DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。

EVERY SECOND SUNDAY

25:00-26:00 ON AIR

真っ暗闇の中で、心と対話する時間を。
志村 季世恵の写真

志村 季世恵

バースセラピスト

板井 麻衣子の写真

板井 麻衣子

J-WAVE NAVIGATOR

メッセージをいただいた方の中から毎月2名の方へ
ダイアログ関連本をプレゼント!

MESSAGE TO STUDIO

番組のオリジナルPodcast 配信中

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MESSAGE

人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。


2025.09.14
GUEST

第87回のゲストは米田真希子さんでした

 
〜 今月のプレゼント 〜

ダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰する
志村季世恵さんの著書
『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。

ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。


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DIALOGUE

志村:真希子さん、こんばんは。
米田:こんばんは、季世恵さん。本当にありがとうございます。
志村:今この暗闇では、どんな感覚を使っていらっしゃいますか?
米田:何なんでしょう、なんか雲の上にふわふわしている感じでしょうか?
志村:あぁそうか。漂ってる感じなのかな?
米田:そう、漂ってる感じ・・・とても気持ちがいいですね。
志村:本当?よかった。
米田:姿が見えないし、どこにいるかわからないから、声だけがふわふわふわ、この空間の中に存在してて、それがふわふわふわって飛んでる感じがします。
志村:うーんすごい豊かな感性。
米田:なんでしょうか〜?それが伝わると嬉しいですね。
志村:本当ね。今でも真希子さんの声がすっごく素敵だから。
米田:いや私今それを言おうと思ってて、季世恵さんの声の倍音がすごい柔らかくて、幅が広いような気がするんですよね。だからそうなんですよ。響いている幅が広いというか、ミルフィーユのような。
志村:ミルフィーユ!すごい、表現力が豊か。
米田:そうですか?(笑)
志村:重なってる感じなんですね。
米田:そうですね。かるーく重なってる感じ。
志村:ってことはもしかすると、このラジオを聴いていらっしゃる方からすると、私たちの声が重なってる風に聞こえるかもしれないね。
米田:だといいですね〜、本当に。
志村:あの、音楽を始めたのはいつ頃からでしたか?
米田:本当にやり始めたのは4歳だと思うんですけど、ちっちゃい時からちっちゃいピアノを弾いたりとか、歌ったりとかはよくしてて、で、親がこの子は・・・!って思った(笑)で、ピアノを習い始めました。
志村:すごい。ってことは子供の頃から才能が輝いてたんだ!
米田:いやいや、井の中の蛙ですけど、でも楽しくやってましたね。楽しくはなかったかな?(笑)
志村:そういう時もあったんだ?
米田:はい、そうですね。練習ばっかりしてたし、ちょっと辛くて辞めましたね。そうだ思い出せばそうですね。
志村:いっとき?
米田:そうですね、18歳でもうやーめたと思って、こうしなければならない、こう弾かなければならないって言われることが耐えられなくて辞めましたね。
志村:そうか。じゃあ進路を決める時というか、進学を決める時に辞める感じになったんですかね。
米田:そうですね。コンクールで自分一人で上の方まで行けなかったら、もうそれで諦めようと思って、で、コンクール行って多分予選ぐらいしか通らなかったのかな、で、きっぱり辞めて、大学は全く違うことをしましたね。
志村:どんな勉強をなさったんですか?
米田:そのころ環境問題とかがすごい盛んだったので、国際問題を私は解決するんだ!みたいなそういう若気の至りというか、で、国際関係に進んで、教育を勉強したいなと思ったので、国際教育を勉強していました。
志村:わぁ、知らなかった、そうだったんですね。
米田:そうですね、インドに行ったのもその頃でしたね。
志村:インドではどんなことを感じました?
米田:インドでは、一番最初は本当に自分の常識がすべて覆された、恐ろしいくらいなショック。例えば、お金もらうためにお母さんが子供の腕を折ったりとか、そういうことをしても生きていくとか、その、ワーってちょうだいちょうだい!って来る子たちに物をあげるのがいいのか、あげないほうがいいのか、私はどうしたらいいんだろうとかっていう問いとか、うーんもうなんでしょうね、こんな汚い水に入るんだとか、そういうことから始まって、今まで知らない世界だらけだったんですね。
志村:そっか。でももう一回行きたくなった魅力はどんなところだったんですか?
米田:なんか、なんだったんでしょうね、人間の本質を見たというか、なんだったんだろう、嘘がないというか、深すぎて全然わからないからもう一回見てみたいっていうか、怖いもの見たさもあったと思うんですけど、教育がものすごい大事だなっていうことをなにかの時に感じたんですよね。それで3年生の時にインドの教育をやり始めて、で、NGOで、インドはまだ識字率がすごい低かったので、NGOがそういう識字教育とかプライマリーエデュケーションとかをやっていたから、それを見に行こうと思って、今度は研究もしてみたいっていうのもあって、NGOの組織に連絡を取って、砂漠の中に行って一緒に過ごしたんです。そういえば、ずっと忘れてたけど。
志村:あー、そうだったんだ、すごい経験、それは学生の時に?
米田:そうでしたねー。
志村:忘れてたんですね。
米田:いやそうでしたねー。
志村:そうだったんだね。
米田:はい。
志村:インドからじゃあ日本に帰ってきて、その後はどうしたの?
米田:その後は、そっちの方に私は行くんだ!って思って、すごく勉強もして学会とかにも行ったりとかして、大学院に行ったんですよね。でも、私はこの仕事を続けていけるかって考えた時に、その時の私は、いや無理な気がするって思ったんですよね。
志村:どうして?
米田:なんかユニセフとかユネスコっていう選択肢があったけど、そこで仕事があるっていうことは、彼らが仕事の相手で、私はそこからお金をもらってかっこいいマンションとかに住むのかーとか、そのジレンマが自分の中で起こってきちゃって、きっと私には無理なんじゃないかと思って。じゃあ、NGOとして草の根でやっていく度胸と勇気とそれだけの動機が私にあるかって自問した時に、いや、ないかもって思っちゃったんですよね。もうそれはすごいショック、自分でそう思ったことはすごいショックだったし、でもやっぱり嘘じゃないなと思って、しばらくちょっと鬱になったりとかして。
志村:あー、そっか。。
米田:そうですね、ちょっと道が見えなくなった時期がありましたね。わぁーなんて昔のことですけど。
志村:きっとすごい考えたんだね。考えて考えて自分にできるかなってことを引き込んで考えて、その波に乗ることよりも、波を見続けながら考えて出したんだろうね、きっとね。
米田:ねー、なんかね、もっと上手くやれればよかったのかもしれないんですけど、0か100かみたいな、そうなってたんだと思うんです。それで本当に分かんなくなっちゃって、人と話すこととかも怖くてできないぐらいに、ずっと山手線ぐるぐる回ってたりとか、友達とも話せなかったりしたんだけど、でもそれを隠そうと一生懸命してたから余計わけが分からなくなってて、でもそうですね、その時に、あー、死にたいなとか、そういうことを思ったりとかした時もあって、いやーすごい昔の記憶がなんか・・・。それで親友に、私本当どうしていいか分からないんだけどって相談したら、日本の人たちの大多数が体験するサラリーマンっていうのを体験してみたらどうなのか?って言われて、全くそういう選択肢が私の中にはなかったので、そうか!と思って、そういう道もあるか!と思って、じゃあ今よく分からないから、とりあえず会社を受けてみよう!と思ってそっちにまず行ってみたんです。で、そんな私のそういう状態でも、人事をやらせてくれる会社がありまして、そこに入れていただいて、そこから本当に面白かったですね。素晴らしい会社で。今も、はい、素晴らしい会社ですね。
志村:あ、そうでしたか。それから一体どのぐらいで今の音楽家になっていくの?
米田:会社は6年勤めさせていただいて、辞めてニューヨーク行って、キューバ行って、ブラジル行くんですけど。
志村:どうして?
米田:辞めたきっかけは、今のままで60歳になった時に幸せか?って自分に問った時に、いや幸せじゃないだろうなと思って、じゃあ自分が幸せだと思うことを探そう。目は世界だったので、世界で一番いろんなアートでも刺激的なものでも集まっているところはニューヨークだって勝手に思って、とりあえずニューヨークに行って気になるものは全部やろうって思って行って、キューバは、その頃はダンサーになるんだ、プロのダンサーになるんだってちょっと思ってたので、ダンスを一から学びたいと思ったのと、社会主義がまだカストロさんが生きてた時だったので体験したいっていうこと、あとパーカッションもダンスをするならパーカッションだって思ったのと、あとはブラジルはまずダンス、サンバだと思ってたので、もう最終はブラジルでダンスでっていう感じのその3ヵ国に決めまして、行ったんです。
志村:そう〜。ある時にそう思ったんだね。
米田:そうなんですね〜、うーん。

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志村:そこでまたダンスの勉強もして、ダンスも踊れて、ピアノもっていうのは?
米田:やっぱりピアノは本当に最後のブラジルだったんですけど、キューバでなぜかまた本当に国立舞踊団みたいなすごいところとご縁があって、そこでレッスンを受けられることになって、もうプロのすごい人たちが真横で踊っているから、これ絶対無理と思って、骨も違うし、私プリエとか全然体が硬かったし、ちょっと私勘違いしてたな、これプロは無理だと思って、これダメ。って諦めたんですそこでまた。で、どうしよう、私プロのダンサーになるつもりでここまで来たのに、どうしようってそのままブラジルに行って、いやどうしようって思ってた時に、本当忘れもしないですね、昼間パン屋さんでコーヒーを飲みながらボーっとしてた時に「ミュージシャン」っていう声が聞こえたんですよ。
志村:えっとそれは、心の中に?
米田:もうどこかわかんないんですけど、今ここで声が響いているように「ミュージシャン」って聞こえたんですよ。
志村:あー、うん。
米田:いやうそうそ!と思って、その時31歳超えてましたし、絶対無理!こんな絶対無理!と思って、でも今まで私ダンサーですって言いながらなんか違うなーって思いながら言ってたなとか、私ミュージシャンですって言った時のこの心地よさとか、うわ、これ嘘じゃないかも・・・っていうそういう自分がいて、そうなのかなー、じゃあやってみるかーっていう、なんかそういう感じで、じゃあやってみますーっていうことで、またゼロからポピュラーのジャズの勉強をやることになるんですよね。
志村:あー、内なる声を聞いた感じで、ミュージシャンって。
米田:そうなんですよね、なんだったんでしょうって今本当に、なんだったんだろうって言ってても思いますけど、本当ただそれだけだったんですよね。
志村:うーん、そこから始まっていったんですね、では。
米田:はい。
志村:あー、そこからでは、だんだんだんだんにミュージシャンになっていく。
米田:そうですね、もう勉強、そこから毎日勉強勉強の日々になっていくんですね。
志村:そうか、それは全部海外なんですか?
米田:ずっとブラジルで、ブラジルしかなんかなかったんですよね。
志村:ブラジルがご自身の場所だったんですね。
米田:ここだーっていうね。心地よくて、そうですね、なんかそれまで日本でも宇宙人って言われてたりとか、なんとなーく居場所がないっぽい感じはあったんですね。なんとなーく自分の中でしっくりこないみたいな。それがなんだったかよくわからないんですけど、そんなのもあって、ブラジルの空気感というか、あー楽だなーって思ったんですよね。でも話せなかったんですよ、なにも話せなかった。
志村:じゃあ言葉は要するに話さなくても、身振り手振りで。
米田:もう身振り手振りでした。
志村:すごいね、ちゃんとそれを受け止めてくださる方もいらっしゃったんでしょうね、きっとね。
米田:そうだったんですね、助けてくれる方がいらっしゃって、なんとか生きていたんですね。
志村:すごいなー。それって今から何年前ですか?
米田:それが2004年とか。だから21年くらい前ですか。
志村:うーん。そこからじゃあもうブラジルの世界にどっぷり浸かって。
米田:そうでしたねー、本当に。でまた違う出会いが生まれたんでした、そうでした。カーニバルの最中で、私が何とか入れてもらった音楽学校があったんですけど、なかなか私に勉強させてくれないとかいろいろあって、そこを辞めるとか、カーニバルが来た、で、学校も終わりになる、で、上の方にね、北の方にまた独特な街があって、レシフェとかオリンダっていう、またサンパウロとかリオとかと全然違う文化がある場所があるんですけど、そこで本当にまた、たまたまホテルにいた人で英語が話せるおじさんがいて、なんかこの人ミュージシャンっぽいからちょっと話してみようと思って、私ブラジルにブラジル音楽勉強しに来てるんだけど、全然勉強できなくてって愚痴ってたんですよ。そしたらブラジル音楽やりたいんだったらここが一番いいよって言ってくれたんですね。で、身寄りとかもなかったし、一人だったから、そんなになんかこの人言うんだったら面白そうだし、ここに来てみようと思って、それでまたビザを日本に帰って取り直して、オリンダに住むんですけど、そのたまたま話した方がそこのもう重鎮というか、ブラジルのレジェンドのアーティストの方だったんですよね。だからもうその出会いがなかったらそこにも行ってなかったし、ブラジル音楽を勉強することもなかったかもしれない。
志村:じゃあもう出会いだ。ご縁ですね〜。
米田:だから本当になんかもう自分ではどうしようもないところの力で動かされているっていうのが、すごくその頃からあったんですね。
志村:それはでもきっとなにか輝くようなものが発信されてるんだと思います。ご自身から。真希子さんからね。
米田:そんなことを言っていただくのはありがたいです。
志村:やっぱり放ってないと、なんかこう動かないじゃない?お互いにこう、いやこもっていたらって言うのかな?こもっている時には、あ、一人静かがいいんだなって思うだろうし、今開いていてなにか放っているなと思うと、例えば今回もラジオに来てもらってもいい?っていう風になるんだと思うので。
米田:そうですね、なんかタイミングとか、確かに今季世恵さんがおっしゃったように一人になりたいとか、まあ本当に大変な時とか、人と話したくないとか、内側に内側に入る時ってありますもんね。
志村:そうそう、ちょっと自分の中に守っていたい。
米田:うん、本当にある。

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志村:それでブラジルから日本に帰ってこようと思ったのは、どんなきっかけがあったんですか?
米田:ブラジルから直接日本ではなくて、日本は私は本当に怖かったんですよね、帰ってくること自体が。日本自体が怖くて、で、トルコっていう途中の中間点が2年半くらいあっての、そこでガンがね、わかるんですけど。
志村:トルコでわかったんだよね。
米田:そう、わかったんですね。
志村:ガンは意外と進行してたんでしたっけ?
米田:えっと、2から3の間くらいだったので、リンパにもいくつか、いくつかというか結構飛んでいる乳ガンだったんですよね。それで向こうで治療を始めたんですけど、如何せん何をしているかわからないんですよ。トルコ語で話しているのに、それが英語で通訳でくるんですけど、話していること内容自体が難しいから、私のところに来るときにはもう100分の1ぐらいの情報しかないから、いつの間にか胸を取られてなくなっちゃうんじゃないかなとか、ちょっとそういう怖さもあって、もうこれを利用して帰るか・・・!っていう感じで帰ってきましたね。
志村:そうだったんですね。そっか。で、怖かった日本はどうでしたか?
米田:うーん、そうですね、ガンに守られたっていうのも変ですけど、ガンの治療をしているから何もしなくてもいいというか、それこそ自分の殻の中で繭の中で、今はじっとしてていいんだよっていう、日本に慣れていく、ちょっと今までとは違う生活、アーティストとして四六時中24時間働きますという状態で、外に向かってガンガンやっていた何十年間を一回止めて、自分のことを考える、そういう時間でいいんだよみたいな、そういうガンに守ってもらっていたような気がしますね。
志村:そうか。
米田:怖かったから。
志村:それが今から・・・
米田:それが今から2022年の終わり・・・
志村:だから3年前のことだよね。
米田:そうですね。
志村:でしたよね。そう、その頃にちょっと出会っていたのかな・・・なんて思ってます。
米田:そうなんです、2022年の初めの頃にお会いしてて、その頃は絶賛、私は誰、私を大事にするって何、みたいな、本当に自分を見失っている時期だったんですね。だからその世界塾とか、このきっかけを、そもそものきっかけを作ってくださった米倉先生の塾に入って自分を見つめ直そうとか、そういう時期だったんですよね。
志村:そこからもっと具体的な暮らし方とか音楽に入っていくのかな、どうだったんでしょう。
米田:いや音楽はもう、いつも隣にはいてくれたんですけど、生きることで精一杯で、死への恐怖を初めて自分事として感じたし、抗がん剤で髪が抜けちゃうとか、その頃は抗がん剤とか西洋医学とかを疑ってかかるとかっていう勇気もなかったし、とにかく大きくなっていくものをどうにかしないとっていう、その恐ろしさを何とか小さくするっていうことだけが生きる目的になってたから、治療もものすごい大変でしたから、今日も一日生きましたみたいな、全てのエネルギーを使い果たして寝ますっていう、そういう毎日でしたね。
志村:ね、時々SNSにアップされていらっしゃいましたよね。
米田:そうですねー。
志村:猫ちゃんに。
米田:まるがいつも。
志村:まるちゃんにいつも寄り添ってもらっててね。
米田:本当にいっつもいてくれて。
志村:その頃に抜けた髪が気になるからって、ロングだった髪を断髪式みたいなのじゃないけど、丸坊主に刈っている、しかもそれがなぜかニコニコしているんだけど。
米田:本当に腹がよじれるくらいおかしかったですね。
志村:ね、旦那さんが坊主になって。
米田:そうなんです、先に。
志村:ね、うわー、すごいなダーリンはと思って見てたんだけど。
米田:すごいですねー。
志村:で、そう、それを真希子さんも笑いながら刈り上げててねー。
米田:そう、あれは本当に感謝しかないですね。今だから本当にもっと素直に感謝できるけど、彼がそんなね、私が髪が抜けることが本当に嫌で、ハゲていくなんて本当に女として信じられないみたいな感じで本当に怖かったから、もう剃っちまおうぜ!俺が剃るから一緒にって言ってくれて、それでやってくれたんですよね。実際に髪が抜け始めちゃって、あぁ、来たかってなった時に、日本からも帽子が届いたりとか、トルコは全然かっこいい帽子がなかったので、友達が帽子を送ってくれたりとかして、多分もう大丈夫、ハゲになってもちょっと大丈夫かもってなって、じゃあ俺から行くよって剃ってくれたんですけど、本当落武者みたいで、おかしくておかしくて、もうそれで楽しくてジャリジャリやってましたね。彼のおかげ。本当に周りのおかげ。
志村:そう、その時トルコだったんですね。
米田:はい、トルコでした。
志村:トルコで暮らしてたのか。
米田:そうでも本当に、とはいえ恥ずかしかったですけどね。今でこそ全然この髪型大好きですけど。
志村:あの、どういう風に髪を失う時は辛くて、で、大好きになったきっかけは何ですか?
米田:うーん、何だったんでしょうね、一番最初切った時に、その後恥ずかしかったけど、切った時に私は今まで自分を自分以上に見せようとか、髪の毛をカールしたり染めたりすることで、自分の自信の無さを隠してたんだなってすごく感じて、この全くなにもない状態の自分を見た時に、なんて楽なんだろうって、もうこれでいいよねって、その清々しさはものすごかったんですけれども、女子として、特にトルコはまだ男尊女卑がすごい強い国だし、女性もカバーはするけど中は綺麗な髪の毛がある方たちが歩いていらっしゃるから、そこでハゲとして歩くのが本当に恥ずかしかったんですよ、見られるのが。でも彼がね、何回も真希子が悪いわけじゃないと。何にも悪くない。でも自分を責めたりする、恥ずかしいと思ったりとか、自分はそう思ったりとかしてしまう時に、何にも悪くない、何にも悪くないよって言ってもらったことで、そうか、そのままでいいんだっていうのを2年間、3年間、少しずつ少しずつ自分の中に積み上げていったのかなぁって思いますね。自分にも自分で伝えてあげる。いいよ〜かっこいいよ〜みたいな。
志村:うん、本当に似合ってるから。ロングヘアの時も似合ってたけど、今のこのね〜かわいい、すっごい素敵で、なんかキラキラしてるんだよね。自由な感じの姿に見える。
米田:でもねそういうねやっぱり、葛藤はありましたね。今だからこうですけど。
志村:うんうんうん。
米田:やっぱり責めちゃうんですよね。自分が悪かったからガンになったんじゃないかとか。
志村:あぁーねー、よくそうやっておっしゃる方多いですね、そんなこと全然ないんだけどね、そう思っちゃうよね。
米田:うーんそう、で、胸がないっていうことを半分ね、左側がないことを恥ずかしいって感じちゃったりとか、なんかそっちに行っちゃう時ってあるんですよね。
志村:あるね。
米田:でも違うよって。そうだ、違うんだ!って言ってあげる。
志村:そうそう、大事。ネガティブになるのって、底ないくらいに落ちるじゃないですか。
米田:本当です本当です。簡単。
志村:ね、簡単だよね。でもポジティブにするのって底なくて、あの、いや、なんだろ、言いたいことはね、深く深く掘り下げられちゃうのよね、ネガティブって。
米田:すごいですね。
志村:でもポジティブって掘り下げられなくて、だからこうふわっとしちゃうんだろうなと思うんだけど、私いつもここまで深めることができてるなら間違ってる方だなと思うようにしてるの。
米田:わぁ、確かに、確かにそうですね。本当に底なしですよね。
志村:ね。うん。

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志村:今後どんなことをしていきたいですか?
米田:それは本当になんか、ピアノを弾いていたいなーって思うし、私にとって言葉っていうのは、とてもワンクッションあって考えて出てるっていう、なんとなくギクシャクするんですが、音だとそのままが自分にとって心地いいし、自分でいられる手段だと思うので、それを私のためにも続けていきたいと思うし、私がこういう経験をさせてもらったのは、多分いろんな人の痛みも少し分かれるようになるためだったのかもしれないから、当事者として、経験者として、そういう同じような悩みを抱えてた人、抱えている人、抱えている家族を持っている人、友達を持っている人とか、そういう人たちに音を届けられたら嬉しいなって思うし、もちろんずっとプロとしてブラジルでやっていたことも、楽しい音楽を届けるということも、やっていきたいなって思いますね。
志村:うーん、いいですね。
米田:はい、ありがたいな。
志村:あのね、リスナーの方にね、明日、朝起きて、うん、今日もいい日だぞっていうふうに思えるみたいな、そんなメッセージをいつもいただいてるんです、ゲストの方から。
米田:なんと。
志村:なので今日、教えてもらってもいいですか?
米田:わー、なんと。なんでしょう。はー、目覚められたーっていうことが・・・(笑)だって本当に目覚められないこともあるから、いつどこに持っていかれてしまうか、私たちって分からないじゃないですか。だからまずは目覚めたっていうことに、あ、生きてる生きてる。私、息してる。空気がある。あ、太陽もまだある。とか、そこがまず一つ、その自分の周りのことにちょっと目を向けること・・・かな。なんか私がそんなにおこがましく言える立場じゃないんですけど、でも本当に、あ、今日生きてる私。で、なんですかね、さっきから大丈夫っていう言葉しか出てこないんですけど、なにかをしようとか、なんか特別なことではなくて、今そこにあなたがいるっていうことがすごいことだから、消えてしまうことだってあるわけで、今ここにいるっていうことが本当にすごいこと。もし、ね、つらい時期の方がもしここにいたら、本当にあの、悲しみは続かないから、私もなんか抗がん剤とか、もうそのガン治療の時とか、私にエネルギーが生まれる時って来るんだろうか・・・って、本当に思ってた時があったんですよね。で、手術の前に屋久島に行った時に、屋久杉のところからちっちゃな芽とかが出てて、あ、そうか、芽って出るんだよなーと思って、だからきっと私にもそういうエネルギーが生まれる時が来るよね・・・って思ってた時があったなって思い出しましたね。でそれが長くても、生きていることがすごいことって思うので、大丈夫。大丈夫。って言ってあげてください。
志村:はい。
米田:はい。
志村:ありがとうございました。
米田:本当にありがとうございました。



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