J-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」~Quest For Peace。

歌手の森山良子さんをお迎えしました。

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JK:森山さんには、「さとうきび畑」を演奏いただきますが、この曲は、そもそも、シャンソンの世界で大活躍されていた、寺島 尚彦さん作詞作曲の曲ですね。

森山:そうなんです。ピアニストでもあり作曲家でもいらしたシャンソンの方たちと一緒に音楽活動をなさっていたんですけれども、その頃、色々なきっかけがあったんだろうと思うんですけども、大変若い、私が若い頃です、20歳ぐらいの時に。

コンサートのバッキングで、ピアノで、そのシャンソンの方たちが私のバックを務めてくださるという、なんかそういう一時期がありまして。すごく皆さんと仲良しになったんですけれども。

で、その後、ある日突然うちにいまして、その頃はもうアメリカンポップスとかフォークソングとか、なんか割となんて言うんです、ちゃらちゃらちゃらって、もう歌ってるのが楽しい楽しいっていう年頃で。だったもんですから、そんな曲ばっかり歌ってたんですけけども、で、ある日、寺島先生が私のうちまでいらして、チャイムを鳴らして、はあ、どなたかしらと思ったら、寺島先生がいらして、「良子ちゃん、こういう譜面があるんだけれども、是非良子ちゃんに歌ってほしい」っていう風におっしゃったんですね。

それで私は「ありがとうございます」って言って、いただいたはいいものの、譜面を広げてみたら、もうほんとに、歌詞も、私が知らない世界で、もうほとに、共愕をしたって言いましょうか、その頃、そういう歌に触れたことがなかったもんですから、いや、とてもこれは私に歌いきれる歌ではないって思いまして。

でも、せっかく頂いたものだからと思いながら、お戻しするのもなんだからと思って、ずっとこうしまってあったんですね。でも、その時にちょうどレコーディングをしてて。

で、スタジオに持っていって、譜面を。当時の本城ディレクターというディレクターさんにこういう詩をもういただいたばっかりなんだ。こういう曲をいただいたばっかりなんだけど、どうでしょうって言ったら、その譜面を広げて、「良子ちゃん、これは素晴らしい歌だから、すぐにレコーディングしましょう」っておっしゃって、それで、そのレコーランディングに、そのまま、まだ勉強もできてないぐらいな感じで、その時していたレコーディングに組み込んだんですね。

JK:確かこのアルバムは、カレッジフォークのボリューム2。

森山:そうですね、はい。
それで、そういう曲を歌ったことがなかったもんですから、それから戦後生まれで、戦争のことも考えたことが1回もなくて、なんかぬくぬく育ってきたので、もうとても自分自身には最初抵抗感があったんですけれども、1度レコーディングをして、で、それは世の中に出るわけですね。

で、私はまた、とてもとても自分には歌えないって引っ込めてしまう、ステージで歌うことを。でも、アルバムで聞いてらっしゃるお客様が、リクエスト何かありますかっていうと、必ず「さとうきび畑」っておっしゃるんですね。で、そこで歌うことになるんですけども、なんか、こ、自分ではまだ歌えていない。まだほんとに自分が未熟で、この歌のその大きさをまだ全く理解できていないっていうのが自分の中でとても大きくあって。

で、ずっと歌わずに、はい、ほんとに、封印してきたみたいな感じだったんです。

そしたら私の母が、湾岸戦争が起こった頃に、だいぶ年月は経ってましたけれども、「あなたね、いつもコンサート見てるけど、いつもあなた、チャラチャラしたばっかり歌って、あなたにはね、歌うべき歌がちゃんとあるじゃないの」って言われた時に、この「さとうきび畑」のことをさしてるんだっていうことがよくわかったんですね。
それで、恐る恐るまた譜面を引っ張り出してきて、1から勉強し直すというとおかしいんですけども、歌ってみようという自分の意思をはっきりと出しながら歌うようにしたんですね。

それまで1回も歌ってない、ほとんど歌ってなかったわけですから。
そしたら今度、さときび畑くんが、なんかこう、私にポンポンと手を、肩に手を置いてね、「そんなに難しく考えることないよって、ただ詞とメロディーをお客様に届けるだけでいいんだよ」っておっしゃってくださったんで、その形の見えないさとうきびくんが、それで、なんかそこからすごく心が重みが取れて、そうだ、それはそうだな、メロディーと歌詞があれば、それはそれをお客様にお届けするだけっていうことで、なんか戦争のことを切々と歌わなければいけないわけではなく、戦争を知らずに育った私が、この曲でみなさんと平和を共有できる、平和への願いを共有できればそれでいいんだって思ったら、急になんか心が軽くなって、そして必ずコンサートでは歌うようになりました。

JK:では、平和への願いを込めて演奏いただきます。

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お聴き逃した方はタイムフリーで聴けます。

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JK:森山さんの唯一に澄み切った声が紡ぐ、父を戦争で失った子供の、会ったことのない父への尽きぬ思い。ざわわと風になるさとうきび。それはざわわと心を震わせる、戦争による喪失のつきぬ悲しみ。胸打つパフォーマンス、森山良子さん、「さとうきび畑」でした。

沖縄出身者として、そのザワワという言葉と、ほんとに緑の中のサトウキビが風に揺らされてざわざわします、そして、父を知らない、父を戦争で亡くしてしまった子供のもうほんとに辛い思いをこう歌い上げるわけなんですけれども、ほんとにざわわというのはすごく深い意味がありますね。

森山:そうですね。寺島尚彦さんも、演奏旅行で沖縄に行かれた時に、マブニでそのサトウキビが揺れる様を聞いた時に、皆さんの足の下にはまだ戦没者の遺骨がね、眠ったままになっています。っていうのをガイドさんが説明してくださった時に、その時にとっても大きな風がって吹いたらしいんですね。それで、先生の年代の方たち、お友達が戦争で亡くなられたりしているんで、先生にとってもとても思いの深い感情が、こう、風と共に吹いてきて、それをざわわという言葉に落とし込めるというか、そういう表現。何だったんだろう、あれは何だったんだろうって随分長い間お考えになって、ざわわという言葉を考えついたという風に伺いました。

JK:そして、このサトウキビ畑という歌を歌い続ける。そういう平和へのメッセージを歌い続ける。次の世代へ託すもの。息子さんの直太郎さんと紅白のステージで、この曲を披露したのが2002年。こうやって歌い継ぐ、語り継ぐっていうことに関しての思いはいかがでしょう。

森山:そうですね。やっぱり私が歌わなくなったら、なくなってしまっては困ると思います。だから、ずっとずっと皆さんに歌い継いでいってほしいっていう、ほんとに大切な曲だというふうに思っています。

JKそして、森山さん、お父様、森山久さん。はい、実はサンフランシスコのお生まれで。日本にお戻りになって。ジャズのトランペットの方なんですけれども、

森山:はい、実は戻ってきたわけじゃなくて、ちょっと出稼ぎに来たんですね。

JK大恐慌のアメリカでした。

森山:そうです。ホルンを大学で勉強してたんですけれども、これはもう卒業しても日系人には仕事がないってもうすぐ分かったらしいんですね。それで、サンフランシスコと東京、横浜かな、を行き来している船が毎回こう来て、その中に乗っているミュージシャンの方たちと仲良しになって、東京に来たらすごくジャズブームだから、いくらでも仕事があるよって言っていただいたらしいんです。それで、トランペット1つと小さなスーツケースだけ持って出稼ぎに来たんですけれども、結局いついてしまったっていうか。

JK:そして、連合軍向けの宣伝放送、東京ローズ、のプロジェクトにも参画されていた

森山:そうですね。だから、やっぱりいろんなことに引き込まれながら生きてきて、日本から見ると日本人ではないっていうね。アメリカから見たらもう日系だけれども、自分はアメリカ人なんだけれども、やっぱり日本に来たら日本語を覚えながら日本人になりたいっていう、とてもなんか複雑な青春時代を送ったと思いますね。

JK:戦争についてお父様から、もしくはお母様から伝え聞いたことは?

森山:私の父は通訳として米軍の、それこそ1番最初に広島に、原爆投下のすぐ後の広島に、キャメラマンの方と、何人かの軍人さんたちと、兵隊さんたちと視察に入って、そのものすごくすさまじいあの場所、ずっとくまなく視察してるんですね。まだ1週間も経ってない頃に入ったというので、そうやっていろんなところを巡ったことは、私は後で聞いたんですね。父はやっぱり口にできなかったんだと思います。あまりの凄まじさ、あまりの惨状にやっぱり言葉を失って、私には何も言いませんでした。

JK:ただ伝え聞いたことを森山さんは。こういうメディアを通して伝えることができますね。

森山:そうですね。私は母からほんとにすごく後になって聞いたことでしたので。
その時はまだ私自身も生まれてませんでしたから。ですから、父もとても心の中にいろんなことを秘めながら生きてきたと思いますね。

JK:この80回目の終戦の日。はい、敗戦の日でもありますけれども、この曲、改めて演奏、歌っていただいてどういう思いですか。

森山:そうですね。コンサートの時も必ず歌っていますし、この歌は歌い継がれていかなければいけない曲なので、今日こうしてこのスタジオから皆さんにお届けできて良かったなと嬉しいというか、皆さんとも平和を共有できたら嬉しいなと思います。

JK:平和のためには何が必要なんでしょうね。森山さん。

森山:そうですね。やっぱり人の心、どっちが偉いとかどっちが下とかじゃなくて、人間は平等であるし、そしてこの地球という場所もね、最初は地球のものだったんですよね。
でも、誰かが区分けをして、ここは僕の人地、ここは僕んとこっていう風に区分けされちゃったことで、なんかみんながいがみ合ったりとか、意地悪な思いとか、強欲な思いとかが育っていってしまうっていうか。やっぱり地球は誰のものでもなかったはずですよね。
でも、何かによってそれが区分けされてしまったこと、それはある意味、必要最低限大事なことではあったと思うんですけども、でも、そのことで争うのは自分たちのものではないっていうふうに思わないと、地球ですから、そこからやってきた我々人類なんだから、ここが俺んち、これ、ここは俺の人地っていうのは、やっぱり人間の持つなんか欲深さがそのまま出てしまって、人間ってもっともっと進化してって、もっともっと素敵な存在にならなきゃいけないという風に思っています。

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JK:素晴らしいパフォーマンス、そしてメッセージの数々、ありがとうございます。