今回は、ビルボードの全米チャート『Top R&B/Hip-Hop Albums』今年1月16日付のチャートで、ナンバーワンを獲得したアルバム、Lil Durk 『The Voice』。

このアルバムに参加した 日本人のプロデューサー・トラックメイカーTRILL DYNASTYさんのHidden Story。
TRILL DYNASTYさんは、茨城県出身の28歳。現在も北茨城市を拠点に音楽活動を続けています。そんなTRILL DYNASTYさん、音楽制作を始めたのは、今から4年ほど前。さらに、その数年前までは、ヒップホップを聴いていなかったそうです。すべての始まりは、水戸市にあった洋服屋さんで働いていた時の出来事でした。
「その当時、僕、洋服屋さんでアルバイトをしていて、そこで出会った人にターンテーブルやミキサーを譲っていただいて、DJをやるきっかけを作ってもらった感じです。音楽は好きだったけど、ヒップホップはあまり聴いてなかったですよ。B'zとかミスチルとか有名なアーティストを聴いていた記憶があります。
DJを始めるちょっと前に、その洋服屋さんに入ってからヒップホップに触れる機会がすごく増えて、それでヒップホップかっこいいなってなって、のめり込んでいった感じですね。ほんとにそれがきっかけなんです。ターンテーブルいただいてなかったら、今の僕はないと思いますね。」
たまたまもらったターンテーブル、ミキサー、スピーカー。まずは地元、さらに東京でDJを始めます。そして数年後、音楽制作を始めることに。
「『作曲してよ』って地元の仲間たちから背中を押され作曲やるということになり、すぐにDJはやめましたね。地元で一緒にやっていたラッパーたち、僕の地元は田舎なんで競技人口も少なくて、作曲って裏方の仕事だからなかなかやりたい人が実際いなくて、それで僕がやり始めた感じなんです。」
作曲を頼まれたものの、TRILL DYNASTYさんはそれまで、音楽を作ったことがありませんでした。
「ずっと音楽は聴いてたけど、義務教育の音楽の授業もろくにやってなかったし、実際始めた時も、『ド』の位置もわからないところからだったので苦労しましたね。もうその時、東京との往復でお金がなかったんで、安い2万円くらいのパソコンとちっちゃいキーボードと安いスピーカー買って始めたんですけど、鍵盤に関しては学んでないです。ただ、ひたすら自分が好きな音楽を、DJの時に自分の世界に入れていたDJだったので、耳に関しては多分せまい範囲だけど肥えてたと思うので、それを単純にキーボードを使って表現するだけだったから、キーボードの勉強はしてないです。最近ちょっと始めたくらいで。」
実はTRILLさん、最初にトラック作りを始めてから半年で、海外のアーティストへのアプローチもスタートしていました。
「基本、インスタのダイレクトメッセージとか、あとはいろいろディグって自分の好きな作曲家のgmailアドレスを手に入れて、そういう人たちに、自分が作ったビートやループを毎日送りまくっていました。仕事終わって帰ってから朝の4時5時まで毎日ですね。
だから結局、彼らはその送るという行為に対して興味を示してくれたわけじゃなくて、僕の熱量にやられた、というのを後から聞いたんですけど。その熱量にやられて、別にスキルもないし、特徴的な音楽をその時作っていたわけじゃないけど、感じるものがあったんじゃないですかね、海外の人たちは。」
そんな日々の中、マネージャー、Diaper Goatと出会い、海外での活動の幅が広がって行きます。そして! 全米R&B/Hip-Hopのアルバムチャートで1位を獲得した Lil Durkのアルバム『The Voice』のタイトルトラック、『The Voice』。このHidden Story、教えていただきました。
「『The Voice』に関しては僕以外に三人、合計四人で作曲しているんです。もともと、Ayo Blue、LowLow、それと僕の三人で作っていたんですけど、そこにLil Durkの側近、先日亡くなってしまったんですけど、Turn Me Up JoshというLil Durkのボーカルミキシングとかマスタリングとかアルバム全体のプロデュースをする最高の裏方がいて、彼が僕たちの曲を聴いて『俺も一緒にやるわ』って言ってくれて、四人で最終的にそのビートを完成させたのがLil Durkのところにポーンと行って、『The Voice』ができた感じです。リリックの内容を知ったのは、リリースされてからちょっとしてからなんですよ。内容的には、自分はストリートの代弁者として声を上げ続けてきたけどみんな離れていっちゃう、なんでだ?みたいな。だけど、俺はストリートの代弁者であり続けるよ、みたいな、めちゃめちゃ僕的にはかっこいいなと思ったんですけどね。」
プロデューサー、トラックメイカー、TRILL DYNASTYさんに最後にうかがいました。今もなお、茨城を拠点に活動するのはどんな理由からなのでしょうか?
「有名になって地元に還元したいっていう気持ちが一番あったんで、僕がやっているヒップホップはそれが一番クールだと思ってやってるんで。茨城のことを愛してるし、茨城の後輩たち、ラッパーたちにもっといい景色をみさせたいし、それが僕にとっての成功だから地元にいる、というのが答えになるんですよね。山と海と田んぼしかない北茨城市に僕は一生拠点を置きます。いろんなところヒョロヒョロヒョロと行ってたらかっこよくなくないですか?僕的にはかっこよくないんですよ。僕の夢は海外ではグラミー賞を取ること、日本では作曲家の地位を高めるとともに、僕みたいに海外にアプローチをしたい子たちのサポートをしてあげること、ですかね。」