよ、【シーラカンス食堂】が動き始めます。ちなみに、この会社名は『シーラカンス』の語源に共感を覚えたことや、変わった名前にすることで デザインについて話す機会になれば、という思い、そして、Mr.Childrenの『シーラカンス』にもインスパイアされたとか。そろばんの"おっちゃん"に会って、そろばんの現状を聞いた小林さん。かつては、小野市で、年間に360万丁も作られていたそろばんがいまでは年間16万丁ほど。そんな状況を受け、小林さんは、『そろばんを計算機としてではなく、教育の道具やおもちゃとしてアピールすることが大事だ』と考え、知育玩具などのプロダクトのほか、パンフレットや展示会のブースをデザインしました。そして、この そろばんの取り組みが話題となり、、、

「そろばんのことが結構テレビで放送されたんです。それをたまたま見ていた地元の刃物問屋さんが、、、その方も実は僕の同級生のお父さんなんですけど、正月とかだったかな?商店街でたまたま会って、『しんやくん、小野にはな、そろばんだけじゃないねんで。刃物もあんねんで。』って言われて。そのときにそのおっちゃんが『何か新しいハサミをデザインしてや』みたいな感じで話してたんですけど、後日、小野金物卸商業協同組合という問屋さんの組合から正式に新しいハサミをデザインしてくれ、という依頼が来まして。鍛冶屋さんの工場を案内していただいたんですね。そのときに目に飛び込んできた、握りばさみ、総火造り鍛造、本当にただの鉄の棒、ボールペンぐらいの鉄の棒にちっちゃい鋼をくっつけて握りばさみにされてる水池長弥さんていう方に出会ったのが、本当に自分が刃物にのめり込むきっかけになったというか。』

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さて、刃物について依頼を受けた小林さんですが、新しい刃物を作るのではなく、小野の『刃物産業』をプレゼンテーションすることが重要だと考え、『播州刃物』という名前のもと、世界展開をスタートしました。そして、先程お話に出てきた水池長弥さんのお弟子さんをつくることにも成功。その後、数人の若き職人さんが育ちました。しかし、

「そこから全く、新しい後継者が生まれなくなってしまって。職人さんは、人1人育てるのにとんでもない体力を使うんですけど、それが難しい。親方になる責任って、やっぱり弟子を一人前に育て上げるという、その時間的な責任なんです。彼らは10年ぐらい修行しないと一人前になれないと思ってるんで、自分が70歳80歳だと、その責任を負えないということで、断っちゃってたんですね。ある時、『じゃあ責任は僕が負うから、おっちゃん教えてくれるの?』っていう質問したら、案外みんな『なんぼでも教えたんで』って言ってくれて。そこからデザイン事務所の前にMUJUNワークショップという、後継者育成をする工房を作りました。そこで、今2人、もうすぐ3人になるんですけどの後継者を育てています。」

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現在は、兵庫県小野市の【シーラカンス食堂】、さらに、島根県大田市の【里山インストール】、ふたつの会社を展開されている小林さん。島根をもうひとつの拠点にしたきっかけは、2020年の春から始まった、パンデミックでした。

「いろんな流通が止まったりしたときに、材料とか資材とか、そういうものも地場産業と言っているけど、実は、ほとんどがもう地元のものじゃないんですよね。燃料にしても、原料にしてもなんにしても。そこにすごく違和感と、今までも感じてたブランディングの限界みたいなものを感じて。やっぱり究極は、原料も材料も自給するべきだと。でもそれを考えていった結果、そっか、と。日本が何でこんな職人の国になれたか。やっぱり山林が70%を占めるこの国で、自然ありきで自分たちが生かされてる、そういう感覚を持ってものづくりをしてきた。その結果、職人の国になれたっていう、そういうことなんだなっていうことに気づいたときに、『里山』というワードが出てきて、里山暮らしをしながら、もの作りをする。これこそが究極なんじゃないかなというふうに考えました。昔からずっと通ってた島根には里山がたくさん残ってるので、思い切ってパンデミック突入した3月の末から島根で場所探しをして、その夏、8月ぐらいから、里山再生をずっとしています。」

シーラカンス食堂ウェブサイト

時津風ウェブサイト

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