今回、注目するのは長野県松本市に本社、東京にも支店を持つ【藤原印刷株式会社】。

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昭和30年、1955年に女性のタイピスト·藤原輝さんが【藤原タイプ社】として立ち上げ、その後、心を込めて刷る=『心刷』をモットーに様々な印刷物を手がけてきました。

そして現在、藤原輝さんの孫にあたる藤原隆充さん、藤原章次さんの藤原兄弟がこの印刷会社に 新しい風を吹き込んでいます。

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まずは、兄·藤原隆充さんと弟·藤原章次さんにうかがいました。おふたりが家業である印刷の仕事をしたい、と考えたのはどんな理由からだったのでしょうか?

隆充さん:もともと継ぐきっかけになったのもおばあちゃんがすごい人というか、おばあちゃんのことを尊敬してて、継ごうと思ったのがきっかけだったんで。15歳の時に祖母が亡くなったんですね。その祖母の葬式に参加して何100人という人が線香をあげにきておばあちゃんの死を悲しんでくれたことに感動して、そこで初めて自分で継ごうと思って。

章次さん:僕はそもそも兄と違って、両親は長男に継がせようと思っていたので、僕に継いでくれという話はなかったんです。でも、大学3年の時に兄が就職していた藤原印刷ではない別の会社で机を隣にして、テレアポしたり営業したり会議でたりということをさせてもらった結果、兄貴と仕事をするのは楽しいなと思って。兄に『一緒に家業を継ぎたいんだ』と話して、快諾してもらえたんで、両親に『就職活動をしないで藤原印刷に入りたい』と言ったら、『必要ない』と言われて(笑)」

さあ、弟さんから『一緒に家業を継ぎたい』と言われたお兄さんの隆充さん。当時、東京のベンチャー企業に所属されていたそうですが、その言葉、どう感じたのでしょうか?

隆充さん:なんか、全然そんなこと考えてなかったんで、めちゃめちゃありがたいなと思って。絶対一緒にやろうよと思ったのと、その時点で弟の方が藤原印刷に入りたい気持ちが強いんです。今でも覚えてますけど、当時、国立に住んでいたんですけど、国立の焼き鳥屋さんで、『本当に俺が入るためには、兄貴が入らないと俺が入れないから』ということを話してもらって、その翌日に会社にやめさせてください、と話して、藤原印刷に入りました。

章次さん:すごい恥ずかしい話ですけど、ディズニーもウォルト兄弟って兄弟で始めてあれだけ大きくなったんで、日本のウォルト兄弟になりたいと思ってて、兄貴と一緒にやりたいと。

隆充さん:兄は兄で、表参道がいいなとか、渋谷のベンチャー企業って響きがいいなとか言って腹が括れてない、という。それをプッシュして背中押してもらって、当時働いていた会社をやめた、という、そういう兄弟関係です。」

2008年に、お兄さん、隆充さんが藤原印刷に入社し、長野の本社で勤務。2年後、弟の章次さんも入社し、東京の支店で営業を担当することになりました。

章次さん:二人して、若い会社、右肩上がりのベンチャー企業から50年以上の歴史をもつ同族企業という全く別の環境にきて、正直すごいギャップで、悩んでいたし、思っていた通りにならなかったんです。入りたての時は毎週末、あずさに乗って松本に行って兄貴と飲んで、また日曜日帰る、みたいな感じで、週末松本旅行みたいな、悶々としていた感じですね、最初の1~2年は。」

藤原隆充さんと藤原章次さん。実家の印刷会社【藤原印刷】に入社した兄弟でしたが、最初は、思い通りにならず悩む日々。転機となったのは、弟の章次さんが紙の印刷物を手がけるデザイナーのみなさんに営業を始めたことでした。ふたりがターニングポイントに挙げた雑誌の一つが、『Nマガジン』。

章次さん:当時、大学3年生だった人が、まだこんなに活躍する前の水原希子さんを表紙に使ったファッション雑誌を作ったというニュースを見て、大学生がファッション誌を作って、水原希子さんが表紙って、どういうことだろうと思って調べたら、とにかく熱意で完成させたのがN magazineだったんです。僕が知った時は、確か1000冊くらい作ったのが完売した後だったんですが、僕自身がtwitterで『この素敵な雑誌をうちで印刷させてほしい』と連絡したら、『僕はもうこの雑誌を印刷しません』と言われてしまって。なんでこんな話題なのにもう作りたくないのかなと思ったら、色が悪いと。せっかく、プロのカメラマン、プロのモデルさんと仕事をしたけれど、とにかく色が悪くて、関わってくれたひとが残念だねという感想で、『僕はもう雑誌は作りません』と言われたので、『2回目は絶対きれいに印刷するからうちに発注してください』と伝えたのがNマガジン、という雑誌です。」

この仕事をきっかけに、藤原印刷は、紙にこだわる印刷物を多く手掛けるようになります。ポイントは、通常は、出版社が仕様書を作成し それをそのまま印刷する、というスタイルですが、藤原印刷では、どんな紙にするのか、どんなインクを使うのか、どんな本にするのか、最初から相談しながら本作りに関わること。そして今、二人は、さらなるヴィジョンを持って仕事を続けています。

隆充さん:よく弟と話しているのは、印刷はあくまでツールで、印刷を目的にしてないよねって話はしているんですよ。結果的にやっていくと本を作ることを通していろんな人が喜んでくれる。ありがとうと言ってくれるっていう経験を積めば積むほどやってよかったと思っていて、その喜ばせる手段として大きな武器が印刷で、それ以外にもやれることはやっていこうという。なので、ここ数年は印刷の製造から離れた、例えば、我々が作らせていただいた本を納品後、自分たちで仕入れをしてブックイベントに【印刷屋の本屋】として出店して、印刷のプロセスで『ここだけインクが違うんです』とか、『段ボールを使っているんですよ』とか、編集者や著者が語れないことを製造側として語って誰かに届けるお手伝いをするということもやってます。

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また、2年前の秋には、印刷の工場を開放して、印刷の体験イベントと、そこで仕事をしたことがある方を20社ほどお呼びして、本が買える【心刷祭】というイベントを開催して、400名ほど来ていただいたりとか、印刷が主ではあるが、そこにまつわる『誰かが喜んでくれること』を積極的にやっていこうというのがこの先のヴィジョンというか、考えていることです。」

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藤原印刷ウェブサイト