RINREI CLASSY LIVING

RINREI CLASSY LIVING

2018.06.16

今夜のゲストは、三味線プレイヤーの上妻宏光さん♪

「伝統」と「革新」を行き来しながら、津軽三味線の持つ可能性を追求し続けてきた上妻さんに民謡からロックやジャズとのコラボまで、その多彩な音楽性に迫りました。
また、リビングでの生演奏も披露して頂きました。

CLASSY ESSAY HARUKA KOUSAKA

番組後半にお送りしている、音楽ライターでクラシック・ソムリエの高坂はる香さんによるクラシックの豆知識や、季節ごとの注目のトピックスなどを紹介する 「CLASSY ESSAY」。今回は「父と息子で作曲家」。


明日は父の日。そこで今夜は、父と息子、揃って活躍した作曲家のお話です。

歴史上の作曲家たちの名前は、ファミリーネームだけで紹介されることが多いですが、音楽一家として活躍した人の場合、ファーストネームのイニシャルをつけないと誰のことか判別できないことがあります。その最たる一族は、バッハ・ファミリー。現代でこそ、バッハといえば、ヨハン・セバスティアン、つまりJ.S.バッハを思い浮かべる方が多いと思いますが、彼は2度の結婚で20人の子供をもうけ、成人まで育った10人のうち3人が音楽家として大成、特に次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、当時父よりずっと有名でした。それでも常に、自身の成功は父親の教えがあってこそだと話していたそうです。

一方、時代を下り、19世紀のウィーンで音楽一家として名をはせたのは、シュトラウス一族。ワルツ文化が全盛を迎えるなか、父のヨハン・シュトラウス1世と、その3人の息子たちが、売れっ子として活躍しました。ただ、父ヨハン・シュトラウス1世と長男である2世の間には、長年確執があったことが知られています。父は、息子たちを不安定な音楽家の道にすすませまいと、音楽の勉強を支援しなかったうえ、しまいには愛人の家に入り浸り、家に生活費を入れなくなりました。そんな境遇でも着々と力をつけた息子が、18歳で楽壇デビューの準備をしていることを知ると、父はそれを妨害しようと関係者に圧力をかけ、新聞記者を買収して息子の中傷記事まで書かせたといいます。それから数年間は音楽家としての親子対決が繰り広げられましたが、やがて和解し、協力し合うようになったそうです。

今回は、そんな父親のヨハン・シュトラウス1世の作品の中で、最も有名な曲といえる、ラデツキー行進曲をお聴き頂きました。