今回ご紹介するのは、詩人の最果タヒさん。
詩集としては異例の 数万部の売り上げを記録。2016年の詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、この作品は映画にもなりました。
多くの人をひきつけるその詩は どのように生み出されているのか?最果タヒさんにお話をうかがいました。
まずは、最果タヒさんが詩をつくり始めたころのことをうかがいました。そのきっかけは、いつごろ、どんなことだったのでしょうか?
「詩を書き始めようと思って書き始めたというよりは、最初のころはネット上で、誰のことも気にせずに文章を書ける場所がほしいと思ってブログをつくったのがきっかけでした。
そのころはまだ中学生でしたが、人とお話するときに相手が言ってほしいことを言うと、空気を読むみたいなことが非常にこわくて、言葉がすごく苦手だなと思い始めていた時期でした。
人の顔色を見て言葉を選ぶというよりは、もっと好きに書く場所が自然と欲しくなって、ブログで書いていた文章を見た人が、「詩みたいだね」と言ったのがきっかけで、これは詩なのかと思い始めました。」
このころ、もうひとつ大きな出会いがありました。それは、BLANKEY JET CITY。
「まわりの子たちの望んでいる言葉をしゃべるのが苦痛だったり、言葉に苦手意識があったころにブランキーを聞いて、『言葉ってこんなにかっこいいんだ』と知りました。
ブランキーの歌詞は、知っている言葉だけれど、見たことのない使われ方をしていたんです。
今まで言葉は、こういう風に使いましょって定義した意味合いで使うものだと思ってましたが、ブランキーの歌詞はそれを無視して自分のなかでアップデートして言葉を使っていて、すごくびっくりしました。
そのことが、言葉そのもののかっこよさと言葉を書くことに強く心をひかれたきっかけとなりました。
最初に好きだったのは『冬のセーター』という曲で、爆弾を搭載した飛行機が行方不明になった、というニュースを聞いて主人公の男の子がモデルガンで頭を撃ち抜くマネをする、そのあとの歌詞が、「おばあさんが編んでくれたセーターを着なくちゃ」という歌詞なんです。
歌詞って文脈が飛ぶんですよね。その文脈が飛ぶところが、なんで飛んでるのかわからないけど、説明されないからこそ、わかる...部分みたいなところを大事にしていると思いました。」
以前は言葉に苦手意識があった、と語る最果さん。いま、言葉について、書くことについては、どんなことを思っているのでしょうか?
「私は、読む人の心を動かそうとか、読む人の心を代弁しようというのは、おこがましいなと思っています。
人の気持ちってわからないじゃないですか。
私は中学生のときから、空気を読んで自分を演じるのが苦手だったので、そう思うのかもしれません。
学校のクラスメートと話してもすべてはわからない、理解できるとは言えないなと思っていて、そういうこともあるせいで言葉が苦手だと思っていました。
しかし、書いていくうちに、だんだん、だからこそ言葉があるんじゃないか、と思うようになりました。
わかりあえないけど...人って一緒にいるじゃないですか。それでもお話がしたいと思ったときに言葉って存在する...。
わからないけれども何か気になったり、わからないけれどももっと話したいと思ったときにある言葉のほうが、私は好き。
詩を書くときも、みんなにわかってもらおうという気持ちとか、誰かを感動させようという気持ちを持つというよりは、自分自身にもわからないところまで言葉を飛翔させる、飛ばす感覚で書くことが、本質的だし、誰かに届クノではないかと思っています。」
最果タヒさんの最新の本は、エッセイ集、『「好き」の因数分解』。最果さんが好きなもの、例えば、ミッフィー、映画『風立ちぬ』、テレビドラマ『古畑任三郎』、さきほどもお話に出たBLANKEY JET CITY、そして、マクドナルドのマックグリドル など、48の『好き』について書かれた一冊です。
「好きなものについて書くと、私はなぜそれが好きなのかという話から飛び出してしまうと、もっと本質なところまでたどりつくところがあります。
私そんなこと考えてたんだ?
自分ひとりで何も持たずに生きてきたわけではない。
いろんなものと一緒に、好きなものを見つけては、それを部屋に置いたり、好きな本を見つけては、その言葉を胸に抱いて...という風に生きてきているので、自分のことを自分で考えるときよりも、好きなものについて考えるほうが発見がある。
人そのものとか、生きることそのものについて、ふと思いいたる瞬間が、そのことを考えようと思って考えるときよりも、好きなものを通じて見ているときのほうが深く見られる気がします。」
最果タヒさんに、最後にうかがいました。これから、どんな詩を書いていこうと考えていますか?
「私は自分のことを打ち明けて書いているわけじゃありません。読んだ人の中にも言葉があって、その人の言葉に重なることで詩は完成すると思っています。
たぶんそれは最初に書き始めたころの、自分が書く前から言葉はいろんな人の手によって変化し続けていて動き続けている。その波に乗るようにして書くことが一番楽しい。
だからこそ言葉を持って生きていて、自分を説明しきれなかったり、誰かの気持ちがわかったような気もするけどやっぱりわからない...というように苦しんでいることがある人の心に、もしかしたら重なる瞬間があるのかな?とおもいます。
それは私が書こうとしたことを相手が受け止めてくれるというよりは、その詩を通じて、その人の生活や人生を見て、その生活と人生が、詩を読んだあとで見た、窓からの景色が違って見えたとか、ちょっとした変化であらわれたらいいなと思っています。
本を出す度に思うんですよ、そういうことを。
それぞれの人がわかりあえないけど、わかりあえなくても近くにいたり同じ時代に生きているときに、間にあるのはやっぱり言葉だというのをあらためて実感する...。
今自分が生きていて、今書くものを、今生きている人が読んでくれるというのは、本当に幸せなことなんだなと思います。」