今回はユーミン、赤い鳥、サーカス、ハイ・ファイ・セット、そして、YMO!! 素晴らしいアーティストを世に送り出した【アルファ・ミュージック】のHidden Story。

20210305h01.jpg

創設者の村井邦彦さんにお話をうかがいました。

【アルファ・ミュージック】は、1969年に音楽出版社としてスタート。作詞家 山上路夫さんと作曲家 村井邦彦さんのコンビで曲を作り、アーティストに提供する仕事のほか、海外の楽曲、例えば、フランク・シナトラが大ヒットさせた『My Way』、さらに、キャロル・キング、1971年の傑作アルバム『Tapestry』も日本での出版権はアルファが持っていました。

そんな【アルファ・ミュージック】が日本で作家として最初に契約したのは、なんと。

「作家として一番最初に契約したのが、ユーミンだったんです。まだ高校生だったんですけど。ユーミンも最初は作曲、作詞家として契約したんですけどもが、後にレコードを作る、ということですね。『ひこうき雲』なんて、雪村いづみさんが歌ってますよ。」

ちなみに、村井さんとユーミンとの最初の出会いは、どんなものだったのでしょうか?

「僕、驚いたんだけど、ユーミンが13歳の時に書いた曲というのを、加橋かつみさんというタイガースにいた方ですが、タイガースから独立してソロアルバム2枚目かなんかを作っていたんですね。僕も曲を書いていたんですが、その録音にビクターの原宿のスタジオに行ったら、僕の曲を録音する前に、ユーミンの曲が録音されていて、そのプレイバックをかけていたんですよ。それを聞いて、これはいい作家だなということで、うちの会社と契約しませんか?とたずねたんですが、まだ若かったから『もうちょっと時間をください』ということでした。でも高校生のうちに契約して、それで毎週、その頃アルファミュージックの事務所が三田にあったんですが、そこにオープンリールのテープに録音した曲を毎週毎週持ってきていたんです。そのうちの1曲が『ひこうき雲』だったんです。

それで、雪村さんの『ひこうき雲』を録音したあたりに、やっぱりユーミンの曲は彼女自身で表現した方が曲の良さが分かるんじゃないかとみんな思い始めたんですよね。それで『ひこうき雲』を作ることになったんです。」

1973年、ユーミンのファーストアルバム『ひこうき雲』のレコーディングが始まりました。

「ユーミンは自分が選んだバンドでやりたかったようなんだけど、僕はどうしても細野君とやってほしかったんです。それは音楽のクオリティが高かったですからね。それで細野君にバンドを組んでもらって、ある種、音楽監督のような感じで細野君を迎えて『ひこうき雲』のレコーディングが始まったら、そこに細野君が連れてきたキーボードが松任谷正隆だったんだよね。」

アルバム『ひこうき雲』は、村井邦彦さんプロデュース、細野晴臣さんを音楽監督のような立場で迎えて制作されました。そして、細野晴臣さんといえばY.M.O.もアルファからのリリースです。

「細野君も僕もやりたいと思っていたのは、海外で売れるレコードを一緒に作ろうよということを考えていたわけです。試行錯誤をしながら海外マーケットで売れるものを作ろうということで細野君がねじりはちまきで考えた企画が、YMOだったんです。海外向けなのでできあがったYMOの曲をすぐ、当時提携していたA&Mレコードの30人くらいで行うマーケティングミーティングというのがあるんですが、そこでかけたんですよ。そしたら若手の社員たちが『これは面白いからぜひやろう』ということで。A&M主導でグリークシアターでライブやる、アメリカでツアーする、ヨーロッパでツアーする、それを2回くらいやったかな。すごい珍道中で、例えばフランスでテレビかラジオかに出たんですが、司会者はフランス人でフランス語しかできず、細野君にフランス語でいろいろ聞くわけです。でも、細野君は何言ってるかわからない、でも何か答えなきゃいけない。そしたら『天ぷらそば食べたい』って日本語で言うわけです(笑)。面白いなと思って見てましたけど。」

そんなアルファミュージック、2015年には村井邦彦さんの古稀=70歳を記念した『アルファミュージックライブ』がありました。

「アルファレコードを僕が辞めたのが1985年なんですよね。それから30年目です。みんなで集まって何かやろうよというのを、松任谷正隆、松任谷由実、細野晴臣なんかと相談したら『アルファミュージックライブ』というのをやろうと。企画は松任谷正隆が考えてくれたんですけど、やり出したら同窓会みたいになって、ユーミン、ティンパンアレイ、YMO、坂本龍一君はその頃病気で出られなかったんですが、ジョン・カビラさんが司会をしてくれるし、雪村いづみさんも出てくれたし、赤い鳥も生き残りが出てくれたり、本当にアルファのアーティスト総出で、サーカスもいた、ブレッド&バターもいた。すごいコンサートができたんですね。いや、もう一生の思い出だし、一生の記念だし、参加したミュージシャンもみんな同じ気持ちじゃないかな。」

アルファ・ミュージックウェブサイト