TDK VOICES FROM NIHONMONO
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旅するにほんもの

長崎 軍艦島(端島)

日本の本物とその作り手の声ご紹介するTDK VOICES FROM NIHONMONO。

今回は長崎編の第6弾
中田英寿さんが、世界遺産にも登録されている軍艦島について取材した模様をお送りしました。

実は『軍艦島』というのは通称で、本来の名前は『端島』と言います。新聞記事に「軍艦島」と掲載されたことがきっかけでそう呼ばれるようになったそうです。

軍艦島があるのは長崎県長崎市。現在はツアーで訪れることができ、長崎市の港から観光船で、およそ45分。
海の上に、まさに軍艦のようなシルエットの島が見えてきます。2015年に、「明治日本の産業革命遺産のひとつ」として世界遺産に登録されました。

今回は、かつてそこで暮らしていた 木下稔さんにお話をうかがいました。

もともと軍艦島は、大岩礁に過ぎなかった島ということ。
石炭が豊富にあった為、三菱が島を買い取ってからそれを掘り出すために人が暮らし始めたという歴史があるんですね。

そして、台風に耐えるために強くて人が多く暮らせる建物をということで1916年に鉄筋の高層アパートが作られました。
最初は4階建て。あとで7階建てに増築したということですが、当時の日本の最先端の建築だったそうです。その後まもなく7階建てや9階建てのアパートができ、多くの人が暮らし始めました。

端島は元々は小さな島で、人が住むために埋立工事を行いどんどん広くして、その結果的に軍艦のように見える形になっていったということ。どのくらい埋め立てられたかというと、最初と比べると3倍の広さにまで面積が増えたそうです。

最盛期の1960年には、当時、世界一の人口密度である およそ5300人が島で暮らしていました。

軍艦島では働く方へのお給料が高く豊かな生活だったということなんですが、なぜかというと石炭を掘ることが目的で開発された島の為。作業が危険と隣り合わせだったからなんです。

石炭の採掘は地下深くでおこなわれ、なんと地下1000メートルでも作業がおこなわれていたそう。
地下1000メートル、マグマに近いところで気温40度・湿度95%、、、。ガスに火がつくと非常に危険という本当に厳しい現場だと思いますが、その地下の先端に行けるのはベテランの作業員で、そういう方のお給料は特に高額だったそうです。

今回ガイドをしていただいた木下さんは、当時は子どもでしたが親が炭鉱の仕事携にわっていたというお話でした。

現在は廃墟となった鉄筋アパートや学校などが注目を集めていますが、元々は石炭を掘るために人が暮らし始め小さな島を有効活用するために当時の最先端の技術が使われていました。
しかし、その炭鉱で火災が発生したこと・エネルギーが石炭から石油にシフトしていく中で炭鉱はその役目を終え1974年に閉鎖して住民も島を去ることに。

そんな島の歴史、観光ツアーで感じることができます。
今回の取材でお世話になった「軍艦島コンシェルジュ」では軍艦島上陸ツアーを開催されています。
詳しくは、軍艦島コンシェルジュのサイトをご覧ください。

▼軍艦島コンシェルジュ
https://www.gunkanjima-concierge.com


また、今回ガイドをしていただいた木下さんは、上陸ツアーの前にみなさんがおとずれる「軍艦島デジタルミュージアム」でガイドを担当されています。こちらもあわせてチェックしてみてください。

▼軍艦島デジタルミュージアム
https://www.gunkanjima-museum.jp

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