今回は、東京・谷中にある【澤の屋旅館】。昭和24年に開業した旅館ですが、一時廃業も考えたそうです。しかし、いまは外国からのお客様で連日満室の大人気。その理由はどこにあるのでしょうか?【澤の屋旅館】のHidden Storyをお届けします。

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家族経営の宿、澤の屋旅館。昭和24年の開業当時は大いににぎわっていましたが、時代の流れとともに、客足が遠のきます。澤の屋旅館の2代目、澤功さんは当時をこう振り返ります。

「日本のお客さんの生活とか旅の仕方に私どもが合わなくなっていったんです。板前さんや女中さん、番頭さんもみんな辞めてもらって、家族で何とか頑張ろうと思ったんですけど、それでもお客さんが減っていってしまいました。子どもも3人生まれて何とか生活しなきゃいけないのに、旅館ってお客さんが来ないとお金が入らないんです。私どもの旅館は12部屋あるんですが、全部和室で畳に布団という形です。そして、12部屋のうちお風呂とトイレがついている部屋が2部屋しかなかったので、お客さんから電話があって『きょう部屋ありますか?』と聞かれても、『バストイレのある部屋は満室で、それ以外の部屋ならあります』と言うと、『じゃ結構です』って切られてしまい、もうほんとに追いつめられて、廃業の寸前までいったんですね。」

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廃業寸前。 追いつめられた澤の屋旅館。事態を変えたのは、同業者からのアドバイスでした。

「もう亡くなられたんですけど、新宿に矢島旅館っていうのがあって、矢島旅館さんが『澤さん、日本のお客さんが来ないなら外国のお客さんを受けなよ』って。その時は『とんでもない。日本のお客さんが泊まってくれない12部屋の和室。しかも、バストイレのある部屋が2部屋しかない。日本のお客さんが泊まってくれない旅館に外国の方が泊まってくれるわけないじゃないか』と思ったんです。もうひとつは言葉です。フランスの人やイタリアの人が来て、フロントでフランス語イタリア語なんて話されたら対応できません。それで、1年間踏み切れなかったんです。そしたら今でも覚えているんですが、昭和57年、夏にお客さんがゼロという日が3日間来ちゃったんです。あ、もうつぶれるなと覚悟して、、、矢島さんは『いつでも見においで』って言ってくれてたので、家内を連れて電車で新宿の矢島旅館を見に行きました。そしたらうちはお客さんゼロなのに、矢島さんのところはまさに外国の人でいっぱいで、玄関まであふれちゃってるんですよ。矢島さんに旅館を見せてもらったら、12部屋全て和式。バストイレ付きは2部屋なんです。もう旅館はうちと一緒だと思いました。」

『これなら、できるかもしれない』。澤さんはそう思いました。そして、矢島旅館から澤の屋旅館へのアドバイスは、設備をそのままにしておくこと。

「そのまんまでいいんだって。外国のお客様を受けるために決して畳の上にベッドを置かないでねって。日本の旅館に泊まるために来ているから洋風にしなくてもいいけど、トイレだけ洋式に変えてね、と言われましたが、あとはそのまんまの和式の部屋にしておいてと。そうすると障子を通す光がやわらかいとか、畳の上を素足で歩いた感触が気持ちいいとか、それで花ござ買って帰るとか、そういうことがあるんです。だから、そのまんまの日本旅館で外国の方を受ける、それが一番いいというのは矢島さんから教わったんです。」

それから37年。去年までに訪れたお客さんは、92カ国からおよそ18万9千人。取材スタッフがうかがった日も、平日でしたが満室。海外からのお客様に、なぜ澤の屋旅館を選んだのか、どこが気に入ったのか、うかがってみました。

『伝統的な旅館に泊まりたかったのでここを選びました。谷中という静かなエリアが好きです』というお話をしてくれたのはフランスのイザベルさん。また、カナダのメアリーさんは、『畳やお風呂、浴衣が気に入りました。大きなホテルよりも東京の暮らしを楽しめています。』というコメント。このように、澤の屋旅館に宿泊する外国のお客様、実は、谷中という"街"も楽しんでいます。 

「結局、10泊も20泊もする方は、うちは泊まりと朝食だけ。それ以外のことは街で外国のお客さんを受けてくれるお店にお願をして周辺の地図を作りました。37年前はまだほとんど外国の方はいらっしゃいませんでしたので、街の人も最初はとまどっていましたけど、だんだん受け入れてくれるようになりました。催しに入れてくれるようになり、町会の神輿をかつがせてもらって、お客さんは自分が肩をはなすと神輿がだめになるんじゃないかと思って肩を真っ赤にして帰って来たり。うちのお客さんがご近所の方と友達になって、ご近所の方がその国に行ったら面倒みてもらったりとか。澤の屋旅館のお客さんは、街のお客さんなんです。」

澤の屋旅館の澤功さん、最後に、こんなことを話してくれました。

「いま、私には仕事の励みにしている言葉があります。それは、『観光は平和へのパスポートです』というもの。これは1967年、国連の国際観光年のスローガンだったんです。世界の人に来てもらって、日本の歴史や文化、自然に接してもらって、そこで相互理解できれば、それが武力ではなく、平和につながるんだと。そうすると、家族を養うために外国のお客さんを受けたけど、外国のお客さんがどんどん街に出て行って日本の人と会って、そこで街の人と交流すれば平和につながるんだと。これが仕事の励みになってるんです。」

経営を立て直すために迎えた外国からの観光客。でも、時がたち、そこに大きな意味があることが分かりました。家族経営だから、人と人のつながりが生まれ、人と街のつながりが生まれ、お互いの文化を理解する交流が進みます。『平和へのパスポート』。それこそが、澤の屋旅館が見つけたとても大切なことでした。