都営地下鉄新宿線、船堀駅から住宅街を歩いて10分ほど。『笠原製菓』という看板と、その奥には出荷を待つダンボールが 山積みになっています。1960年創業、煎餅を焼き続けてきたこの工場こそがSENBEI BROTHERSが生まれ育った場所です。

「健徳さん:笠原製菓は僕らのおじいちゃんが立ち上げた煎餅工場で、2代目が僕らの父、3代目が父の弟さん、僕らの叔父ですね。その叔父が2014年の春くらいに体調を崩して現役続行が難しいということになりまして、代表者が不在になってしまうと会社としても先行きがどうなるのかということと、会社の経営もあまりよろしくなかったので、どうしようかとなりました。弟は先に10年前くらいから工場長としてやっていたんですけど、兄の私はデザインの仕事をしていて。跡継ぎということで生まれて来て、死んだ親父ともそういう話をしていたし、引き継いでいくことが親父との約束というか、何かできることがしたいと思って入ったのがきっかけですね。で、何をやろうかっていうときに、100%卸しの仕事しかしてなかったんですが、利益の確保とか難しいところがあったので、初の小売りブランドを立ち上げたのが、 SENBEI BROTHERSなんです。」
お兄さん、笠原健徳さん、弟の笠原忠清さんが立ち上げたのが『SENBEI BROTHERS』。それまでは"OEM"、つまり他の会社の製品を製造していた笠原製菓が、オリジナルのブランドを作ったのです。
「健徳さん:売るからにはお煎餅のイメージを変えて、僕らが掲げている"煎餅を美味しくかっこよく"というコンセプトのもと、もっといろんな人の生活のシーンにお煎餅が入っていけるようにパッケージとかデザインして売り出したのが初めの一歩ですね。僕のなかで煎餅を人前でバリバリ食べてるのってかっこよくないというか。僕が表参道で仕事をしていたとき、残業とかが多いとおなかがすくんです。なので、人目のない道をわざと通って柿の種を食べていたんです。(笑)スーツ姿で。もっと堂々と煎餅が食べられないかなと思ったときに、ニューヨークのホットドッグ的な、歩きながら食べられる形はどんなのだろうと。持ち運びが便利で、かつ見た目もスタイリッシュで、ビジネスマンのかばんから出て来て、小腹を満たせて、またパウチしておなかすいたときに食べる、みたいな。使えるツールとして煎餅を装飾してあげたいなという想いがあって。」
薄い茶色の紙と透明のフイルムを組み合わせてデザインしたパッケージで、取り出す部分にはジップがついています。まずは、この『SENBEI BROTHERS』の煎餅を知ってほしい。デパートの催事などに兄弟で立つ日々が始まりました。
「忠清さん:ほんとにないないづくしから始まったんで、それこそ外で催事やるぞってときも、催事のやり方もわからないんで。
健徳さん:そうなんですよ、素人だからこそ先入観なく自分たちで。
忠清さん:工場にあるものを持って行って組み立てて、一斗缶を立ててやってみたりとか。
健徳さん:ほんとそれを最初の1年は休みなくやったよね。
忠清さん:がむしゃらにやってましたね。平日焼いて、土日はどこかの百貨店で売り子やって月曜はまた焼いて。
健徳さん:ただ弟も工場から外に出て、大きな発見といい収穫があったのは、今までOEMをやっていると工場に入ってくる声っていうのはクレームしかないんですよ。
忠清さん:『美味しかったですよ』っていう声をわざわざ届けてくれるお客さんはいないので。実際外に出たときに、お客さんの直接の声とか表情を見て、『あ、これほど嬉しいことはないな』と。『美味しい』と言ってもらえることが煎餅職人になってよかったなと思う瞬間ですね。」
『SENBEI BROTHERS』はここ六本木ヒルズにも やって来ました。
「健徳さん:六本木ヒルズのメンズフロアがリニューアルしたときに、そこで煎餅を振る舞ってくれと。ただ煎餅を配っても面白くないし、バースタイルで、"煎餅カクテル"っていう、たぶん僕らしかやったことがないシェイカーのなかでお煎餅を味付けるというパフォーマンスをやらせてくれって言ったらOKが出たので会場に行ったら、そういう業界の人がいて、もう綺麗にできてるわけですよ。そこに僕らが衣装ケース出して、のれんを巻き、木とかくみ出したから、通る人通る人、『こいつら何しだすんだ?』みたいな。それで担当者の人からはちょこちょこ詰められるんです(笑)。『もうちょっと後ろ行って』とか。実際、黒いテーブルが用意されていたんですけど、『いや、僕らこっちじゃないとパフォーマンス発揮できないんで、これでやらせてください。』って言ったら、『クールならいいですよ』とか言われて(笑)。やばい、クールに仕上げなきゃ、みたいなプレッシャーのもとやったら、結構な行列で。その日、六本木ヒルズのメンズフロアは醤油とごまくさくなるっていう。(笑)それにつられてみんな来て、すごい配ったよね。」
笠原健徳さんいわく、『煎餅の仕事は、天に召された父との約束』。最後にうかがいました。お父様との約束は、果たせましたか?
「忠清さん:やっぱりブラザーズをやって、遺してくれたもののすごさ、大切さが分かったので、それを遺していきたいなという気持ちは強くあります。
健徳さん:約束のゴールがどこかっていうのはまだ見えてないですが、僕が親父に誇れるのは、自分が生まれ育った工場であり住まいが、昔は業者さんと従業員の方と台車の音、あとは機械の鳴る音しかしなかったんですね。でも直売を始めたことでいろんな人が来てくれるんです。笑い声もあふれるし、子どもの声もあふれるし、親父が遺してくれた工場に、煎餅をきっかけにしていろんな人が集まってきて、そこに笑顔があふれているというのは、親父には胸を張って報告できることかなと思っています。」
父が遺した工場に 『SENBEI BROTHERS』の煎餅をきっかけに、人が集まり、笑い声が響きます。『SENBEI BROTHERS』が人の心をひきつける理由。パッケージの素敵さや 煎餅の美味しさも もちろんですが、、、そこに、家族で引き継ぐ あたたかな想いがあるからに違いありません。
『SENBEI BROTHERS』のお煎餅は大人気のため、現在、工場の直売・インターネット通販はお休み中ですが、購入できる場所もありますので詳しくは『SENBEI BROTHERS』のウェブサイトをご確認ください。
