今回は、GLAYおよそ2年ぶりのオリジナル・アルバム『FREEDOM ONLY』のHidden Storyです。

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語っていただいたのはGLAYのギター、そして、ソングライティングを手掛けるTAKUROさん!通算16枚目のオリジナル・アルバム『FREEDOM ONLY』、まずは、どのように制作がスタートしたのか、教えてください。

「アルバムの制作は3年ぐらいにわたって行われたんですけども、当初は自分が50代に突入するにあたって、自分の音楽史・自分史みたいなアルバムにしようと思いました。特に僕が聞いて育った80年代、90年代のあの芳醇な音楽。あれを今のGLAYと掛け合わせたらどんなふうなサウンドになるんだろうなっていうことで進めていきました。GLAYのメンバーがどんどん50代になる、そんなときをアルバムに刻めたらなっていうふうに思って。このFREEDOM ONLYのレコーディングの最中にコロナ禍に入りまして、全ての作業はストップ、活動自体も全てストップしたっていうことで、改めて再開するにあたって、GLAYが今までどんなことをやってきたのかっていう、全作品も含めて、デモテープに至るまで聴き直したんですね。古くは25年ぐらい前のデモテープを掘り起こし、10年前の書きかけのフレーズを掘り起こし、それを形にするには十分に時間あったんで、そういう意味では、これほどまでに長きにわたってのアルバムは初めてだと思いますね。」

80年代から90年代にかけての芳醇な音楽を今のGLAYとかけあわせたらどうなるのか??そんな想いをもって制作されたアルバムの1曲目は『BETTY BLUE』。 この曲を1曲目にしたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

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「GLAYは日本のいわゆるロックを模倣するところから始まって、海外からの影響っていうのはずっと後のことです。日本のロックバンドがかっこいいなぁ、ああいう風になりたいなぁというところからスタートして。でも、個人的に僕は日本の今で言うシティポップっていうものが大好きで、大瀧詠一さんから達郎さん、最近よく稲垣潤一さんとかも聞くんですけども、その中でもシティポップの貴公子の山本達彦さんが特に好きです。そういった全くもってバンド体験としては関係ないとこのソロシンガーたちの影響はとっても僕の心の中には根付いていて。だけど、実際に現場でやるGLAYのサウンドとしてはそのルーツを持ってる人ってあんまり他のメンバーにもいないから、共通言語としてロックを選びましたけれども、やっぱりGLAYのサウンドがどんどん多様化していくときに、例えば、ちょっと複雑なジャズっぽいコードもみんな軽々ともう消化してくれる、それはやっぱり25年以上やってるバンドの強みですよね。彼らの中にあってもなくても、誰かメンバー1人がやりたいって言ったときに、それに寄り添う大人的な優しさも持ち合わせた。そういうものがこの『BETTY BLUE』には全部出てると思うんですよ。大人のたしなみとしての包容力とか優しさとか、何かそういうものを感じたときに、50歳を迎えて初めて出すアルバムにはこの『BETTY BLUE』がふさわしいのかも。何か今のGLAYの充実度を表すのはこの曲なのかもっていうのはなんとなく当初から感じてましたね。」

つづいてアルバム2曲目は、歌詞に、TERUさんの本名=小橋、という名前が出てくるナンバー『Hypersonic』。

『Hypersonic』これは仮タイトルが『小橋の夢』というね。これはなんてことないただ、30年近くTERUの横でギターを弾けているというか、移動中とか打ち上げとかで何だかんだと話してるときに、なんとなく彼が言ったことをなんとなく頭の中にメモしておいて。いつだったかな、デビューしてすぐくらいかな、全国にお客さんが増えるにつけ、何かこのファンたちに恩返しをしたいと。『そうだ、ライブハウスで無料で100日やったら楽しんでもらえるんじゃないか。』『馬鹿野郎、会社が潰れちゃうよ』っていう。タダなんかいっていう。でもそのピュア過ぎる発想を何年経っても忘れないんですよね。 もう一つは、こういった私小説的な歌詞って今ないですよね。みんなやっぱりある種ちょっと言い方悪いけど、テンプレートで絶対に人を傷つけないし、絶対に間違ってない、正しいことを間違った温度で言ってるから。いや、正しさはそうなんだけれども、人間ってもっと喜怒哀楽の間にもっと変な感情もあれば、いろんなことがあるんだけども、最近、ど私小説な、自分たちの身の回り半径50センチの歌を歌ってる人ってあんま見ないなと思ったんで。」

アルバム『FREEDOM ONLY』...今回、TAKUROさんが最も力を注いだ、と語る曲が『祝祭』。

「この曲『祝祭』はもう一歩、人間に対して踏み込んで歌っていきたいなと。コロナになってから民主主義に前に進んでた文化がどんどん逆戻りしてる。そして人間がどんどん分断されていくっていうニュースを見て悲しい思いや悔しい思いをすればするほど、それが曲として、、、歌で、、、変えようとは思いません。世の中は変わらないと思うけど、誰か人は変わるかもしれないっていう希望は持っていて。で、『祝祭』を書き上げたときに、俺が一番このアルバムで言いたかったことは、人は最後の最後に絶対間違えるなって、だからその間違えた過去から、繰り返さないようにって頑張るんだろうな。でもそれでもまた間違えるんだろうな。それでも諦めない。くじけない。それが多分、人間の歴史なんだろうなって思って。」

最後にうかがいました。16枚目のオリジナル・アルバムをリリースしたGLAY、これから どんなことを胸に 活動を続けていこうと考えているのでしょうか?

「コロナ禍でバンドがストップしたときからいつも思ってるけど、バンドの表立った活動は止まったとしても、その中身は絶えず動いていたいなって。それは僕らが高校時代にスタートして、世の中の人たち誰もGLAYなんか知らないけど、僕らは毎日バンド活動を楽しくやってたわけです。 町の小さなスタジオで誰かんちの部屋でジャカジャカやりながら、それでいいと思う。それがやりたいことなんで。GLAYが今できることの全てを並べて僕は一つだけ取るとしたら、このままワイワイバンドが死ぬまでやれること。それ以外のことは究極いらないとも言えますね。お金を作るんだったら他でもいろいろできると思うし、名誉をかち得るならもうちょっと違ったやり方もあるでしょうけども、僕がGLAYでやりたいことは、この気のあった3人とワイノワイノ、『こんな曲どう?』『それLUNA SEAそっくりだな!』『いいじゃないかよ!』みたいなさ、『それレベッカだね』『好きだよ』みたいな感じでやれれば、それでいいんだって。一番大切なことをこのコロナ禍で改めて確認できたので、もしこのラジオ聞いてる人たちが未来に対して不安があるとしたら、シンプルに本当に一つ大切なものだけを再確認したら、多分、心はちょっと軽くなると思う。自分がそうだったから。そんなアルバムになってくれましたね。GLAY全キャリアを通して一番いい歌を歌ってると僕は思いますよ。プレーもそうですけどね、みんなの。」

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