今週注目するのは、京都の農業生産法人【ロックファーム京都】。ウェブサイトにはこうあります。『日本の農家、農業をもっとカッコよくする』。

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【ロックファーム京都】、代表の村田翔一さんにお話をうかがいました。農家の4代目として生まれた村田翔一さんですが、20代のころは消防士として働き、休みの日に実家の農業を手伝っていました。専業農家へ転身するのは、今から4年前、村田さん32歳のとき。

「もともと幼少期から近くは畑とか水田だらけだったので、すごく関わりがあったっていうところと、そういう田舎が好きで農業というのが一番身近にある仕事っていうのが大きくは一つあるんです。でも、マイナスのイメージが多い農業を何かプラスに持っていけないかなっていうのは学生の頃からあったっていうのがあります。その中で一つチャレンジっていうことがしたくて。」

最初は、一軒の農家として始めた農業でしたが、翌年、農業生産法人【ロックファーム京都】を設立。

「法人立ち上げる前の年は、僕が個人事業主として1人いて、あとはアルバイトとパートさんがスタッフでいたんですけれども、僕は一番やってたことって言えばやっぱり営業なんですよね。その辺走り回って販売先を見つけて、1人で何役してたのかなっていうぐらいあれもこれもして。でもそうすることで、どれも中途半端でうまくいかないというか、やっぱり1人では何もできひんっていうのにも気づかされて。その年にとんでもなく大きな台風が上陸して被害を受けたっていうのもあったんですけど、やっぱり1人じゃなくて仲間とやりたいっていうのもあって、いろんな仲間のいろんな力が合わさって一つ大きなことをするというか、したいというか、そうした方がいいんじゃないかっていうのがあったので。」

【ロックファーム京都】は、以前から村田さんが作ってきた『九条ネギ』の生産をスタート。しかし、実は、ひとつの畑で九条ネギを作り続けると、いい九条ネギができなくなるそうで、九条ネギを育てたら、次は別の作物を育てる、というサイクルが好ましい、ということ。そんな中、村田さんが作ることにしたのは、ホワイトコーンでした。

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「『ホワイトコーンできました。買いに来てください!』で、来てくれるほどやっぱ甘くないなってのもあったので、この商品面白そうだとか、何か買いに行ってみたいなって思っていただけるような自社のブランドを作れへんかな?っていうところがあって。その中で、どうせつくるんやったらいずれ世界に進出できるような商品にしたいな、なんていう野望がありまして、せっかく京都でやってるんで『京都府』『白いトウモロコシ』、これは世界から見てどうしたら認知してもらえるかな?共通と言ったら白い舞妓さんかなっていうのがあって、偶然、京都・舞妓、【舞コーン】やな。もうこんな単純な話で【京都舞コーン】というのが誕生しました。」

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九条ネギをつくる畑で、九条ネギをつくらない年に生産するのがホワイトコーン=その名も、【京都舞コーン】。美味しさには、こんな理由もあるそうです。

「九条ネギを作る上で、同じ畑に1年半近く九条ネギが居続けるんですよ。その1年半かけて九条ネギが自分たちでは吸えない栄養素であったりを地中に残してシーズンが終わるんですけど、そういう九条ネギが残していった残渣を九条ネギを作った後の土壌で京都の舞妓が作るんです。その土壌で作るからこそ、おいしい京都舞コーンができる。ネギが残していった残差は次のネギには良くないものなんですけど、京都舞コーンにとっては大好物の栄養素であったり、肥料分が残っている状態なので。」

この【京都舞コーン】、まずは とれたてを 生で 食べてほしい、ということですが、ほかには、どんな食べ方がおすすめなのでしょうか?

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「生で食べてもらうのもいいですし、あと僕が好きなのは、うちらは焼き舞コーンと呼んでるんですけれども、取れたてのスイートコーンに少し醤油を垂らしながら、香ばしく焦がしていただくとその甘さとお醤油の香ばしさが相まって、非常においしい焼き舞コーンができます。あと舞コーンご飯していただいたりとか、あとは天ぷらにしても非常に美味しくていいと思います。」

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生でかぶりつかせて頂きました!

最後にうかがいました。【ロックファーム京都】が掲げるミッションのひとつ、『農業の可能性を探求する』。村田翔一さんは、農業にどんな可能性を見出そうとしているのでしょうか?

「その農業の可能性を探求するっていうところは、農業の生産加工販売だけじゃなしに、農業って地域に根ざした仕事っていうのもあるので、ロックファームにとったら、今は福祉にも参入して福祉事業もやってますし、その地域のこれからのコミュニティの形成というか、その地域の環境作りっていうとこにも取り組んでいきたいなと思ってまして。その地域の高齢者の生きがいというか、お仕事をこちらが作って、その地域で一つ循環できるようなモデルっていうのをこれから作っていきたいですし、日本を代表するような農家になって、そこからはやっぱり世界にも挑戦して、『日本の農業、ここまでできるんだ』というような可能性もどんどん見せていきたいですし、これからまだまだ農業の可能性っていうのを僕自身、感じてる。まだその段階ですかね。」

ロックファーム京都ウェブサイト