
脱衣所から戸をあけて中に入ると、そこは『銭湯』という言葉からイメージしていたのとはまったく違う空間。落ち着いたブラウンの床、浴槽はお湯がライトアップされています。壁にかけられた赤い富士山の絵にも照明があてられていてほの暗い空間がリラックスした気分にさせてくれます。
池尻大橋にある『文化浴泉』。3代目の米津幸司さんに、お話をうかがいました。『文化浴泉』。以前の名前は、『文化湯』で、創業は昭和3年。幸司さんは、およそ20年前にお店を継がれました。
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「弟が父と一緒にやっていたんですが、父が他界してしまったのでひとりでなってしまう。なので、その折りに私も一緒にやろうかと。でも、20年くらい前に一緒にやりはじめたもののね、昔ながらの古い銭湯ですので、衰退の一途をたどっていました。私もこの風呂屋にたずさわって5年10年たったとき、お客さまが1日100人も見えないんですよ。池尻大橋という場所で、これだけの土地を使っていて、土地の有効利用もできていません。なので、これは逆にやめちゃって、例えばここを倉庫とか保育園とか転化して貸しちゃったほうがいいかなとも考えたんです。でもその前に、ちょっと待って、と。昭和3年から先祖代々やってきたので、もう1回だけとりあえずやってみて、ダメだったら仕方ないねと思いまして。」
銭湯をやめて、違う事業に場所を貸すほうがいいかもしれない。でも、もう一度だけやってみようじゃないか。まさに、背水の陣。ひとりのプロフェッショナルが、力を貸してくれました。

「今井健太郎さんという銭湯専門の一級建築士さんがいらっしゃるんです。その方との出会いがありましてね、一回うちの古い店を見ていただいたんです。その中から、残すところは残そう、ダメなところは壊そうと、全体の7割は壊して、残りの3割は残しました。今井さんから、『洋ではなくて和的なものを残して、ロビーは和とアジアンテイストっぽいコラボでやったら?』という提案をいただいたんです。今の銭湯はロビーを広くして滞在時間を少しでも長くしていただこうというので、リニューアルのコンセプトが"スロー"という方向でプランを立てたんです。
前はとにかく体を洗うための銭湯でした。でも、そうではなくて、今の460円の入浴料でいかにおもてなしできるかですよね。460円という料金は東京都で一定ですから、うちの店として460円でどこまでのサービスができるか。当然、お風呂場も充実させますが、他の面で、ゆったりできるスペースがあったりとか、脱衣所も天井が高くて鳳凰の飾りがあったりとか、他にはないような雰囲気づくりをしたりして。」
さらに、大きなポイントだったのがお風呂の照明です。
「昔は風呂屋っていうと、浴室の照明は蛍光灯しかなかったんですが、浴槽は浴槽で照明を当てる。カランはカランで自分のところにライトがありますけど、まわりは明るくないわけです。あと、タイルは全部変えました。お風呂のなかは明るい青いタイルですが、まわりは焦げ茶色です。お風呂の浴槽のなかはライトアップして浮かび上がらせる。その代わり、まわりは茶色にして、落ち着いた感じにしようと。だからうまくコントラストができたと思います。」
昭和3年創業、3代続く銭湯が、大幅にリニューアルし新しい姿に生まれ変わったのは、ちょうど6年前の今ごろ。リニューアルに際して、脱衣所のロッカーを"可動式"に変更。ロッカーを移動させれば、そこを大きなイベントスペースとして使える。こんなアイディアも盛り込まれました。落語のイベントに、アカペラのライブ。これまでとは違う使い方で、銭湯が利用され始めました。

「例えば、ランニングする方がランニングをしてお風呂にはいるとか、うちのお店を僕の知らない世界でうまく使ってくださっているんですよね。落語の話もあったんですけど、ここで落語をやるなんて考えられなかったし、他からそういった話をくださるわけです。」
一時は廃業も考えた銭湯が、リニューアルを経て完全に軌道にのりました。

「銭湯は今、都内で600店舗切ったのかな、月に3~4軒廃業しているんです。自分でこれを言うのもおかしいんですけど、今うまくいってますので、ある意味、モデル店舗じゃないですけど、そういうものになって、なるべく廃業しないように、少しでも歯止めになればいいなと思っています。ただ、風呂屋っていうのはたくさん土地を使いますから、そう簡単ではないです。やっぱり収益性として坪単価を考えると、他に転化したほうがいい部分もあります。でもね、それだけではなくていろんな人との触れ合いとか、昔からやってる日本の文化ですから、それをなくしちゃまずいじゃないですか。お金に換えられない部分がありますので、それをどれだけ大事に思ってできるかでしょうね。やっていて、これはやっぱり必要なんだってますます思ってきました。」
『文化浴泉』の代表、米津幸司さんに、最後にうかがいました。米津さんの"仕事の哲学"、どんなことでしょう?
「僕はもう感謝の一言です。それしかないですよ。私なんて、ただ一生懸命掃除しているだけですから。少しでもきれいに気持ちよく入ってもらいたいとか、きれいにしていればお客さんも喜んでくれます。たかが風呂掃除、されど風呂掃除。街に対してお手伝いをする。決して、商売とかそんなことを思わないでやっていれば、心の底からそう思ってやっていれば、自然に見返りみたいなものがくる。そのような感じでしょうね。」
まずは、きれいにお風呂を掃除すること。そして、街に対して、お手伝いをする気持ち。昭和3年創業、つまり、来年で90周年を迎える『文化浴泉』。きょうも午後3時半から深夜1時まで、営業が続きます。
- 文化浴泉
- 住所:東京都目黒区東山3丁目6-8
- 電話番号:03-3792-4126
- 営業時間:平日 午後3時半~翌午前1時
- 日曜 午前8時~12時、午後3時半~翌午前1時
- 定休日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日お休み)
- アクセス:東急田園都市線 池尻大橋駅東口から徒歩5分
- ウェブサイト:http://bunkayokusen.grupo.jp
