「Quest for peace」と題してお送りしている今朝ですが、この時間は、映像作家の、アリ・ビーザーさんにお話を伺った模様をお届けします。アリさんの祖父様のジェイコブ・ビーザーさんは1945年8月、広島と長崎に原爆を投下した両方の爆撃機に搭乗した、世界でただ一人の人物。

そして、母方のファミリーも、在米の被爆女性と親交があったという環境で育ち、歴史に向き合い、被爆者やその家族へのインタビューやデジタルストーリーによる平和の啓発活動を積極的に行っていらっしゃいます。
そんな、アリさんに、まずは、お祖父様のジェイコブさんの思い出、受け継いだものについて伺いました。
何事も記録し、保管する性格だったというアリさんのお祖父様のジェイコブ・ビーザーさん。インタビューやスピーチなども全て残っていたため、ジェイコブさん亡き後も、アリさんは、何年にも渡ってジェイコブさんの体験を読み、聞き、その思いを繋ぎ合わせてこられたそう。
そして、その記録の中には、原子爆弾の製造を手伝い、起爆装置の開発を行った日々や、エンジニアとして非常に分析的なメモも残されていたそうなんです。
実際に爆弾が投下された時のことも残っていたそうで、「原爆のキノコ雲は、海辺で砂と水を蹴り上げた際に広がる渦巻きのようだった、そして、地面が沸騰しているように見えた」と描写していたそう。そして、長崎の原爆投下後には、「こんなことは、2度と起こらないでほしい」との祈りが綴られていました。
広島、そして長崎と、原爆を投下した両方の爆撃機(B29)に搭乗した、世界でただ一人の人物だったジェイコブさん。「もし、再度指令が下ったらもう一度やっていましたか?」「罪悪感や後悔はありますか」といった厳しい質問には、どう答えてきたのでしょうか?
長崎の原爆の後に、「2度と起きないように」と願ったものの、もし3回目や4回目の任部があったとしても、祖父は、「その任務に参加していただろう」と言っています。
でも祖父は、自分のしたことを誇りに思っていたわけではなく、「戦争という行為に誇らしい瞬間はない」という言葉も残しています。ですが、僕は、同時に、祖父が後悔していたとも思いません。というのも、祖父は祖父なりの立場で、自分の飛行機が爆弾を投下することで、戦争を終わらせることができると信じていたから。
80年後の今では、僕たちは、さまざまな情報を得て、より良い決断をしたり、何が起こっているか、きちんと理解することができる。例えば、もしアメリカが降伏の条件をもっと明確にしていれば、侵攻や原爆を必要としなかったであろうと、今なら、わかるわけです。
もし外交にもっと重点を置き、お互いの文化を理解するためにもう少し時間を費やしていれば、違う結果になっていたと。ですが、祖父たちは当時の価値観で、自分たちがしなければならないと感じたことをしたのだと思います。だから僕はその世代の人たちを責められません。
お祖父様の記憶、そして、母方の祖父にも被爆者の友人がいたことから、原爆に深い関わりのある家庭に育ったアリさん。2011年に奨学生として来日。そこから何度も日本とアメリカを行き来し、14年間に渡って、多くの被爆者の方たちの証言を集め、まとめています。そんなアリさんに、この活動を始めたきっかけについても伺いました。
2010年に二重被爆者である山口彊さんについての本が出版されたんですが、その本の中に、いくつかの不正確な情報が含まれていたんです。
なぜ誰かが真実でない物語を語るのか、私には理解できませんでした。実際にその著者にも会いましたが、誰かが真実の物語を語らなければならないと感じたんです。そして、もし誰もそれを語らないなら、僕がやらなければならないと感じました。原爆の両方の立場を知る家族に生まれた僕がやらなければ、と。
ちなみに、アリさんがこのミッションを始めたのは、2011年のこと。奨学生としての来日が決まったのが、東日本大震災が起きた当日、3月11日だったという事実にも、何か、日本との深い関係を感じたそうです。広島平和記念資料館や長崎原爆資料館に連絡を取り、英語が話せる被爆者の方を紹介してもらい、話を聞いてきたアリさん。さらに広島と長崎の二重被爆者である山口彊さんの孫、原田小鈴さんと出会い、交流を重ね、『「キノコ雲」の上と下の物語』という本も、出版されています。
2013年頃に、最初、小鈴さんのお母さんとあって、対話を重ね、お互いの家族の物語を共有するようになりました。そんな中で、娘さんの原田小鈴さんと出会ったわけなんですが、すぐに友達になれたわけではないんです。小鈴さんには、小鈴さんなりの葛藤があって、最初はためらっていたようでした。
僕の祖父がしたことを考えれば当たり前のことです。そして、その壁を乗り越えるのは、本当に難しいことだったと思います。でも、彼女は僕を友人として受け入れてくれた。今では、一緒に本を書き、ドキュメンタリーにも取り組んでいます。こんな、歴史の両サイドに立つ僕らが友人となれた事実を思えば、誰もが友情を育むことは可能なのだと思うようになりました。
では、この活動によってアリさんが学んだこととは、どんなことなんでしょう?
本当に色々学びました。人生を学んでいる、と言ってもいいでしょうね。忍耐を学びましたし、許しを学びました。他にも、恩返しすること、与えられた機会を他の人たちのために最大限に活用すること、などね。
そして、私が学んだのは、やはり、これが二度と起こってはならないということです。核戦争、それは、想像を絶するものです。でも僕が話を聞いてきた人たちは、それを実際に目撃してきた。
僕は、実際には経験していないし、話を聞いて、まとめるだけの、簡単な、綺麗事の世界かもしれませんが、それでも、そこで何が起こったか、その事実をしっかり伝えることが役目だと思っています。
僕なんかより優れた人はたくさんいるけれど、僕の祖父が、ジェイコブ・ビーザーだったからこそ、僕には、多くの扉が開かれてきた。そして、その扉に飛び込むためには、十分な強さと、学ぶことがたくさんあると感じています。
広島と長崎に原爆を投下した両方の爆撃機に搭乗したジェイコブ・ビーザーさんを祖父に持つ、映像作家のアリ・ビーザーさんにお話を伺いました。アリさんと原田小鈴さんの共著『「キノコ雲」の上と下の物語 孫たちの葛藤と軌跡』は、朝日新聞出版から発売中です。

アリ・ビーザーのインタビュー、来週もお届けします。来週は、アメリカでの戦争教育、また、アリさんの活動についてなどお話伺います。