JR、または、都営地下鉄大江戸線の両国駅から少し歩いたところ。外壁がアルミニウムのパネルでおおわれた建物が見えてきます。墨田区が手がける【すみだ北斎美術館】。そもそもの始まりを、【すみだ北斎美術館】学芸員の五味和之さんにうかがいました。

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「計画自体は随分前からありまして、平成元年あたりです。当時、町おこしとかふるさと創世とかそういう動きがありまして、そんなとき、墨田区は文化人にまつわる何かを作ろうという話になりました。墨田区だと勝海舟が地元出身ということで有名なので、勝海舟の記念館はどうだろう?とか、王貞治さんも墨田区の出身なので、王貞治さんの記念館は?とかいろんな話があったんですが、そのなかで、葛飾北斎は地球の裏側まで名前が知れ渡っているのでいいんじゃないか、ということになりました。そもそも葛飾北斎が生まれたのが、この美術館のちょっと北の、いまは道路になっているとろこのどこかなんです。世界的な絵師が地元で生まれているのなら、その人の作品を世界の人に見てもらおう、ということになりました。」

葛飾北斎の美術館という構想は、30年ほど前からありましたが、さまざまな社会情勢によって、なかなか実現に至りませんでした。しかし、、、

「ひょんなことから現実味を帯びてきたんです。それは東京スカイツリーという日本一のタワーが墨田区に建つということで、だんだん墨田区に注目が集まるようになったんです。ただ、タワーは民間の東武さんが建てているものなので、区として何か目玉を作りたいという話になりまして、『そういえば昔から建てようって言っててつぶれていた話があったよね。あ、北斎だ。』ということで、ようやく美術館を作るという機運が盛り上がってきたんです。」

長い時をこえ、実現にこぎつけた【すみだ北斎美術館】。建物の設計を手がけたのは、建築家の妹島和世さんです。

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まず永久不変に保存するためにはしっかりした建物でなくちゃいけないということと、街に溶け込むというのが大きなコンセプトでした。普通、頑丈でしっかりした建物というと、どうしても金属とかコンクリートでガチガチの要塞みたいなものができてしまうんです。でも、この亀沢地域は住宅街なので、そこに要塞みたいなものがいきなりできてしまうのはどうかな?と。そこで、妹島先生が街に溶け込むように、なにか映り込むような建物を造りたいということで図面をひいてくださって、なので外壁がアルミニウムなんです。当初はアルミニウムが鏡面仕上げみたいになっていて、ピカピカの建物の予定でした。はじめサンプルのアルミの板ができてきて『これで外を覆います。』ということになったとき、地元の住民の方から『これ、映り込みすぎて昼寝したり洗濯物まで映ってしまうのはまずいのでは?』という話があがって、『それならちょっとスモークをかけようか。』ということで、いぶし銀的な外壁になったんです。でも、今でもものが映り込んで街に溶け込むように、というコンセプトには合致していますので、美術館の北に桜の植えられた公園があるんですが、春には桜の花びらの薄いピンクが美術館のそのアルミニウムに映るんです。夏には青々とした緑の木々、冬は雪がふると白い雪が反射したりして、四季折々の風景が映る。妹島さんの考えていたのはこういうことだったのか、というのが分かります。」

美術館所蔵の北斎の作品、中心をなすのは『ピーター・モース・コレクション』です。そのHidden Story、教えていだきました。

「アメリカのコレクターでピーター・モースさんという方がいらっしゃって、この方が初めて自分のコレクションを日本で公開する、ということで来日されました。でも、その方が準備の最中に宿泊していたホテルで急にお亡くなりになりになったんです。

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ピーター・モースさんというのはわらしべ長者的な性格を持っている方で、ちょっとでも人がもっといいものを持っていると自分のものと取り替える方でした。そうやっていいもの、いいものって取り替えていったものですから本当にいい作品、きれいな状態のものが600点ほど残っていました。うちの区も、北斎のふるさとに美術館を作るのに、これほどまとまっていい状態の作品だったら一括してほしい、ということで、ご遺族の方にお願いをして、ほぼ100%に近い形で一括して墨田区で購入させていただくことになりました。」

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ちなみに、浮世絵は、光や湿度に大きな影響を受けるため展示には極めて精密なレプリカも使用しています。また、テクノロジーを活用した楽しみ方も用意されています。学芸員の五味和之さんに美術館をご案内いただきました。

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「うちの美術館の一番の目玉は、『隅田川両岸景色図巻』なんですが、光と湿気を嫌うものですから常時出すことができないので、インタラクティブのほうでコンピューターの中に絵でしまってあります。

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なので、コンピューターを触っていただくと見ることができるんですが、肉筆画の絵巻物で実際には7メートル近くあるんです。

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それをコンピューターを左から右へタッチしていただくと、隅田川を下流から上流へ向かって絵が描かれているのを、今どの辺というのを把握しながら見ることができるようになっています。」

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【すみだ北斎美術館】学芸員の五味和之さんに最後にうかがいました。葛飾北斎の魅力、どんなところに感じていますか?

「マネとかモネ、ゴーギャンとかは北斎の影響を受けた人たちなので、北斎がいなかったらポスト印象派とかアールヌーヴォーとか生まれてこなかったんです。そういう意味では革命的な芸術家というか、ヨーロッパ中を震撼とさせたのが北斎。実は北斎はいろんな面を持ったマルチな方だから、『こういう面がいい』というのを私たちが言う必要がないんです。とにかくあらゆるものを絵に描きたいという、シンプルだけど難しいテーマで、それは普通の人にはないパワーですし、それが生命力にもつながっているんです。江戸時代の人はだいたい平均年齢が38歳で、そうすると50歳くらいになるとお亡くなりなる時代なんですが、北斎は90歳まで生きているんですよ。すごい人だなと、エネルギーの塊だなと。そして、朝から晩まで絵ばっかり描いていたんです。」

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すみだ北斎美術館ウェブサイト

http://hokusai-museum.jp