今回注目するのは、人口が激減し、一時は廃村も覚悟したというところから若い移住者により 人口が増加に転じた 新潟県十日町市の池谷集落。

いわゆる限界集落から、『奇跡の集落』と呼ばれる存在へ。そのHidden Story、ご紹介します。

お話をうかがったのは、NPO法人 地域おこし の事務局長、多田朋孔さん。以前は、東京で働かれていた多田さん。2012年に新潟県十日町市の池谷集落でNPOを設立されました。では、そもそもなぜ、新潟への移住を決断されたのでしょうか?

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a「最初のきっかけは、この池谷集落で開催された田植え体験に参加したことでした。

その田植え体験を知ったのは、私が前に勤めていた会社が社会貢献の一環でJENという国際協力の団体を支援していて、そのJENが中越地震の復興支援で池谷集落にボランティア派遣をしていたからでした。

今のNPO法人地域おこしの前身となる地域の団体がありまして、その代表で、いまNPOの代表理事をやっている山本浩史さんという方がいらっしゃるんですが、2009年に田植え体験に行ったときにその方の話を聞きました。

その時に『ここでの活動は小さい集落の活動ではあるけれど、世の中にはこんな形でなくなりそうな集落がいっぱいあって、それが全部なくなってしまうと、それはそれで問題が発生する。自分たちは、食料や環境の問題に立ち向かうためにやっているんだ。』という話をされていたんです。」

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2008年秋のリーマンショックの直後で、お金を中心とした価値観に疑問を持っていた多田さん。田植え体験のときに聞いた話に、これだ!と思いました。

そういう風に思っていたときは、ちょうど総務省が【地域おこし協力隊】という制度を作った年だったんですね。たまたま新潟県の十日町市も【地域おこし協力隊】を受け入れるということで、池谷集落でも協力隊の枠を使えると聞きまして、協力隊として行こう、という風に思ったんですね。」

【地域おこし協力隊】というのは国の制度で、<地域の暮らしに興味を持つ都市部の人を、地方自治体が受け入れ、地域の活動についてもらい、あわせて、その定住を目指す>というもので、多田さんは、この【地域おこし協力隊】として、池谷集落に入りました。

当時、集落に暮らしていたのは、6世帯13人。いわゆる限界集落でした。

「自分が行く前に中越地震があって、そこから5年くらいは、外からボランティアを受け入れつつも、もうこの集落も自分たちの代で終わりだ、という考えで、結構将来のことを話すのはタブーだったんです。

でも、そういう都会から来た人が『ここの集落はいいところですね』とか、例えば、『星がきれいですね。』とか、蛍が飛んでるとか、お米がおいしいとか、そういうことを指摘してくれるようになってだんだん自信を取り戻すようになったんです。

集落に来てすぐにやったのは、将来、5年後の集落のヴィジョンをみんなで作りましょう、という会です。

もともと自分が来る前からボランティアの受け入れとかお米の直販とかをやっていて、後継者を迎えたいという考えには至っていたんですが、改めて集落のどこにどんな施設を作って、どんな感じでやっていこうというのが分かるように、こういう状態を目指しましょう、というものを書きました。」

NPO法人『地域おこし』では、田植えや稲刈り、雪おろしなどのイベントを開催して、集落を知ってもらい、移住を促進。

多田 朋孔さんが新潟県十日町市の池谷集落にやってきた2010年は、そこに暮らす人の数、6世帯13人だったのが、最大で 11世帯25人まで増加しました。

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「そこに住んでいる人があきらめずにやる、ということと、都会とのつながりのパイプを持っておく必要はあると思うんです。例えば自分のときもJENがあったことで池谷のことを知りましたが、地元だけで変えていくのは難しい部分もあると思います。

でも、『よそ者若者馬鹿者』とまちづくりではよく言われますが、そういうよそ者が入ってきやすい環境は作れると思いますし、入って来たあとはそこで生計をたてる、という経済的な話になりますけど、経済的な部分というのは会社経営のノウハウが使えますので、都会でビジネスマンとしてしっかりやってきた人が入ってくると物事が好転しますね。」

多田さんいわく、これは東京から遠く離れた集落の話ではありません。

「中山間地の問題って都会からしたら遠いと思いがちですが、農林水産省が公開していることで、農村の多面的機能、森林の多面的機能というのがあって、直接的な農作物を作ってその生産額がいくらという以外にも、例えば、洪水を防ぐ機能とか、土砂災害を防ぐ機能、癒しをもたらす機能とかを積算して経済換算するとこのくらいの価値がありますよ、という試算を国ではやっています。なので、農村の問題は都会とまったく関係ないということはないですし、人数少ない集落がかわいそうだから何かやるということではなくて、今の形の生活が維持できるというのは山奥の集落が防波堤になっているという部分もありますので、農村と都会はつながってて、双方で共生していく必要があると。」

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最後にうかがいました。

NPO法人『地域おこし』の多田 朋孔さんが思い描くヴィジョンとは?

「食べ物とかエネルギーは全部循環できるような取り組みをしていきたいと思います。東南アジアとか過去に途上国だった国がどんどん経済成長しているわけで、食べるものがぜいたくになる、そうなると世界の食べ物が今みたいに安く日本に入ってくるかはわからないと思うんですよね。日本国内でどのくらい食べ物が今の値段で維持できるか不安定なところもあるわけです。

一方で、ちゃんと自分たちの土地で循環させていくときに、これから人口が減っていくのは、逆に言えばやりやすくなるわけですよね。

なので、将来年金が出なくても食べ物とか生活に必要なものは行き渡るとなれば安心感も増すと思いますし、そういうことをまずは自分たちの足もとでやりつつ、そういうことができる地域を増やす、ということがやっていきたいことです。」

NPO法人『地域おこし』ウェブサイト