映画『この世界の片隅に』。

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物語の舞台は昭和8年から昭和21年です。つまり戦前から戦中、戦後にかけての広島県。それは、女優ののんさんが声を担当する主人公・すずさんが少女から大人になっていく時期と重なります。こうの史代さんのマンガが原作の『この世界の片隅に』。映画化しようと思ったきっかけを、片渕須直監督にうかがいました。

2010年の前半くらいに『マイマイ新子と千年の魔法』という、前に作った映画のロケ地を歩いたりしていたんです。そのときに、マイマイ新子を地元で応援してくださった方に『こういうマンガがあるんだよ』とすすめていただいたのがこの作品です。読んでみて『これは一生、自分の枕元に置いて大事に読み続ける本だな。』と思ったんですが、『何か映画を作る企画がないか』と言われたときに、これをやりたいと出してしまったんです。」

映画化が提案されたのは、2010年の8月。翌年からは、主人公のすずさんが生まれた広島県広島市、そして嫁いだ家がある、当時、軍港だった呉市での綿密な取材が始まりました。呉の風景はどう取材されたのか、教えていただきました。

すずさんはいつも自分が住んでいる家の裏の畑から港のほうを見たりしてるので、この辺が畑だなという場所を一個定めて、そこから見た港の見え方や、あるいは反対側の山のほう。それはすずさんの生まれ故郷の広島がある方角です。それから空襲になって、海の方から軍艦が対空砲火を打ち出した時に、それがどんな放物線で飛んで、どの辺で破裂して、この辺に破片が落ちてくるんだなとか、そういうのも想像したりしました。方位磁石を持って行って、広島の原爆の爆心地の方角を見定めて、呉からそっちの方角にそれが見えるんだなとか。

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舞台となるのが広島と呉なんですけど、自分にとってほとんど馴染みのない場所だったんです。でも、そこで生活するすずさんの話や日々を過ごすということ。そしてその一日一日にはそれぞれ別々のおもむきや色合いがある、ということをやりたかったので、まず広島と呉という場所が自分にとって馴染みのある場所にしようとしました。できるだけ頻繁に、ときどきはほんとに意味がなく行って、太陽はこっちからのぼるだとか、そういうのを見てました。」

さらに戦争中、広島や呉で暮らしていた方への聞き取り取材が何度もおこなわれました。

「広島の場合は、中島本町という、今はもう平和記念公園になってる町があるんですけど、そこの建物のショーウインドーには金ぴかの手すりがあって『そこによくもたれてたんだ。手すりの感触が今でも背中に感じられるし、そういう記憶が残っている。』という話をうかがって、すずさんにもたれさせたり。

呉では当時、中学生くらいだった方のお話をうかがいました。呉は軍港だから汽車で行く時、汽車の窓から軍艦が見えないように途中で窓に鎧戸をおろさなければならないんです。でも、それをやっていたのかやっていないのか、お年寄りの方たくさん集まっていただいてうかがっても意見が割れるんです。結局、汽車や時期によっても違うみたいだというのが分かって。」

映画『この世界の片隅に』。音楽は、コトリンゴさんが担当されています。

「『この世界の片隅に』のマンガを手に取って、これを映画にしたいなと思ったちょうどその時に、コトリンゴさんから新しいアルバムが送られてきて。そこに入っていたのが『悲しくてやりきれない』のカバーだったんです。

悲しくてやりきれないすずさんというのは、いつもにこにこしているすずさんなんです。いつもにこにこしているすずさんなんだけど、その中には何か悲しくてやりきれない部分があって、それはすずさん自身は感じてないかもしれない。でも、その感じてない心の奥の底にあるものがコトリンゴさんの声で聞こえてくる。そんな風にしようと思ったんです。」

『この世界の片隅に』この映画で描かれる主人公・すずさんは、いつもにこにこしていてほがらかです。しかし、そんなごく普通の人が戦争に巻き込まれていきます。

「こうの史代さんの原作のマンガを読んで一番感じいったのが、すずさんという主人公の人となりがすごく愛おしくってかわいらしくって。でも、そういう人の上に爆弾が降ってくるのが戦争なんだなというのを強く感じたんです。我々がいつもしてしまいがちなのは、自分たちが戦争反対だっていうのを戦後の目から戦争中のドラマの登場人物に重ねちゃうことだと思うんです。じゃあ、そこでその人たちはどういうリアリティを持ってどんなことを思っていたのか。この状況だったらこの人たちはこう感じるだろうとか、それを知るところから始めたんです。

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戦時中の女性は"もんぺ"を履いていて、僕らは『戦争中の人だから、もんぺを履いているのはお国のためだ。』と思ってますけど、でもあれ、服装としてはかっこわるいですよね。やっぱり、当時の人はかっこわるいと思っていたので履かなかったというんです。冬になって寒くなって、でも薪や炭が配給されなかったから仕方なく家の中で履いていた。そうやって寒いから履いたりかっこ悪いから脱ぐって言われると、そういう風に思っていた人のほうが親近感がわくというか、『ああよかった』と思うんです。みんな普通の人たちだったんだって。」

片渕須直監督に最後にうかがったのは、おだやかなすずさんが感情を爆発させる場面について。

「なんですずさんがあそこで爆発するのかと言ったら、戦争に対してではなくて自分に対して怒っているんです。うっかり戦争をやっている側の人たちと心のなかで足並みをそろえていたことに気づいて、それですごくいきどおるんだと思うんです。

『何でもつこうて暮らし続けていくのがうちらの戦いです』というのは、原作にはないセリフで僕が考えたんですけど、ここですずさんが"自分たちは戦っている"っていうことを言ってしまうんです。戦争っていうことで言えば、まだ世界のどこかで続いていて、すずさんは戦争の災害によって彼女のなかの才能の芽がつぶされてしまった人だと思うんです。本来だったらこういう風に生きられただろうっていう人生の選択肢を閉ざされてしまうんですね。

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でもこれは戦争に限ったことじゃなくて、我々が日々直面しているなかにもありますし、最近では震災も訪れています。そういうときに僕らは、そういう目にあっている人を他者、よその人だと思わないで、自分のことだと思って受け止める。そういう創造力を持つべきなんじゃないかなと思うんです。」

『主人公のすずさんがいきどおるのは、うっかり戦争をやっている側の人たちと足並みをそろえてしまったことに気づくからだ。』片渕監督の言葉が胸に刺さります。映画『この世界の片隅に』実は制作開始当初、クラウドファンディングで資金を集めました。エンドロールで流れるクラウドファンディングに参加した方の名前の数々。それは、平和への願いを表明しているかのように見えました。