今週は、岡山県の西粟倉村、森林面積がおよそ95%という村で育てられた、【森のうなぎ】のHidden Storyをお届けします。

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まずは【森のうなぎ】とはどんなうなぎなのか?エーゼロ株式会社、代表の牧大介さんに教えていただきました。

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「牧さん:西粟倉森の学校という木材加工の会社で代表としてやっていたのが最初にあります。地域で出てくる間伐材をなんとか商品にして地域の雇用を増やしていこうというのが先にあったなかでの【森のうなぎ】なんです。ただ、うなぎの養殖をするというよりも、地域の森を起点とした循環のなかでうなぎを育てていきたいし、うなぎを育てていくことが農業や林業ともつながっていくという、森を起点にした地域の循環を育てていくなかにうなぎの養殖を位置づけていきたい、ということでやっています。」

岡山県の西粟倉村で木材加工の事業を展開してきた牧さんが、うなぎの養殖を始めたのはこんな理由からでした。

「牧さん:大きく2つありまして、ひとつは木材の加工をやっているとどうしてもゴミになってしまう端材がたくさん出るので、燃料として活用できないかなと思いました。光熱費がかかる事業のほうが地域のなかでうまく循環ができるんですが、うなぎは30度近い水温をキープしますから光熱費がかなりかかります。逆に燃料がただで大量に手に入る状況がある、というところを活かしてビジネスにできるんじゃないかというのがありました。もうひとつ、私はうなぎが好きなんです。愛着のある食べ物であり生き物。川にもぐったり仕掛けをいれてうなぎを取るという、そういうのも含めて大好きで。どんどんうなぎが減っている状況が寂しかったし、何とかしたいという気持ちもあったので、養鰻業者になってうなぎともっと関わることで何かいい糸口がつかめないかなということで始めたんです。うなぎが好きで、うなぎがたくさんいる川が好きだから、というのがあります。」

エーゼロ株式会社がおこなううなぎの養殖。ほかの養殖業者さんとは、ちょっと違う点があります。どんな風に育てているのか、うなぎの事業を担当されている岡野豊さん、そして、代表の牧大介さんにうかがいました。

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「岡野さん:うなぎは生まれるのがグアム沖なんですけど、その場所が分かったのもほんの7~8年くらい前なんですね。それが日本、韓国、台湾、中国などの東アジアに来ています。うなぎはまだ卵からの育て方がわかっていなくて、日本に泳いでくる稚魚を手に入れて、それを少しずつ大きい水槽に移していきます。

牧さん:無投薬、薬を使わずにうなぎが元気に育つ状況が作れたかなと思います。やっぱり自然に元気に育ったもののほうがお客さんも喜んでくれますし、美味しいうなぎになると思うし、僕らも育てていて気持ちがいいんです。無理に薬を飲ませてどんどんエサを食べさせて一気に太らす、というよりは、うなぎに無理させず食べさせすぎず、調子が悪かったら少し休ませながらゆっくり育てていく。養鰻場もいろいろあるので一概には言えませんが、一般的には適宜、薬も使いながらうなぎをできるだけ速いスピードで成長させる、という養鰻場が一般的だと思います。」

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できるだけ速く、ではなく、ゆっくり、大きく育ててから出荷すること。これが【森のうなぎ】の大切なポイントです。

「岡野さん:うちは、1年から1年半くらいかけて大きくしてから出荷しています。普通のうなぎ養殖だと、1月か2月に稚魚をとってきて7月の土用の丑の日まで半年間だけ育てて、小さいサイズで出荷するのが一般的です。そうするとうなぎを小さいうちに食べてしまうことになるんですが、うなぎはちゃんと育てたら大きく育つので、大きく育ててそれをみんなでシェアしましょう、ということで僕たちはやっています。今はうなぎが絶滅危惧種になっていて数が減っているのに、うな丼とかうな重のちょうどいいサイズになるととられて食べられちゃうんです。うなぎは本当はもっと大きくなる魚なので、僕たちは大きくしてから出荷しています。」

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大きく育てたうなぎは、蒲焼きにしてから出荷します。

廃校になった小学校を利用した社屋のなか、給食室だった場所で一尾一尾、丁寧に焼かれます。

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「岡野さん:すごくゆっくりなんですが、僕たちは一日あたり最大で50尾くらいの加工をしています。大きな会社で大量生産のところはベルトコンベアーでうなぎを焼くんですけど、うちは一尾一尾、様子を見て手焼きで蒲焼きにしているので、一日40尾から50尾ずつくらい焼いています。」

岡山県西粟倉村で【森のうなぎ】を育てるエーゼロ株式会社。代表の牧大介さんには、ずっと思い描いていることがあります。

「牧さん:始めた理由のひとつとして、15年くらい前に高知の四万十で90歳くらいの川漁師さんと話す機会があったんです。その方が子どものころは川にカワウソもいて、鮎もうなぎもとりたいだけとれるくらいたくさんいた、とお話されていて。当時、まだ僕は30歳くらいだったんですけど、『お兄ちゃんまだ若いから、50年先くらいにそんな風景が見れるかもしれいないよ。』と言っていただいたのが心に残っているんです。難しいチャレンジだけどあきらめずに夢として描いていたいなと思ったのは、90歳くらいのそのおじいちゃんが『お兄さんまだ若いからそんな川が見れるかもしれないよ』と言ってくれたのもありますね。」