今回は、DEAN FUJIOKAさんの音楽制作にまつわるHidden Story。

20190208hidden01.jpgセカンドアルバム【History In The Making】をリリースしたばかりのDEAN FUJIOKAさん。音楽制作を本格的に始めたのは 2008年ごろ。場所は、インドネシアのジャカルタでした。

当時、ジャカルタで音楽を作っていて、1曲2曲作ったらタイペイとか香港で俳優とかモデルの仕事をして、その大きなプロジェクトが終わったらまたジャカルタに戻って次の曲のプロダクションに戻る、みたいな制作ペースだったんです。中華圏にいるときに曲のアイディアをノートに書き留めて簡単なデモを作っておいて、ジャカルタに戻ってほんちゃん作って、またタイペイ行ってみたいな感じでした。あんまりお金がなかったんです。(笑)ほんとだったらずっとジャカルタにいて何ヶ月かの制作期間でガッと作れればよかったんですけど、ジャカルタで散財して、中華圏で出稼ぎしてみたいな。で、お金がたまったらまたジャカルタで曲作る、という感じでした。現実的な話をすると。」

では、ジャカルタを音楽制作の場として選んだのは、どんな理由からだったのでしょうか? 

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いくつかあるんですけど、まずはファーストアルバム『Cycle』を一緒に作ったプロデューサーがインドネシア人のDJ SUMOという人で、彼との出会いが大きいですね。彼とジャカルタで出会ってすごく可能性を感じて、インドネシアという多文化、多民族国家で、彼自身もいろんなバックグラウンドを持っていたので、節操なくいろんなことができたんです。あとは単純に気候が肌に合った。(笑)赤道をこえて南半球に行って、それまで自分の知っていた世界とはまったく違う価値観で生きていたり、ルールがない感じというんでしょうか。ぐっちゃぐっちゃでジャングルみたいな、ジャングルのまま都会になったみたいな。まだ当時は混沌としていたんで、あの感じもすごく、まだ自分がどういう音楽を作るのかはっきりヴィジョンを持っていたわけではないから、フットワーク軽く音楽的なチャレンジができた、というのもあります。」

そのころ、DEAN FUJIOKAさんはこんなことを考えていました。

「当時はもう簡単に言うと、日本には一生、縁がないだろうなと思っていたんですよ。自分の生まれ故郷ではあるけれど、すごく遠い国だったんですよね。中華圏で仕事をしていて、もしいろんなことがうまくいったら、例えばその先に北米だったり世界の他のリージョンの仕事につながる可能性は少し感じなくはなかったですけど、この延長線上で日本っていうのはないんだろうなと思っちゃってたんです。香港で自分のキャリアを始めて、台湾に移ってその過程で中国の国内、大陸だったり東南アジアに行くことが多かったから、当時はアジアの縦軸で移動しながら生活したり仕事をするというのが自分にとっては自然だったんです。」

アジアの縦軸で移動しながら仕事をし、『日本には一生、縁がないだろうと思っていた。』そう語るDEANさん。ちなみに、ニューアルバムに収められたナンバー『Echo』が主題歌のテレビドラマ、『モンテクリスト伯』。

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このドラマではディーンさん演じる日本人の主人公があらぬ罪をきせられて南の島の牢獄にとじこめられます。そこから奇跡の脱出を経て日本に帰り、復讐の鬼となる物語。どこか、DEAN FUJIOKAさんの人生とも重なります。   

『モンテクリスト伯』の主題歌『Echo』のHidden Story。 

「年越しにインドネシアに行ったんです。最初ジャカルタに行って、ジョグジャでメロディとか歌詞のこととかを考えていて、それが、同じ質問を繰り返すんだけど答えが見つからない、みたいなもので。頭のなかでずっとエコーしてるというイメージを、モンテクリスト伯が牢屋に閉じ込められている境遇と重ね合わせて考えました。ジョグジャのあとはバリに移ったんですけど、バリのエコービーチで『Echoってタイトルっていいな』と。寄せては返す波みないな。そのあと報道の仕事でスイスにも行きました。核シェルターの取材で、2万人規模で収容できる核シェルターがあって、そもそも人間がどうして核シェルターを作らなければいけないのか?そういうことをしなきゃいけない人間の性というか、ヨーロッパの長い歴史やそういう暗黒時代の美術品を見ていると重厚にへこむというか、人間はずっと殺し合いをしていたんだなと。そういう性みたいなものも、チューリッヒのステイしていたホテルでEchoのデモの詰めをしているときにいいインスピレーションになったんです。チューリッヒのホテルで完成しましたね。『Tell me why why why』っていう歌詞とメロディとデモのトラックのサウンドが、がちんとハマって。」

ニューアルバムからもう1曲。DEANさんのふるさとがタイトルになっているナンバー、『FUKUSHIMA』のHidden Story。

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「これはもともと童謡を作りたいと思っていたんですよ。赤とんぼとかふるさととかああいう文章で書くと1行で終わってしまうような歌詞というか、[夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのは いつの日か]みたいな、それでワンコーラス完成している。そういう曲を作りたいなと思って、『FUKUSHIMA』に関しては最小限の言葉で最小限のメロディで、これ1個のセクションで成り立っているというオールディーズの良さを追求したかったんです。あと、これまで自分がどこで生まれたかというのは他の国の人に言っても誰も知らなかったんです。それがこの10年くらいで『福島』と言ったら知らない人がほぼいない名前になったわけですよね。アルファベットの FUKUSHIMAが持つイメージの中に、そこに住んでいる人がいて、そこをふるさととして持っている人がいる、という情報もこのアルファベットの FUKUSHIMAに入れたいと思ったんです。」

最後にうかがいました。DEAN FUJIOKAさんの音楽作りの原点、源とは??

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「自分はどっちかというとずっとクラブででっかい音で聴くのが音楽という感じだったんです。ブラックミュージックもそうだし、よりデジタルなクラブミュージックでもそうだし、そういう現場というか箱で大きい音量で聴いたときに、体自体が振動して、鼓動の速さも音でコントロールされる感じが原体験というか。そこが一番好きだし、強いんですよね。だから自分が曲を作っていても必ず、一番でかい音で聴いたときにほんとにいけてるのかどうかっていうのを気にして作ってます。もう音に体が支配されるっていうんでしょうか、一緒に体が共鳴してるというか。クラブとか行ってがっつり耳押さえてるんだけど、すごくクリアに体で聴けてるというほうが、自分にとっては純粋に音楽と一緒になれてる感じがしますね。」

DEAN FUJIOKA公式ウェブサイト